第十九話 『念のため、他の女性キャラクターが存在しないか確認します。』
地下水路へ入る直前、日記がまた勝手に書き始めた。
『念のため、他の女性キャラクターが存在しないか確認します。』
「念のためで人の人生を棚卸しするなよ……」
返事はない。日記はもう完全に執筆へ処理を集中している。俺の抗議など無視して、これまで登場した人物を遡り始めた。
『既存女性キャラクターを再検索。』
『セリア。成人女性。女冒険者。第一ヒロイン候補。』
『ミレア。成人女性。女冒険者。第二ヒロイン候補。』
『リサ。成人女性。女魔術師。現在同行予定。人格情報取得中。』
『パン屋の女将。成人女性。生活拠点提供者。主人公を「倅」として扱う。独り身。』
「女将まで入れるな!」
俺は思わず声を上げた。
店の前で待っていたリサが振り返る。
「何か言ったか?」
「何でもない!」
日記を見る。
『女将について再評価する。』
「やめろ」
『主人公との関係――養育者に近い。』
『年齢差――あり。』
『日常生活上の接触頻度――極めて高い。』
『主人公の生活基盤、職業、帰宅先を提供。』
『パン屋襲撃時には主人公を守るため魔物を鉄鍋で殴打。』
「そこまで記録してんのかよ」
『ヒロイン候補としての新規性――高。』
「高くない!」
『既存二名が冒険者であるため、非冒険者かつ年上の生活密着型女性として属性差別化可能。』
「女将は女将でいいんだよ!」
当然、止まらない。
『ただし、現時点で主人公との関係は擬似的な親子関係に近い。恋愛方向へ急激に変更した場合、既存ストーリーとの整合性が低下する。』
「そう! それ!」
『直近での恋愛ヒロイン化は不採用。』
俺は胸を撫で下ろした。
『長期候補として保持。』
「保持するな!」
日記は次へ進んだ。
『その他の既存女性。』
『ギルド職員――複数存在。ただし個体識別に必要な描写不足。』
『冒険者――複数登場。ただし死亡、負傷、背景人物として処理済みの者が多い。』
『ゴブリン事件救出者――ミレア以外にも成人女性が存在する可能性あり。ただし現時点では固有キャラクターとして未成立。』
『新規ヒロインとして再利用するより、既存三名および女将の掘り下げを優先する。』
「……増やすのやめた?」
『ハーレム構成として四名候補を確保。新規追加を一時停止。』
「女将を勝手に四人目に数えるな!」
そこまで書くと、ようやく日記の筆が地下水路へ戻った。
『ストーリーを進行する。』
俺は嫌な顔をした。
「その一文、いちいち怖いんだよ」
『第十九話。地下水路調査を開始。』
*
地下水路へ入ったのは、俺、リサ、それから男の冒険者二人だった。
一人は盾を持った大柄な男で、ダリオ。もう一人は短剣を使う痩せた男で、フェンという。
「お前がゴブリンキング倒した新人か?」
ダリオが聞いてきた。
「倒してません。大勢で殺しました」
「でも刺したんだろ?」
「最後にちょっと」
「十分だろ」
「十分じゃないんですよ……」
俺としては薬草採集くらいから始めたかった。
なのに登録初日からゴブリン救援、そのままキング討伐、今度は地下水路だ。
なろう主人公の序盤みたいな速度で危険度だけが上がっている。
「止まれ」
先頭のリサが手を上げた。
地下水路は思っていたより広かった。石造りの通路の中央を黒い水が流れ、左右には人が歩ける幅の足場がある。壁には一定間隔で魔石灯が埋め込まれていたが、奥へ進むほど壊れているものが増えていた。
「粘液」
リサが壁を指した。
薄く透明な膜が張り付いている。
「普通のスライム?」
「分からない。普通なら、こんな広範囲に痕跡を残さない」
魔術師らしく、指先に光を灯して調べる。
俺は胸元の日記を確認した。
熱くない。
それが逆に嫌だった。
もう展開を書き終えているのかもしれない。
三十分ほど進んだところで、フェンが足を止めた。
「何かある」
水路の脇。
暗がりの中に、人間の靴が見えた。
「清掃員か?」
ダリオが盾を前にして近づく。
俺も後ろから覗いた。
最初は、寝ているだけに見えた。
男だった。
作業服を着て、壁にもたれて座っている。
「おい」
返事はない。
リサが光を近づけた。
顔が見えた。
「……死んでる」
俺は息を止めた。
身体に大きな外傷はない。
なのに皮膚が異様に白い。
頬は落ち、目は窪み、身体中の水分を抜かれたみたいに干からびていた。
「これ、何されたんだ?」
フェンがしゃがむ。
「触るな!」
リサが叫んだ。
