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世界改稿日記 ~なろうによる世界破綻~  作者: 黒瀬 量衡


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第一話 世界を書き換える「なろう」

鍬を振り下ろした瞬間、知らないはずの人生が頭の中に流れ込んできた。


「ぐっ……なんだ、これ……」


思わず鍬を放り出し、畑に膝をつく。頭が割れそうな痛みの中で、見たこともない街、鉄の箱が走る道路、空を飛ぶ飛行機、手のひらほどの板を眺めながら歩く人々の姿が次々と浮かんだ。それなのに、どれも知らないものではなかった。日本、東京、電車、スマートフォン、インターネット――名前まで知っている。


そして俺は、自分が一度死んでいることを思い出した。


前世の俺は日本人だった。どこにでもいる会社員で、仕事から帰ればネットを見て、小説投稿サイトを読み、暇があれば自分でも小説を書いていた。もっとも、途中からは自分で全部書くのが面倒になり、AIに設定や展開を投げて文章を書かせ、それを直して投稿することの方が多かった。


『主人公をここで貴族にして』『王女と結婚させて』『この敵は次の話で倒して』。思いつくまま無茶な指示を出すたび、AIから「前後の整合性がありません」「この展開には事前の伏線が必要です」などと返されていた。そんなことまで思い出したところで、ようやく目の前の畑が見える。


今の俺はルーク、十六歳。田舎の小さな村で生まれた農民の三男だ。


「ルーク! 何をぼさっとしてる!」


遠くから親父の怒鳴り声が飛んできた。顔を上げれば、親父と二人の兄がこちらを見ている。母さんもいる、家もある、この畑で十六年育ってきた記憶もちゃんとある。その上に、別の人生が丸ごと重なっていた。


「悪い! ちょっと頭が痛くて!」


そう返して鍬を拾ったとき、今度は耳ではなく、頭の中に直接声が響いた。


『前世を思い出しましたね』


また鍬を落としかけた。


「誰だ?」


『あなたをこの世界へ転生させた神です』


あまりにも堂々と言われ、逆に疑う気が失せた。ついさっき前世を思い出したばかりなのだから、神が出てきたところで今さらである。ただ、一つだけ文句はあった。


「遅くないか? 俺、もう十六だぞ」


『幼いうちに前世の記憶を与えると、今世の人格形成に支障が出る可能性があったためです。肉体と精神がある程度成長するまで封じていました』


「なるほど……いや、そういうもんなのか?」


『そういうものです。それと、転生者としての能力をお渡しします』


その言葉には反応した。


前世で散々読んだ異世界転生だ。剣聖、賢者、無限収納、鑑定、経験値増加、ステータス、強力な魔法。何が来ても驚かないつもりでいた俺の足元に、ぽとり、と一冊の本と一本のペンが落ちた。


黒い革張りの日記帳と、黒いペンだった。


「……これ?」


『はい』


「日記帳?」


『はい』


「剣とか魔法とかじゃなく?」


『日記帳とペンです』


思っていたものと違いすぎる。拾って表紙を眺めても文字一つなく、中を開けば真っ白な紙が続いている。どこからどう見ても、ただの日記帳だった。


「これで何をするんだ?」


『書いてください。その日記には、記した内容を現実へ反映する力があります』


一瞬、意味が分からなかった。


「……現実へ反映?」


『簡単に言えば、世界を書き換えられます』


「それ、剣とか魔法どころじゃないだろ」


思わず日記を持つ手に力が入る。世界を書き換えられるなら、金持ちにもなれる。貴族にもなれる。極端な話、王にだってなれるかもしれない。


「俺が世界一の金持ちになる、と書いたら?」


『実現可能であれば』


「国王になる」


『実現可能であれば』


「不老不死」


『それは不可能です』


「なんでだよ」


『この世界に存在しないものを、理由もなく成立させることはできません。その日記が改変できるのは、あくまで無理のない範囲です』


無理のない範囲。その言葉が妙に引っかかった。


「どこまでが無理じゃないんだ?」


『前後がつながる範囲、と考えると分かりやすいでしょう』


神の説明によれば、日記に書けば結果だけが突然空から降ってくるわけではないらしい。今ある世界には、それまで積み重なってきた出来事がある。その過去からつながる形で、書いた結果までたどり着かなければならない。


