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世界改稿日記 ~なろうによる世界破綻~  作者: 黒瀬 量衡


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第三十三話 この身体は誰のものですか

 朝。


「セリア」


「何だ」


 返事はある。


「俺は?」


「ルーク」


「リサは?」


「リサ」


「自分は?」


 少しだけ。


 間が空いた。


「……セリア」


「うん」


 まだ。


 名前は答えられる。


 昨日。


 俺が何度も教えた名前。


 本人の記憶から取り戻したわけじゃない。


 俺がそう呼ぶから。


 自分をセリアだと認識している。


 それでも。


 何もないよりはいい。


「右手を上げて」


「何だ急に」


「確認」


「子供じゃないんだぞ」


「お願い」


 右袖が上がる。


「左」


 上がる。


「右足」


「本当に何なんだ」


「いいから」


 服の裾が動いた。


「全部動く」


「当たり前だろ」


「痛いところは?」


「ない」


「痺れは?」


「ない」


「よかった」


 俺が息を吐くと。


 セリアは。


 自分の右袖を見た。


「……なあ」


「何?」


「今」


「うん」


「右手を上げたんだよな」


「そう」


「私が」


「そうだよ」


「……」


 袖。


 ゆっくり。


 開いて。


 閉じる。


「動かしてる感覚はある」


「うん」


「でも」


 声が。


 少し硬くなる。


「これ、本当に私の手か?」


 胸元が熱くなった。


 日記帳を開く。


『身体的自己認識の低下を確認。』


「……始まった」


『対象は四肢を正常に操作可能。』


『ただし、「操作可能であること」と「それが自身の身体であると認識すること」は別である。』


「やめろ」


『身体所有感――低下開始。』


 セリア。


 右手を。


 何度も。


 開く。


 握る。


「動く」


「うん」


「私が動かしてる」


「うん」


「でも」


 声。


「誰の手なんだ」


「セリアの」


「……」


「君の手だ」


「そうか」


 答えた。


 でも。


 納得はしていなかった。


     *


 朝食。


 女将は。


 セリアを人として認識していない。


 椅子が勝手に引かれ。


 皿が浮く。


「また動いてるねえ」


 女将が言った。


「気味が悪い」


 セリアの手が止まった。


「女将」


 俺が言う。


「気にしないで」


「そうかい」


 それだけ。


 厨房へ戻る。


 セリアは。


 しばらく。


 何も言わなかった。


「今の人」


「女将」


「私を知ってた?」


「うん」


「毎日?」


「毎日」


「私も知ってた?」


「もちろん」


「……そうか」


 皿。


 置く。


「何も分からないな」


「少しずつ教える」


「それ」


「何?」


「昨日から全部そうだ」


 セリアが俺を見る。


 見えない顔。


「名前も」


「うん」


「ここに住んでいたことも」


「うん」


「今度は身体も」


 右袖。


 持ち上げる。


「全部お前たちに教えてもらってる」


「……」


「私より」


 声。


「お前の方が、私のことを知ってる」


 何も。


 返せなかった。


     *


 朝食後。


 リサが包帯を持ってきた。


「腕の形だけでも見えた方がいい」


 セリアの身体そのものは。


 相変わらず見えない。


 黒い服だけが。


 人の形を作っている。


「右腕から」


「分かった」


 リサが。


 慎重に包帯を巻く。


 手首。


 前腕。


 肘。


 白い布が。


 見えない身体に沿って止まる。


「……ある」


 俺が言う。


「何が」


「腕」


「見えるのか?」


「包帯の形で」


 セリア。


 自分の腕を見る。


「これが」


「うん」


「私?」


「そう」


 反対側も。


 巻く。


 両腕。


 白い輪郭。


 ようやく。


 人間の形が。


 少しだけ戻る。


「鏡」


 セリアが言った。


「見たい」


 持ってくる。


 鏡の中。


 俺。


 リサ。


 部屋。


 その間に。


 黒い服。


 白い両腕。


 頭部だけ。


 空白。


「……」


 セリア。


 長く黙った。


「顔」


「あるよ」


「見えない」


「ある」


「お前にも?」


「……見えない」


「なら」


 声。


「本当にあるのか?」


「ある!」


 思ったより。


 強く言った。


「絶対ある」


「どうして分かる」


「知ってるから」


「顔を覚えてないのに?」


「……」


 昨日から。


 思い出せない。


 セリアの顔。


 目。


 鼻。


 口。


 髪。


 輪郭。


 あるはずなのに。


 具体的な形が。


 出てこない。


「ルーク」


「……ごめん」


「謝るな」


 それだけは。


 いつものセリアみたいだった。


「顔なんて見えなくても死なない」


「そんな言い方するな」


「事実だ」


「でも」


「それより」


 包帯の腕を見る。


「今は」


 右手。


 握る。


「これが私の手だって」


 言う。


「そっちを覚える」


     *


 昼。


 最初の異常は。


 突然だった。


