第二十六話 スライムを一匹残らず殺したい
朝一番。
俺とリサは教会にいた。
「十八は過ぎてるな」
「……本当に?」
「ああ」
神官が古い帳面を指で叩いた。
村を巡回した神官が、祝福した子供を書き残した記録。
父親の名前。
母親の名前。
兄二人。
村。
第三子の男児。
全部一致している。
「田舎で自分の歳を二年も間違える奴っているんですか?」
「珍しいが、いないわけじゃない。出生の日付を家で記録していない村ならな」
「俺、ずっと十六だと思ってたんですけど」
「お前がそう思っていたことと、実際に何年前に生まれたかは別だ」
「そんな……」
昨日。
日記にも同じことを書かれた。
『主人公ルーク――成人。』
まさか日記が年齢そのものを書き換えたのかと思った。
でも違った。
俺の過去は変わっていない。
俺が十六だと思って育ったことも変わっていない。
ただ。
親が適当に覚えていた。
俺も疑わなかった。
王都へ来ても年齢は自己申告。
だから誰も調べなかった。
「成人証明、いるか?」
「……ください」
「冒険者ならあった方がいいだろう」
神官が紙を書く。
横でリサが呆れていた。
「自分の歳を確認するために教会へ来る奴、初めて見た」
「俺だって初めてだよ!」
「普通は一生経験しねえよ」
「田舎なんだよ!」
「田舎を万能の言い訳にするな」
いつものリサだった。
少なくとも。
今は。
昨夜。
一人になったリサが存在しないスライムを身体から探していた。
痙攣した。
地下水路で聞いたのと同じ声まで出た。
失禁した。
そして。
自分ではもう何が本当にあるのか分からないから。
俺に。
「スライムがいないか確認してくれ」
そう頼んだ。
今。
神官へ普通に悪口を言っている女と。
昨夜の女が。
どうしても同じ人間に見えなかった。
「ルーク」
「何?」
「ぼーっとするな」
「ごめん」
「次は私だ」
リサが神官の前へ座る。
「また診るのか?」
「ああ」
「昨日も診たぞ」
「もう一度」
「結果は変わらんと思うが」
「いいから」
神官が俺を見る。
「何かあったのか?」
「……本人が不安みたいで」
昨夜のことを勝手に言うわけにはいかない。
リサも何も言わなかった。
「分かった」
診察が始まった。
俺は外へ出る。
しばらくして。
扉が開いた。
「どうだった?」
「何もない」
リサが答える。
「本当に?」
「ああ」
「神官も?」
「何も残ってないってよ」
顔を見る。
安心。
している。
でも。
完全ではない。
「……そう」
「まだ心配?」
「少し」
「昨日、俺も見えるところは確認したよ」
「分かってる」
「神官も二回診た」
「分かってる」
リサが歩き始める。
数歩。
「ルーク」
「何?」
「今日の夜も頼む」
「……確認?」
「ああ」
「神官が何もないって」
「分かってる」
「じゃあ」
「分かってるけど」
振り返る。
「お前に確認してもらった方が安心する」
「……」
「嫌か?」
「嫌っていうか」
「じゃあ頼む」
「俺の答え待ってないよね!?」
リサが少し笑った。
「嫌なら言え」
「……分かった」
「よし」
普通に歩き出した。
その瞬間。
胸元の日記が熱くなる。
「……今の拾ったな」
開く。
『主人公ルークの成人確認――完了。』
『社会的成人資格――確認。』
「それはもう終わっただろ」
『リサの精神状態について追加検討。』
「そっちは終わらないの?」
『現在、リサは単独時に症状が増悪する。』
『幻触。』
『侵入感覚。』
『身体記憶の再現。』
『強迫的確認行動。』
『痙攣。』
『発声異常。』
『自律神経反応。』
『一方、主人公ルークによる残存確認を受けた後、一時的に不安が低下する。』
「……」
『主人公を心理的安定要素として利用可能。』
「人を薬みたいに書くな」
次。
『リサが精神状態を維持するため、主人公との性的関係へ依存する展開を検討する。』
「はあ!?」
通行人が見る。
「すみません!」
俺は日記を抱えて道の端へ寄った。
『前提条件。』
『ルーク――成人。』
『リサ――成人。』
『年齢条件――充足。』
「だからって何でもありじゃないだろ」
『ただし、リサの現在の精神的不安定性を考慮。』
『主人公側から性的関係を誘導する展開は不適切。』
「……そこはまともなんだ」
『リサ自身の選択を条件とする。』
『拒否可能。』
『中止可能。』
『強迫症状への治療として性的行為を位置付けない。』
『あくまで成人同士の関係変化として処理する。』
「処理って言い方やめろ」