「例えば、俺が明日金貨百枚を手に入れると書いたら?」


『現在のあなたには、金貨百枚を得られる仕事も財産もありません。ですから、それを手に入れられる出来事が必要になります』


「宝を見つけるとか、金持ちを助けて礼をもらうとか?」


『可能性はあります』


「じゃあ問題ないじゃないか」


『金貨を運ぶ商人が盗賊に襲われ、その盗賊がこの村の近くまで逃げてきて、討伐された後にあなたが金貨を得る、という形になる可能性もあります』


俺は黙った。


「……過程は選べないのか?」


『結果に至るために必要な変化は、世界が矛盾の少ない形で補います。大きな改変ほど多くの出来事が必要になり、短期間で実現させようとするほど、その出来事も急激になります』


そこでようやく、前世の妙な経験と結びついた。


「AIに小説を書かせるのと同じじゃないか」


『えーあい?』


「こっちの話だ」


主人公を王にしたい、とだけ書いても、そのままでは話がつながらない。王族の血を引いていたことにするのか、王女と結婚させるのか、革命を起こすのか、その間を埋めなければ物語にならない。前世ではAIが文章の中でやっていた辻褄合わせを、この日記は現実そのものでやる。


「つまり、無茶を書けば書くほど、その無茶を成立させるために世界の方が色々やる、と」


『おおむね、その理解で問題ありません』


「……怖くないか、これ?」


『使い方次第です』


「そこ一番ちゃんと説明してくれよ」


返事はなかった。嫌な予感がして呼びかける。


「神様?」


『それでは、よい人生を』


「待て待て待て! まだ聞きたいことが――」


声はそこで消えた。


何度呼んでも返事はなく、残ったのは畑の真ん中で日記とペンを持って立っている俺だけだった。ずっと向こうから親父がまた怒鳴っている。このままでは別の意味で俺の人生が終わりそうなので、日記を服の中へ隠して畑仕事へ戻った。


その日の仕事が終わったあと、俺は納屋の陰で日記を開いた。


いきなり金貨百枚なんて試す気にはなれない。もっと小さくて、失敗しても誰も困らないものがいい。しばらく考えてから、俺は最初の一文を書いた。


『今日の夕食に卵料理が出る。』


文字が紙へ染み込むように黒くなり、ほんの一瞬だけ淡く光った。それだけだった。


何かが爆発するでもなく、空から卵が降ってくるでもない。本当に効いたのかと疑いながら家へ戻ると、台所にいた母さんが籠の中から卵を取り出していた。


「今日は卵を焼くよ。隣の家の鶏がずいぶん卵を産んだらしくてね。食べきれないからって分けてもらったんだ」


俺は思わず母さんの顔を見た。


「……今日、卵?」


「そうだけど、どうしたんだい?」


「いや、何でもない」


夕食には本当に卵料理が出た。


食事を終えると、俺はすぐ納屋の裏へ行って日記を開いた。自分で書いた一文はそのまま残っていたが、その下に、俺が書いていない小さな文字が増えていた。


『完了』


しばらく、その二文字を眺め続けた。


偶然だった可能性はある。いや、むしろ結果だけ見れば完全に偶然だ。隣の家の鶏が卵を多く産み、それを母さんがもらい、夕食に出した。ただ、その偶然が俺の書いた通りに起こった。


「本物か……」


背筋がぞくりとした。


農民の三男として生まれた俺には、大した将来なんてない。畑は長男が継ぐ。次男はどこかへ奉公に出るだろう。三男の俺は、その余りだ。村を出たとしても、読み書きが少しできる程度の農民の子供に選べる人生など、そう多くない。


けれど、この日記があれば違う。


金持ちになれるかもしれない。冒険者にも、商人にも、ひょっとしたら貴族にだってなれるかもしれない。


神は無茶をするなとは言わなかった。ただ、無理のない範囲でしか改変できないと言った。そして、前後がつながらなければならないとも。


だったら、どこまでならつながる?


俺は新しいページを開き、真っ白な紙の上にペン先を置いた。


「……もう少しだけ、無茶してみるか」


このときの俺は、まだ分かっていなかった。


物語なら、展開がおかしければ書き直せばいい。


けれど現実では、一度書かれた辻褄合わせまで消せるとは、神は一言も言っていなかった。


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