第三十二話 名前を忘れた女
足跡を追った。
夜の北門。
門番は。
何も見ていない。
「女?」
「ああ」
「この時間に?」
「さっき通ったはずなんだ!」
「誰も通してないぞ」
「でも足跡が!」
地面。
裸足の跡。
一つ。
二つ。
三つ。
門の外へ。
続いている。
門番も見る。
「……誰のだ?」
「セリア」
「誰だ?」
「……」
もう。
驚かなかった。
「行くぞ」
リサ。
「ああ」
門を出る。
足跡。
北。
森。
俺たちが追うほど。
前の足跡が増えていく。
走っている。
逃げている。
「セリア!」
呼ぶ。
止まらない。
「セリア!」
リサも。
「私たちだ!」
違う。
今のセリアにとって。
俺たちは。
もう。
「私たち」じゃない。
知らない男と女が。
知らない名前を叫びながら。
夜中に追ってくる。
「……追えば追うほど逃げる」
俺は止まった。
リサも止まる。
前。
足跡。
一つ。
二つ。
そして。
止まった。
「止まった?」
「ああ」
距離。
分からない。
暗闇。
木。
草。
誰もいない。
「セリア」
小さく呼ぶ。
返事。
なし。
足跡も。
動かない。
「……怖がらせるつもりはない」
聞こえているか。
分からない。
「俺たちは」
何て言えばいい。
友達?
仲間?
一緒に住んでる?
その全部が。
今のセリアには。
意味を持たないかもしれない。
「君を知ってる」
言った。
「君の名前も」
足跡。
動かない。
「セリア」
一歩。
新しい跡。
後ろへ。
下がった。
「……駄目か」
名前そのものが。
怖いのかもしれない。
*
胸元が熱い。
開く。
『対象セリアの自己認識切断――進行中。』
「止めろ」
『現状を整理。』
文字。
『自己名称――喪失。』
『所属――喪失。』
『居住地――自己との関連性を喪失。』
『職業――自己との関連性低下。』
『既知人物――固有関係の認識低下。』
『身体技能――維持。』
「……身体技能?」
『剣術。』
『歩行。』
『危険察知。』
『生活動作。』
『言語。』
『以上は手続き記憶として保持。』
「つまり」
剣の振り方は分かる。
でも。
何で剣を使えるのか。
分からない。
『対象は自身の過去を「知識」として部分的に保持する場合がある。』
『ただし、それが自分自身の経験であるという認識を失う。』
「……」
嫌だ。
それ。
記憶が消えるより。
嫌かもしれない。
覚えている。
でも。
自分の思い出じゃない。
『例。』
『六人でダンジョンへ入った。』
『五人が死亡した。』
『一人が生還した。』
『対象は当該事実を想起可能。』
『ただし。』
『その生還者が自分自身であると認識できない。』
「やめろ」
『過去の悪夢を想起しても、その恐怖がなぜ自身に発生するのか理解できない。』
「やめろって」
『主人公ルークと夜を過ごした記憶についても――』
「読むな!」
閉じた。
もう。
十分。
*
「ルーク」
リサ。
「何だ」
低い声。
「あそこ」
指。
木。
根元。
草が。
沈んでいる。
何も見えない。
でも。
誰かが。
座っている。
「……いる」
近づかない。
俺たちは。
少し離れた場所で。
しゃがんだ。
「聞こえる?」
返事なし。
「名前は言わない」
足跡も。
動かない。
「追いかけない」
リサが。
杖を地面へ置いた。
「武器も置く」
俺も。
剣を置く。
「危害は加えない」
風。
葉。
それだけ。
「……寒くない?」
俺が聞く。
返事。
ない。
でも。
草。
少し動いた。
身体を縮めた。
みたいに。
「寒いんだな」
俺は上着を脱ぐ。
前へ。
投げない。
地面へ置く。
少し。
離れる。
「使って」
待つ。
一分。
二分。
三分。
上着。
動いた。
「……」
誰もいないのに。
持ち上がる。
消える。
いや。
消えたんじゃない。
見えない身体に。
着せられている。
袖。
形。
肩。
輪郭。
俺の上着だけが。
人の形になった。