遅かった。
死体の服の下から、透明なものが動いた。
「うわっ!」
フェンが飛び退く。
ぬるり、と細い粘液の筋が死体の袖口から這い出した。
地面へ落ちる。
水路へ逃げる。
「焼く!」
リサが杖を向けた。
火球が飛んだ。
粘液が蒸発し、嫌な臭いが広がる。
その瞬間。
奥の暗闇から、水音がした。
一つではない。
ざぶ。
ざぶ。
ざぶ。
何かが、水路の中を移動している。
「一匹じゃない」
ダリオが盾を構えた。
俺の胸元が熱くなった。
「……今かよ」
日記を開く。
文字が増えている。
『既存女性キャラクター確認完了。』
「そっち終わったのかよ!」
『女将を長期ヒロイン候補へ追加。』
「今それどうでもいい!」
『地下水路編を進行。』
その下。
『変異スライムは単独個体ではない。』
「……は?」
『清掃員二名の行方不明という既存事象から、一体のみでは事件規模が不足する。』
水音が近づく。
『群体型として処理する。』
「勝手に強化すんな!」
『また、直近話で予告済みの「地下水路で三人死ぬ」を回収する必要がある。』
俺の手が止まった。
四人で入った。
俺。
リサ。
ダリオ。
フェン。
三人死ぬ。
「……おい」
日記は俺を見ない。
ただ、次を書いた。
『第一死亡者は既に発見済みの清掃員として処理可能。』
俺は息を吐いた。
「そういう数え方か……」
『残り二名。』
「安心させてから落とすな!」
水路から透明な塊が飛び出した。
「来るぞ!」
ダリオが叫ぶ。
盾へ何かがぶつかった。
ばしゃん、と液体が弾ける。
次の瞬間、盾の表面が煙を上げた。
「溶けてる!」
ダリオが盾を捨てた。
その後ろ。
フェンの足元から別の粘体が這い上がった。
「うわっ! 取れ!」
「動くな!」
リサが魔法を構える。
撃てない。
フェンの脚へ完全に絡みついている。
「熱っ……熱い! 切れ! 脚ごとでもいい!」
「待て!」
俺が棒で殴る。
手応えがない。
粘体が棒へまとわりつき、そのままこちらへ伸びてくる。
「くそっ!」
捨てる。
リサが杖を振った。
風が爆発した。
フェンごと吹き飛ばす。
粘体が剥がれ、水路へ落ちた。
「大丈夫か!」
「脚が……」
ズボンが溶けていた。
皮膚も赤黒くただれている。
それでも生きている。
「撤退するぞ!」
ダリオが叫んだ。
俺も賛成だった。
今日は調査だ。
敵の正体は分かった。
帰ればいい。
なろうなら、ここで引けない理由が出てくる。
俺はそこまで考えて、嫌になった。
「……絶対何か来る」
「何が?」
リサが聞いた。
そのとき。
奥から女の悲鳴がした。
「助けてえええ!」
全員が止まった。
「……ほら来た」
俺は頭を抱えた。
生存者。
奥にまだ誰かいる。
これで撤退できない。
日記が熱くなる。
『撤退理由を上回る救助理由を挿入。』
「挿入したって書くなよ!」
『女性生存者を配置することで、地下水路編の緊張維持と既存ヒロイン候補数の再評価が可能。』
「さっき新規追加を停止したばっかりだろ!」
さらに一行。
『停止は恒久ではない。』
「会話してないのに屁理屈だけ文章で書くな!」
リサが俺を見る。
「行くぞ」
「……行くんだよな」
「人がいる」
分かっている。
これが物語でなくても、行くしかない。
助けを求める声を聞いて、そのまま帰れるほど俺は割り切れない。
だから日記は、その声を置いた。
『主人公の既存人格から、救助要請を無視する展開は不自然。』
「俺まで設定として利用すんなよ」
リサたちはもう走り出している。
俺も後を追った。
日記には、さらに補足が書かれていた。
『この形なら、既存女性キャラクターを再確認することで、女将を含む過去登場人物を将来的なヒロイン候補として再利用できます。ただし、女将は現在の擬似親子関係との整合性から即時恋愛化せず、長期候補に留めます。また、地下水路編では分析だけで足を止めず、最初の死体、変異スライムとの接触、負傷者、撤退を妨げる生存者の悲鳴まで進行させることで、次話へ明確に接続できます。』
「最後まで構成が冷静すぎるんだよ!」
悲鳴がもう一度響いた。
今度は、もっと近かった。
そして日記の最後に、次の題名が浮かんだ。
『第二十話 四人目ではありません』
「その題名でもう女だって分かるんだよ!」
俺たちは暗い地下水路の奥へ走った。
この世界で一番信用できない言葉が、また一つ増えた。
念のため。
日記がそう書いたときは、たいてい何かが増える。