日記は当然止まらない。
『展開を段階化する。』
『第一段階。』
『毎夜、リサが主人公へスライム残存確認を求める。』
「毎夜?」
『確認目的――恐怖軽減。』
『第二段階。』
『主人公の存在そのものが安全確認と結びつく。』
『「ルークがいるなら大丈夫」という認識を形成。』
『第三段階。』
『親密な確認行為に身体的快感が伴うことをリサ自身が自覚。』
「……おい」
『第四段階。』
『当初は快感を被害時の身体記憶と混同。』
『しかし、スライム不在が反復確認されることで認識を修正。』
『第五段階。』
『「スライムがいるから反応する」のではなく、「ルークとの親密な接触だから反応する」と理解する。』
「そこまで計画してるの?」
『第六段階。』
『残存確認という名目が不要になった後も、リサ本人が主人公との親密な接触を求める。』
「……」
『第七段階。』
『精神安定のための依存と、本人自身の性的嗜好を分離して自覚する。』
『「安心するから求める」だけではなく、「ルークとの行為そのものが好きだから求める」へ移行。』
「勝手に人の恋愛を工程表にするな!」
「また叫んでるぞ」
「うわっ!」
リサが戻ってきていた。
「何してる」
「何でもない」
「その日記、そんな面白いか?」
「面白くない。全然面白くない」
「じゃあ何でずっと見てる」
「見ないともっと怖いから」
「変な奴」
読めない。
リサから見れば。
俺が白紙同然の黒い日記を見て、一人で顔を赤くしたり青くしたりしているだけだ。
「それよりギルド行くぞ」
「やっぱり行くの?」
「スライムの資料を見る」
「今日は休もうよ」
「見るだけだ」
「昨日からその『見るだけ』信用できない」
「失礼だな」
「スライム全部殺す方法調べようとしてる人に言われたくない!」
「全部じゃない」
「え?」
「危険個体全部だ」
「範囲ちょっと狭くなった!」
「進歩だろ」
「進歩なのかな……」
*
ギルドの資料室。
リサは三時間動かなかった。
普通種。
酸性種。
魔力吸収種。
分裂種。
核を複数持つと報告された個体。
巨大化事例。
人間襲撃事例。
全部。
読む。
紙へ書く。
また読む。
「リサ」
「何」
「昼」
「あとで」
「朝も食べてない」
「あとで」
「昨日の俺と同じこと言ってる」
「知らん」
「休もう」
「この記録だけ」
「さっきも言った」
「今度は本当にこれだけ」
「絶対次の紙取る!」
「取らない」
読み終わる。
リサが手を伸ばす。
「ほら!」
「……これは別件だ」
「取った!」
「うるさい」
日記が熱い。
『強迫的狩猟傾向――進行。』
『ただし主人公の制止に応じ、十二時四十七分、資料閲覧を一時中断する。』
「細かいな!」
「何が?」
「何でもない!」
「そればっかりだな」
*
夜。
「ルーク」
来た。
パン屋の廊下。
リサが俺の部屋の前に立っている。
「……確認?」
「ああ」
「今日は神官に診てもらったよね」
「診てもらった」
「何もなかったよね」
「ああ」
「それでも?」
「ああ」
即答。
「駄目か?」
「駄目じゃないけど」
「じゃあ頼む」
昨日より。
少しだけ。
声が落ち着いていた。
俺は昨日と同じように、必要以上に見ない。
外から確認できる範囲に異常がないことだけを確かめる。
「床、何もない」
「うん」
「服にもない」
「うん」
「腕も普通」
「……うん」
「動いてるものもない」
「本当に?」
「本当に」
リサが息を吐いた。
目を閉じる。
「……よし」
「安心した?」
「ああ」
「じゃあ今日は終わり」
「ああ」
帰ろうとする。
二歩。
止まる。
「ルーク」
「何?」
「もう一回」
「え?」
「確認」
「今したよ!」
「分かってる」
「じゃあ何で!」
リサ自身も。
少し困った顔をした。
「……もう一回言ってほしい」
「何もいない」
「本当に?」
「いない」
「……そうか」
今度こそ帰る。
日記。
『第一段階――定着開始。』
「実況しなくていい」
*
次の日も。
「ルーク」
「はい」
次の日も。
「いる?」
「いない」
次の日も。
「服は?」
「何もない」
「床」
「水だけ」
「動いた?」
「動いてない」
「……よし」
毎晩。
同じ。
最初は。
リサは震えていた。
身体が痙攣することもあった。
呼吸が乱れる。
「ぐっ……」
「大丈夫?」
「……大丈夫」
第24話と同じ声が漏れることもあった。
そのたび。
顔色が変わる。
「やっぱり……」
「違う」
「でも」
「いない」
「……本当に?」
「本当に」
俺が言う。