「ルーク」


「何?」


「痛い」


 振り向く。


「どこ?」


「……分からない」


「え?」


「痛い」


「どこが?」


「だから」


 声。


 焦っている。


「分からない!」


 リサも来る。


「動けるか?」


「ああ」


「腕」


 右。


 左。


「足」


 一歩。


 二歩。


「変わるか?」


「変わらない」


「息は?」


「普通」


「頭?」


「違うと思う」


「じゃあ」


 そのとき。


 リサが。


「待て」


 右腕。


 包帯。


 赤い。


「血だ」


「え?」


 外す。


 見えない皮膚。


 そこから。


 血だけが。


 浮くように滲んでいた。


「浅い切り傷」


「いつ?」


「分からない」


「何かにぶつけた?」


「分からない」


「痛いのはここ?」


 リサが。


 傷の周囲へ触れる。


「痛い」


「右腕だ」


「……」


「セリア?」


「痛いのは分かる」


「うん」


「でも」


 声が。


 震える。


「ここが右腕だって」


「……」


「言われるまで分からなかった」


 胸元。


 熱。


『身体位置感覚の自己帰属低下――進行。』


「やめろ」


『実際の肉体損傷――軽微。』


『対象は家具への接触によって右前腕を切創。』


『接触自体は感知。』


『しかし、「自身の右腕が接触した」と即時認識できなかった。』


「危ないだろ」


『自己防御能力低下の可能性――高。』


「だから止めろ!」


 俺は。


 セリアを見る。


「今日は一人にならないで」


「分かった」


 即答だった。


 本人も。


 もう。


 強がれなかった。


     *


 午後。


 俺たちは。


 セリアの身体を。


 一つずつ確認した。


「右腕」


「ここ」


「左腕」


「こっち」


「右足」


「ここ」


「左足」


「こっち」


 服と。


 包帯と。


 触覚。


 それだけを頼りに。


 本人へ。


 人間の形を教える。


「頭」


「肩の上」


「首」


「頭と胴の間」


「胸」


「ここ」


「腹」


「その下」


 セリアが。


 自分の身体をなぞる。


「変だな」


「何が?」


「言われると分かる」


「うん」


「でも」


 少し目を離して。


「自分だけだと」


 止まる。


「曖昧になる」


 リサが言う。


「なら記録しろ」


「記録?」


「ああ」


 紙。


 出す。


「名前と同じだ」


 昨日。


 俺が名前を教えた。


 今日。


 身体も。


 文字で残す。


 セリア自身が。


 書いた。


『私はセリア』


 その下。


『成人』


『女』


『剣士』


『冒険者歴九年』


『右利き』


『右腕』


『左腕』


『右足』


『左足』


『この身体は私の身体』


 最後。


 筆が。


 止まった。


「……変な文章だ」


「うん」


「普通なら」


「ああ」


「書く必要なんかない」


「そうだね」


 それでも。


 書いた。


『これは私が書いた』


『この字は私の字』


『この手は私の手』


『この身体は私のもの』


 壁へ。


 一枚。


 二枚。


 貼る。


「これで」


 セリア。


「分からなくなったら読む」


「うん」


「読めば」


 少し。


 声が落ち着く。


「少なくとも」


「うん」


「今の私が何を信じてたかは分かる」


 日記帳が熱くなる。


『外部記録による自己定義を確認。』


「邪魔するな」


『現時点では有効。』


「ならそのままにしろ」


『ただし、筆跡自己認識が失われた場合、記録の信頼性は低下する。』


「……」


 また。


 次を。


 用意している。


     *


 夕方。


 セリアが。


 壁の紙を見ていた。


『私はセリア』


「これ」


「何?」


「私が書いた?」


「うん」


「この字」


「セリアの」


「……」


「どうした?」


「こんな字だったか?」


「……」


「私」


 紙。


 見る。


「自分の字を覚えてない」


 胸元。


 熱。


『筆跡自己認識――低下開始。』


「早すぎるだろ」


「何が?」


「何でもない」


 セリアは。


 また紙を見る。


「これは私が書いた」


「そう」


「お前がそう言うなら」


「セリア」


「信じる」


 その言葉。


 嫌だった。


 自分のことなのに。


 俺の証言の方を。


 信じる。


 でも。


 今は。


 それしかない。


     *


 夜。


 壁に貼られた紙。


『私はセリア』


『成人』


『女』


『剣士』


『冒険者歴九年』


『右利き』


『この身体は私の身体』


『ルークを知っている』


『リサを知っている』


『このパン屋に住んでいた』


『一人になるのが怖い』


『仲間を五人失った』


『それでも生き残った』


 セリアが。


 順番に読む。


「セリア」


「うん」


「成人」


「うん」


「女」


 止まる。


「どうした?」


「女って」


「……」


「私?」


「そう」


「何で?」


 答え。


 詰まる。


「身体が」


「どんな身体?」


「……」


 思い出せない。


 細かいことは。


 もう。


 俺にも。


「声とか」


「声で決めるのか?」


「それだけじゃない」


「じゃあ何」