「……セ」
名前。
飲み込む。
その瞬間。
上着の中の身体が。
びくっと震えた。
聞こえた。
息。
「……だれ」
声。
女。
かすれている。
「俺はルーク」
答える。
「こっちはリサ」
「……」
「君を知ってる」
「……わたしを?」
「うん」
「なぜ」
「一緒に暮らしてた」
長い。
沈黙。
「……どこで」
「王都のパン屋」
「ぱんや」
「うん」
「……知らない」
胸が。
痛い。
「君はそこで暮らしてた」
「知らない」
「俺たちと」
「知らない」
「女将と、ミレアと」
「知らない!」
上着。
震える。
「ごめん!」
俺はすぐ止めた。
「ごめん」
息。
荒い。
「無理に思い出さなくていい」
日記。
熱い。
見ない。
今は。
見ない。
「……わたし」
声。
「何?」
「わたしは」
止まる。
「……だれ?」
「……」
リサが。
拳を握った。
俺は。
答えようとする。
でも。
名前を言えば。
また。
怯えるかもしれない。
「君は」
何だ。
何を言えばいい。
「……君だよ」
最悪の答え。
でも。
他に。
思いつかなかった。
「わからない」
「うん」
「何も」
「うん」
「知らない」
「大丈夫」
「大丈夫じゃない!」
叫んだ。
上着の肩が。
激しく震える。
「頭に」
声。
「頭にある」
「何が?」
「知らない人たちが」
「……」
「死んでる」
六人。
いや。
五人。
「洞窟」
「……」
「血」
「うん」
「声」
「うん」
「誰かが」
呼吸。
「泣いてる」
俺は。
何も言えない。
「でも」
「……」
「誰の記憶?」
セリア。
君のだ。
言えない。
「何で私の頭にあるの?」
自分の記憶を。
他人の記憶だと思っている。
「怖い」
声。
「知らない人が死ぬのを」
「……」
「何度も見る」
「セリア」
出た。
「あ」
上着。
固まる。
「今の」
「ごめん」
「その言葉」
声。
「何?」
「分からない」
「……」
「でも」
胸の辺り。
上着が。
握られた。
「痛い」
「……」
「聞くと」
「うん」
「ここが」
胸。
「苦しい」
名前は。
まだ。
どこかに。
残っている。
*
リサが。
ゆっくり。
言った。
「セリア」
震える。
「やめて」
「セリア」
「やめろ!」
見えない何かが。
立った。
上着が人型になる。
「その名前を呼ぶな!」
俺たちは。
動かない。
「どうして?」
リサが聞く。
「知らない!」
「でも反応してる」
「知らないって言ってる!」
声。
怒ってる。
怖がってる。
「セリア」
「やめろ!」
「セリア」
「やめろ!」
「セリア!」
「私はそいつじゃない!」
森。
静かになった。
「……」
俺。
息を止める。
リサも。
「私は」
見えない女が。
言う。
「そいつじゃない」
「……」
「私は」
続き。
出ない。
「私は……」
誰。
その言葉が。
言えない。
「……わからない」
声が。
崩れた。
「私は誰なんだよ……」
泣いた。
セリアが。
泣いている。
見えない。
顔も。
涙も。
でも。
俺の上着の胸元だけ。
濡れていく。
*
胸元。
熱。
もう。
無視できない。
開く。
『自己名称への拒絶反応を確認。』
「……」
『対象は「セリア」という語に情動反応を示す。』
『しかし自己名称としての認識なし。』
『現在。』
『名称=理由不明の不快・恐怖を誘発する語。』
「名前まで怖いものにするな」
『過去との接続が切断されている一方、感情痕跡のみ残存しているため。』
感情だけ。
残る。
仲間を失った悲しみ。
一人になる恐怖。
俺たちへの安心。
でも。
理由がない。
誰に対して。
なぜ。
そう感じるのか。
分からない。
『この状態を継続。』
「やめろ」
『さらに。』
「やめろ」
『次段階へ移行。』
「やめろ!」
文字。
『自己経歴切断を進行。』
『年齢。』
『職業。』
『出身。』
『冒険者としての経験。』
『身体の傷の由来。』