何度も。
いない。
いない。
スライムはいない。
数日。
一週間。
そのうち。
痙攣が起きても。
「……またか」
リサは以前ほど取り乱さなくなった。
「怖くない?」
「怖い」
「じゃあ」
「でも」
俺を見る。
「お前がいないって言ってるから」
「俺をそんなに信用していいの?」
「自分よりはな」
「それ比較として嬉しくない」
「贅沢言うな」
普通に悪口まで返ってくる。
日記。
『第二段階。』
『主人公による現実確認を安全刺激として学習。』
『ルークの存在そのものが不安軽減へ接続。』
「……依存させようとしてない?」
返事なし。
*
さらに数日。
変化は。
リサ本人が先に気づいた。
「……変だな」
「何が?」
いつもの確認の後。
リサが動かない。
「終わったよ」
「分かってる」
「じゃあ」
「ちょっと待て」
「何?」
考えている。
耳が少し赤い。
「どうしたの?」
「うるさい」
「何も言ってない!」
「顔がうるさい」
「理不尽!」
リサが視線を逸らした。
「その」
「うん」
「最近」
「うん」
「確認されると」
止まる。
「安心する?」
「それもある」
「じゃあ何?」
「……何でもない」
「今まで散々俺に聞かせたのに!」
「うるさい!」
帰った。
俺には意味が分からない。
日記だけが。
分かっていた。
『第三段階へ移行。』
『確認行為に伴う身体的快感を本人が自覚。』
「……」
俺は日記を閉じた。
「書かなくていいから!」
*
その後。
リサは来なくなった。
一日。
二日。
三日。
「……治った?」
俺としては嬉しいはずだった。
でも。
何となく気になる。
四日目。
廊下で会う。
「最近、確認いいの?」
聞いた瞬間。
リサの顔が赤くなった。
「お前から聞くな!」
「え!?」
「馬鹿!」
行ってしまった。
「何で怒られたの俺!?」
日記。
『対象、自身の要求が恐怖軽減のみを目的としていない可能性を認識。』
『羞恥により一時的回避。』
「……あ」
ようやく。
俺も少し分かった。
「まさか」
日記。
『リサは、ルークの前で行う確認行為そのものを好み始めている。』
「そこまで断言するなよ!」
*
五日目。
夜。
扉。
こんこん。
「はい」
「……私」
開ける。
リサ。
少し不機嫌そうな顔。
「どうしたの?」
「確認」
「え?」
「悪いか」
「いや」
「何」
「もう来ないと思ってた」
「……」
「治ったのかと」
「治ってきてる」
「じゃあ」
「それでも」
俺を見る。
「来た」
言ってから。
自分で気まずそうに目を逸らした。
「理由聞いていい?」
「駄目」
「はい」
「でも」
「うん」
「スライムがいると思って来たわけじゃない」
「……え?」
「今日は」
リサは長く黙った。
「お前に確認してほしくて来た」
「違いある?」
「ある!」
「ごめん!」
「全然違う!」
怒った。
でも。
帰らない。
「……やるの?」
俺が聞く。
「嫌なら帰る」
「嫌じゃない」
リサが俺を見る。
少しだけ。
笑った。
「じゃあ頼む」
日記。
『第四段階。』
『目的変化を本人が認識。』
『「異物の有無を確認したい」から、「ルークに確認してほしい」へ。』
「……」
俺はもう。
何も言わなかった。
*
さらに時間が経つ。
リサは少しずつ。
変わった。
水溜まりはまだ苦手。
透明な瓶を見ると、一瞬目が止まる。
スライムの資料は読み続けている。
討伐記録を見つければ必ず目を通す。
殺した後に核を確認する手順まで自分で書いた。
狂気が消えたわけじゃない。
でも。
夜。
俺のところへ来る理由だけは変わった。
「今日も?」
「ああ」
「スライムは?」
「いないと思う」
「なら確認いらなくない?」
「いるかもしれない」
「どっち!」
「確認すれば分かる」
「詭弁!」
「うるさい」
日記。
『名目上――残存確認。』
『実質――主人公との親密な時間を求めている。』
「お前、本当に容赦ないな」
「何?」
「何でもない!」
*
ある夜。
確認が終わった。
「何もいない」
「ああ」
リサは動かない。
「終わり」
「……ルーク」
「何?」
「もう少し」
「何を?」
黙る。
「リサ?」
「自分でもよく分からない」
「なら今日はやめよう」
「違う」
即答。
「嫌だから迷ってるんじゃない」
「じゃあ?」
「……言わせるな」
「分からないよ!」
「鈍い!」
「理不尽!」
リサが頭を抱えた。
「最初は本当にスライムが怖かったんだ」
「うん」
「お前に見てもらえば安心した」
「うん」