「……」


 答えられない。


 セリア。


 紙。


『私は女』


 見る。


「これは」


「うん」


「誰が決めた?」


「セリア自身が書いた」


「私が?」


「うん」


「なら」


 しばらく。


「そうだったんだろうな」


 その言い方。


 自分のことじゃない。


 知らない誰かの記録を。


 読んでいるみたいだった。


     *


 しばらくして。


 セリアが。


 胸を押さえた。


「……ルーク」


「何?」


「音」


「何の?」


「聞こえる」


「どんな」


「どく」


 一回。


「どく」


 二回。


「心臓」


「心臓?」


「そう」


「どこにある」


「胸」


「胸のどこ」


「中」


 セリア。


 止まる。


「……中?」


「うん」


「私の」


「そう」


「身体の中?」


「そうだよ」


「……」


 呼吸が。


 少し。


 速くなる。


「セリア?」


「中って」


「何?」


「どこだ」


「え?」


「身体の」


 包帯。


 胸。


 腹。


 手。


「どこからが中なんだ」


「皮膚の内側」


「皮膚」


「身体の表面」


「見えない」


「ある」


「触っても」


 自分の胸へ。


 手。


「境目が分からない」


「セリア」


「心臓は」


 声。


 震える。


「本当に私の中にあるのか?」


「ある」


「どうして分かる」


「人間だから」


「私は」


 止まる。


「人間なのか?」


「そうだよ!」


 強く。


「絶対」


「……」


 セリア。


 黙る。


 心臓。


 本人にだけ。


 聞こえている。


「変だ」


「何が?」


「音が」


 胸。


「私の外から鳴ってるみたいだ」


 日記帳。


 熱。


 開く。


『身体境界認識低下――開始。』


「やめろ」


『対象は自身の身体内部と外部の区別を、感覚情報のみから確定できなくなりつつある。』


「止めろ」


『心音。』


『呼吸。』


『空腹。』


『内臓感覚。』


『血流。』


『以上について、「自身の内側で発生している」という帰属が低下。』


「そこまで奪う必要ないだろ!」


 セリアが。


 胸を押さえたまま。


 俺を見る。


「ルーク」


「何?」


「教えてくれ」


「何を」


「私の中」


 声。


「何が入ってる」


「……」


「心臓だけじゃないだろ」


「うん」


「何が」


 怖い。


 自分の身体。


 なのに。


 本人には。


 知らない箱みたいになっている。


「肺」


「どこ」


「胸」


「胃」


「腹」


「血」


「全身」


「骨」


「全身」


「……」


「全部」


 俺は言う。


「全部セリアの身体の中にある」


「……」


「君を生かしてる」


「私の?」


「そう」


「誰かのじゃない?」


「違う」


「本当に?」


「本当」


 セリアは。


 長く。


 黙った。


 それから。


 壁へ行く。


 新しい紙。


 書く。


『心臓は私の中にある』


『肺も私の中にある』


『血も私のもの』


『骨も私のもの』


『身体の内側も外側も私』


 筆。


 震えている。


「これで」


「うん」


「明日」


 止まる。


「分からなくなっても」


「うん」


「読む」


 胸元。


 また。


 熱い。


 日記。


『外部記録による身体境界補助を確認。』


「……」


『有効。』


「じゃあ」


『ただし。』


「やめろ」


『対象が「この文章を書いた人物」と「現在の自分」を別人物として認識した場合、自己固定効果は失われます。』


「……」


 壁。


『私はセリア』


 その下。


『この身体は私の身体』


『心臓は私の中にある』


 全部。


 セリアが。


 今日。


 自分で書いた。


 でも。


 明日のセリアが。


 今日のセリアを。


 自分だと思えなかったら。


 ただの。


 知らない女の日記になる。


「セリア」


「何?」


「今日はもう寝よう」


「……怖い」


「いるから」


「一人にするな」


「しない」


 セリアが。


 俺の袖を掴む。


 見えない手。


 でも。


 今は。


 本人も。


「右手」


 小さく言った。


「何?」


「今」


「うん」


「お前を掴んでるのは」


 袖。


 力。


「私の右手」


「そう」


「私が」


「うん」


「自分で掴んでる」


「そうだよ」


 少し。


 力が緩んだ。


「覚えておく」


「うん」


「これは」


 もう一度。


 握る。


「私の手」


「うん」


 今夜は。


 それだけでよかった。


 でも。


 日記帳には。


 もう。


 次の頁ができていた。


『第三十四話 私の中には何が入っていますか』


 その下。


 一行。


『対象の自己認識切断は、身体内部へ進行します。』


「……」


 壁。


 文字。


 セリア。


 セリア。


 セリア。


 自分が自分であることを。


 紙へ書かなければ。


 保てない。


 そんな一日が。


 終わった。


 この作品の品質向上のため、ぜひ感想をお寄せください。今後の展開・キャラクター・構成・描写方針の参考として利用します。


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