『以上について、自身との関連性を順次喪失。』
「戻せ!」
返事。
なし。
『対象は「知っているが、自分のことだとは分からない」状態へ移行する。』
最悪だ。
*
「剣」
俺は。
言った。
見えないセリア。
少し。
顔らしき方向が動く。
「剣?」
「使える?」
「……」
間。
「分からない」
「持ってる?」
上着。
腰。
そこに。
見えない何か。
手。
動く。
金属音。
ちゃき。
剣が。
突然。
空中に現れた。
違う。
鞘から抜かれたから。
見えるようになった。
剣だけ。
宙に浮いている。
「……」
リサ。
息を飲む。
「それ」
「何」
「君の剣」
「私の?」
「うん」
セリアが。
剣を見る。
「……知らない」
「でも持ってた」
「なぜ」
「冒険者だから」
「ぼうけんしゃ」
「九年やってる」
「九年?」
「ああ」
「私が?」
「うん」
「……嘘だ」
「本当」
「嘘だ!」
剣。
振られる。
速い。
俺たちじゃない。
木。
一閃。
枝。
落ちる。
「……」
セリア自身が。
一番驚いた。
「今の」
「君がやった」
「私が?」
「うん」
「何で」
「九年」
「……」
剣。
構える。
自然。
完全に。
身体が覚えている。
「分からない」
一歩。
踏み込む。
剣。
振る。
二撃。
三撃。
鋭い。
迷いなし。
「できる」
「うん」
「何で?」
答えられない。
本人が。
知らない。
「私は」
剣を見る。
「誰かを殺してた?」
「魔物を」
「人は?」
「……たぶん、ない」
「たぶん?」
「俺が知る範囲では」
「何で」
こっち。
見えない顔。
「お前は私のこと知ってる」
「……一緒に暮らしてたから」
「私はお前を知らない」
「うん」
「ずるい」
「……ごめん」
「謝るな」
それ。
セリアらしい。
そう思った瞬間。
胸が。
痛くなった。
*
「帰ろう」
俺は言った。
「どこへ」
「パン屋」
「知らない」
「知ってた場所」
「知らない」
「今は知らなくていい」
「……」
「俺たちと来て」
「なぜ」
「一人は怖いだろ」
止まった。
「……何で」
「え?」
「何でそれを知ってる」
「君が前に」
言った。
一人が。
怖い。
誰かが。
生きていると分かる場所に。
いたい。
「……私は」
見えない女。
「一人が怖いのか?」
「うん」
「知らない」
「でも」
「知らない!」
怒鳴る。
直後。
小さく。
「……怖い」
言った。
「理由」
「……」
「分からない」
「うん」
「でも怖い」
「それでいい」
「よくない」
「今は」
「……」
「今は、それでいい」
しばらく。
何も。
返ってこない。
「ついていって」
「うん」
「お前たちが」
「うん」
「嘘ついてたら」
剣。
俺の喉元。
一瞬。
切っ先。
「殺す」
「……分かった」
リサ。
少しだけ。
息を吐いた。
「その言い方は覚えてるみたいだな」
「何?」
「いや」
それ以上。
言わなかった。
*
戻る。
三人。
いや。
見えるのは。
二人。
俺。
リサ。
その間。
空中に。
歩く剣。
俺の上着。
形だけ。
人。
北門。
門番。
ぎょっとした。
「何だそれ!」
「人がいる」
「どこに!」
「ここ!」
「服が歩いてるぞ!」
セリア。
止まる。
「……私」
「大丈夫」
俺。
「今は説明しなくていい」
「こいつには見えないのか」
「うん」
「お前たちは?」
「身体は見えない」
「……」
「でも」
上着。
指す。
「いるのは分かる」
少し。
間。
「そうか」
声。
小さい。
「それでも」
その先。
言わない。
でも。
分かった。
それでも。
見つけてもらえた。
そう。
思ってくれたのかもしれない。
*
パン屋。
扉。
開ける。
「ただいま」
俺。
女将。
「おかえり」
リサ。
「戻った」
「おかえり」
そして。
セリア。
声。
「……」
言えない。
「言っていいよ」
「何を」
「ただいま」