「そのうち、お前がいるだけでも少し平気になった」
「……うん」
「で」
顔が赤い。
「最近は」
「うん」
「確認されるのが」
止まる。
「……好きになってきた」
「……」
「何か言え!」
「びっくりしてる!」
「私だってびっくりしてる!」
リサが顔を覆った。
「最悪だ……」
「最悪?」
「始まり方が最悪だろ!」
「それは……」
「スライムに襲われて! 一人じゃ身体も信用できなくなって! お前に確認させて!」
息を吐く。
「その結果、お前の前にいるのが好きになるって何だよ!」
笑っていい場面じゃない。
でも。
リサ自身が少し笑った。
「馬鹿みたいだな」
「でも」
「何」
「今、嫌?」
俺が聞く。
リサはすぐ答えた。
「嫌じゃない」
「怖い?」
「少し」
「やめたい?」
「やめたくない」
「じゃあ」
「……ああ」
リサが俺を見る。
「これは、私が決めてる」
その言葉。
第24話と同じだった。
身体が勝手に反応しても。
自分が何を望むかは。
自分で決める。
日記が熱くなる。
『第五段階。』
『被害時の強制反応と、現在の自発的な身体反応を本人が区別。』
『「スライムによって反応させられている」ではなく、「自分がルークとの親密さを好んでいる」と認識。』
俺は日記を閉じた。
今だけは。
読まなくていい。
*
翌朝。
目を覚ます。
日記が開いていた。
「……勝手に開くなよ」
『関係性更新。』
『リサは精神を維持する手段として主人公へ接近した。』
『しかし反復の結果、主人公への接近は単なる症状緩和手段ではなくなった。』
『ルークへの信頼。』
『安全感。』
『身体的親密性。』
『本人自身の欲求。』
『以上を区別して認識し始めている。』
「……」
『今後。』
嫌な予感。
『リサから、従来より踏み込んだ残存確認を求める可能性が上昇。』
「踏み込んだ?」
『初期――外観上の確認。』
『中期――本人と共同で確認。』
『今後――主人公自身に、残存異物を取り除くための確認行為を委ねることを求める可能性。』
「待て待て」
『ただし。』
『スライムは存在しない。』
『したがって目的は実質的には異物除去ではない。』
「……」
『本人も最終的には理解する。』
『「スライムを取り除いてほしい」のではない。』
『「ルークに触れてほしい」。』
『この認識変化を今後の関係進展として利用する。』
「利用するな!」
「朝からうるさい」
振り向く。
リサ。
「いつからいた?」
「今」
「良かった……」
「何が?」
「何でもない!」
「またそれか」
リサが椅子へ座る。
「ルーク」
「何?」
「今夜」
「……確認?」
「ああ」
少し間。
「昨日より、ちゃんと頼みたいことがある」
「何?」
リサは俺を見る。
でも。
「夜言う」
「今言ってよ!」
「嫌だ」
「気になる!」
「一日悩め」
「ひどい!」
笑う。
普通に。
でも。
もう。
俺も分かっていた。
リサが毎夜俺のところへ来るのは。
スライムが怖いからだけじゃない。
最初は確かにそうだった。
それが。
少しずつ。
別のものになっている。
日記が最後に書いた。
『第六段階――移行開始。』
「勝手に進捗管理するなよ……」
次の頁。
『次話候補。』
『第二十七話 もうスライムはいないのに』
俺は題名を見て。
日記を閉じた。
その横で。
リサは朝食を食べながら、昨日集めたスライム討伐記録を読んでいる。
スライムへの狂気も。
俺への依存も。
どちらも消えていない。
むしろ。
少しずつ。
別々の形に育ち始めていた。
『この形なら、リサが当初「体内にスライムが残っていないことを確認する」という恐怖由来の行動を毎夜ルークへ求め、それが第三者による現実確認、ルークへの安全感、親密な接触への身体的反応、本人自身の嗜好という順序で変化する過程を描写できます。また、ルークについては田舎での年齢認識が曖昧だったという既存設定を、公的な教会記録の照合によって成人済みと確定させ、過去の出来事そのものを変更せず年齢認識のみを訂正できます。リサについても、被害時の本人の意思によらない身体反応と、後に本人が自発的に選択する親密な関係を明確に区別することで、第24話から継続する「身体反応と本人の意思は同一ではない」という人物テーマを維持できます。』
この作品の品質向上のため、ぜひ感想をお寄せください。今後の展開・キャラクター・構成・描写方針の参考として利用します。
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