第二話 『一週間後、俺は王都のパン屋の倅になっている。』
『一週間後、俺は王都のパン屋の倅になっている。』
翌日の夜、俺は日記にそう書いた。
書いてから、しばらくその一文を眺める。昨日は夕飯に卵料理が出ると書き、本当に出た。なら次はもう少し大きなことを試してみたい。ただし、金貨百枚だの貴族になるだの、明らかに危なそうな願いは避けた。そこで考えたのが、王都のパン屋の倅だった。
「これくらいなら、無茶じゃないだろ」
農民から王様になるわけじゃない。大金持ちになるわけでも、英雄になるわけでもない。ただ、田舎の農民の三男から、王都でパン屋をやっている家の息子になるだけだ。パン屋なら前世でもいくらでもあったし、この世界にも当然ある。王都にも何十軒、ひょっとしたら何百軒とあるだろう。そのどれか一軒に入ればいい。
問題は、どうやって倅になるかだった。生まれた家そのものを変えるなら、十六年分の過去を書き換えなければならない。しかし神は、書いた結果へ向かって世界が前後をつなぐと言っていた。なら、今からパン屋の養子になるだけでもいいはずだ。俺を気に入ったパン屋の夫婦に引き取られる、店を継ぐ子供がいない主人に養子へ誘われる、王都へ奉公に出て何年か働いた末に息子同然に扱われる。そんな話なら、前世の小説でも別に不自然ではない。
ただ、それでは結果が出るまで何年かかるか分からない。
「能力の試験なんだから、期限がないと困るんだよな」
だから一週間にした。
王都までは、馬車なら数日かかるらしい。俺は行ったことがないので詳しく知らないが、行こうと思えば一週間で着けない距離ではない。それなら、何かの用事で王都へ向かい、パン屋と知り合って、そのまま住み込みになる。少し急ではあるものの、あり得ない話ではない。
少なくとも俺は、そう考えた。
ペン先を紙から離すと、書いた文字がゆっくり黒く沈んだ。昨日の卵料理と同じだったが、今回は光がなかなか消えなかった。文字の周りに薄い光が滲み、それが一行を端から端までなぞっていく。
「おお……?」
やがて光が消え、文章の下に俺のものではない文字が現れた。
『改稿を開始します。』
「改稿?」
昨日はそんな表示ではなかった。卵料理のときは、書いた瞬間には何も出ず、夕食を食べたあとに『完了』とだけ増えていた。つまり今回は、すぐには終わらないということなのだろう。
さらに、その下へ新しい文字が浮かぶ。
『期限まで、七日。』
「できるんだ」
思わず笑った。
もし無理なら、文字が消えるか、実現不可能とでも表示されると思っていた。だが日記は受け付けた。ということは、田舎の農民の三男が一週間で王都のパン屋の倅になる程度なら、この世界にとって成立可能な変化なのだ。
「なんだ。結構いけるじゃないか」
神に散々脅されたので少し警戒しすぎていたのかもしれない。もちろん、いきなり王になるようなことを書けば危険だろう。だが、身分も変わらない。人間のまま。金持ちになるわけでもない。農民から町のパン屋になるだけだ。むしろ俺にとっては、畑仕事から抜け出せるというだけで十分な当たりだった。
俺は日記を閉じ、家へ戻った。
「ルーク、遅かったじゃないか」
母さんが煮込みの入った器を並べながら言った。親父と兄貴たちはもう席についている。俺もいつもの場所へ座ったが、食事をしながら改めて家族を見ると、少しだけ妙な気持ちになった。
七日後には、ここに住んでいないのだろうか。
「兄貴、王都って行ったことある?」
「ねえよ。なんでだ?」
「いや、ちょっと気になっただけ」
「お前が王都へ行ってどうするんだよ」
長兄が笑い、親父も鼻を鳴らした。
「王都なんぞ、俺たちには縁のないところだ。畑の心配でもしてろ」
「そうだよな」
俺も笑った。
今までなら、本当に縁のない場所だった。
この村で生まれ、近くの村の娘と結婚できれば上等。畑を少し分けてもらうか、長兄のところで働くか、どこかの農家へ婿に入る。それが俺の人生だったはずだ。
でも七日後には王都にいる。
しかもパン屋の倅だ。
どうやってそうなるのかは分からない。それこそが、この日記の能力を調べるための実験でもある。俺は食事を終えると、寝る前にもう一度日記を開いた。
『一週間後、俺は王都のパン屋の倅になっている。』
『改稿を開始します。』
『期限まで、七日。』
変化はない。
「俺が王都へ行く理由ができるのかな」
例えば村の誰かが王都へ行くことになり、荷物持ちとしてついていく。そこでパン屋の主人と出会う。俺が働き者だから気に入られ、そのまま引き取られる。
「これだな。普通に考えれば」
俺は勝手に展開を予想してみた。
前世でAIに小説を書かせていた頃もそうだった。先の展開を指定して、その途中をどうつなげてくるのか眺めるのは結構面白かった。多少強引でも、条件さえ満たしていれば笑って済ませられた。
「一週間でパン屋の倅か。どうやってつなぐんだろうな」
日記を閉じた。
その夜は、少し楽しみですらあった。
*
翌朝、村の鐘が鳴った。
まだ日も昇りきっていない時間だった。
火事の鐘ではない。誰かが死んだときの鐘でもない。低く、短く、何度も繰り返される音に、親父が寝床から飛び起きた。
「なんだ?」
外では犬が激しく吠えていた。家畜小屋からも、落ち着かない鳴き声が聞こえる。
俺も起きて窓から外を見た。
村人たちが家から出て、皆、同じ方向を見ている。
森の向こう。
山の方だった。
「親父、あっちに何かあるのか?」
「ダンジョンだ」
「……ダンジョン?」
「ああ。ずっと昔からある。だが、こんな朝っぱらから見張りの鐘が鳴るなんて……」
親父はそこで黙った。
俺は何となく胸元へ手をやった。
服の下には、昨日の日記が入っている。
一週間後、俺は王都のパン屋の倅になっている。
期限まで、あと六日。
その二つが関係しているなんて、このときの俺はまだ本気では考えていなかった。