「……」
長い。
沈黙。
「なぜ」
「ここが帰る場所だから」
「私は知らない」
「うん」
「帰った覚えもない」
「うん」
「なのに」
上着の胸。
握られる。
「……変だ」
「何が?」
「この匂い」
パン。
焼いた小麦。
厨房。
女将。
「知ってる気がする」
「……」
「でも」
声。
震える。
「何の匂いか分からない」
女将が。
俺を見る。
「誰と話してるんだい?」
「……」
答え。
詰まる。
「人」
「人?」
「うん」
「どこに?」
「ここ」
女将。
空中の上着を見る。
「……気味悪いねえ」
セリアの身体が。
強張った。
「女将!」
「何だい」
「それ以上言わないで!」
「でも」
「お願い!」
「……分かったよ」
女将は。
納得していない。
当然。
セリアは。
女将を。
見ている。
たぶん。
「この人」
「うん」
「私を知ってた?」
「すごく」
「今は?」
「……」
「知らないんだな」
「……うん」
「そうか」
静か。
それだけ。
ミレア。
奥から出る。
「ルークさん?」
「ミレア」
「その……服は?」
同じ。
「……」
セリア。
何も言わない。
自分が。
誰にも。
人として見えていない。
分かり始めている。
*
俺たちは。
空いていた椅子へ。
案内した。
「ここ」
「何」
「座って」
「……」
上着。
沈む。
椅子。
きしむ。
座った。
「何でこの椅子?」
「君のだった」
「……」
手。
机。
傷。
剣の鞘。
「これ」
「何?」
「君がつけた」
「……知らない」
食器。
一枚。
新しい。
「これも」
「私の?」
「前のは割れたけど」
「……」
セリア。
手に取る。
器。
浮く。
女将。
顔色が変わる。
ミレア。
口を押さえる。
誰も。
それがセリアだとは。
分からない。
「……ルーク」
声。
「何?」
「私」
止まる。
「本当にここにいたのか」
「いた」
「毎日?」
「うん」
「ここで食べた?」
「うん」
「眠った?」
「うん」
「笑った?」
「うん」
「怒った?」
「よく」
少し。
間。
「そうか」
「うん」
「……何も」
声。
細い。
「何も覚えてない」
「……」
「いや」
違う。
「覚えてる」
「何を?」
「パンを食べたこと」
「うん」
「誰かと話したこと」
「うん」
「夜」
止まる。
「眠れなかったこと」
「……」
「誰かの腕を掴んだこと」
俺。
息が。
止まる。
「覚えてる?」
「記憶はある」
「うん」
「でも」
見えない顔が。
俺を見る。
「その女が」
喉。
「私だと思えない」
「……」
胸元。
熱い。
最悪。
開く。
『自己経歴切断――進行。』
「やめろ」
『対象は自己の過去を第三者の物語として認識し始めている。』
「やめろ」
『記憶内容――保持。』
『所有感――喪失。』
「戻せ」
『例えば。』
『「仲間五人を失った女性がいた」。』
『「夜、一人で眠ることを恐れた女性がいた」。』
『「主人公の腕を掴んで眠った女性がいた」。』
『対象はこれらを記憶している。』
『しかし。』
『その女性が自身であるという事実のみ認識不能。』
「ふざけんな」
俺。
声。
震える。
セリアが反応する。
「どうした」
「何でもない」
「顔色悪いぞ」
それ。
いつもの。
セリアみたいな。
言い方。
「……」
「何だ」
「いや」
「変な奴だな」
「……うん」
泣きそうになる。
本人だけ。
分からない。
*
夜。
セリアの部屋は。
ない。
だから。
俺の部屋。
椅子。
座っている。
「ベッド使って」
「お前は?」
「床」
「嫌だ」
「じゃあ俺が椅子」
「そうじゃない」
「何?」
「……一人にするな」
「……」
「何だ」
「いや」
同じだ。
覚えてないのに。
「分かった」
「近くにいろ」
「うん」
「眠るまで」
「うん」
少しして。
見えない手が。
俺の袖を掴む。
昔と。
同じ。
「……ルーク」
「何?」
「お前の名前」
「うん」
「覚えておく」
「……うん」
「リサも」
「うん」
「女将」
「うん」
「ミレア」
「うん」
そして。
「私の名前は?」
答える。
「セリア」
「……」
「セリア」
「変な名前」
「自分のだよ」
「分からない」
「うん」
「でも」
袖。
握る。
「お前がそう呼ぶなら」
「……」
「今は」
少し。
力。
「それでいい」
「うん」
俺は。
何度でも。
呼ぶ。
「セリア」
「……」
「セリア」
「うるさい」
「ごめん」
「でも」
「何?」
「もう一回」
俺は。
声。
震えないように。
「セリア」
袖。
少し。
緩む。
*
日記。
『暫定的名称受容を確認。』
「返せよ」
『対象は「セリア」という名称を自己記憶からではなく、主人公から与えられた呼称として受容。』
「それでもいい」
『ただし。』
「……」
『本来の自己認識が復元されたわけではない。』
「分かってる」
『また。』
「何」
『主人公から教えられた情報により自己像を再構築した場合、それは元のセリアと同一の自己像とは限らない。』
「……」
手。
止まる。
『主人公が誤った情報を与えた場合。』
『対象はそれを自身の経歴として受容する可能性があります。』
「……は?」
怖い。
意味。
分かった。
今のセリアは。
自分が誰だったか。
知らない。
俺が。
「こういう人だった」
と言えば。
それを。
自分だと思うかもしれない。
日記。
『主人公ルークは現在、対象セリアの人格再構築に強い影響力を持つ。』
「そんなもの」
いらない。
『物語上の利用価値――高。』
「使うな!」
セリア。
「……うるさい」
「ごめん!」
寝ている。
たぶん。
少し。
安心して。
俺の袖を。
掴んだまま。
*
朝。
「セリア」
「……」
「起きてる?」
「……誰だ」
心臓。
止まりそうになった。
「ルーク」
「……」
「昨日言った」
「……ルーク」
「うん」
「ルーク」
「うん!」
「覚えてる」
息。
戻る。
「私?」
「セリア」
「……セリア」
「うん」
「それも覚えてる」
「よかった」
「でも」
「何?」
上着。
ゆっくり。
起き上がる。
「昨日」
「うん」
「私は」
止まる。
「女だったか?」
「……え?」
「分からない」
俺。
固まる。
「声は」
「女だよ」
「身体も?」
「……女」
「そうか」
自分の身体を。
見下ろしている。
見えない。
俺にも。
本人にも。
分からないのかもしれない。
胸元。
熱。
「やめろ」
開く。
『自己認識切断――次段階へ移行。』
「やめろ」
『名称。』
『経歴。』
『帰属。』
『人間関係。』
『以上に続き。』
「……」
『身体的自己認識を対象とします。』
「やめろ!」
セリア。
びくっとする。
「何だ」
「何でもない」
「……」
「ごめん」
日記。
『対象は今後、自身の身体的特徴についても確信を失います。』
『年齢。』
『性別。』
『傷跡。』
『利き手。』
『顔。』
『身体の境界。』
「身体の境界?」
嫌な。
言葉。
『最終的には。』
読む。
『「どこまでが自分なのか」という認識にも影響する可能性があります。』
「……」
セリア。
俺の袖を掴んでいる。
その手は。
見えない。
でも。
確かに。
ある。
本人は。
その手が。
自分の手だと。
いつまで。
分かっていられる。
次の頁。
『第三十三話 この身体は誰のものですか』
「……」
俺は。
寝起きの。
名前だけを取り戻した女を見た。
いや。
見えない。
見えないけど。
そこにいる。
「セリア」
「何だ」
まだ。
返事をする。
今は。
まだ。
自分の名前だと。
思っている。
日記が。
それまで。
持っていく前に。
何とかしないといけない。
でも。
方法は。
どこにも。
書かれていなかった。
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