第百二十一話 騎士隊長は三人とも本人でした
翌日の昼前、王都の鐘が何度も鳴った。
火事ではない。外敵でもない。東区で建物の一部が崩れ、巡回中だった騎士団が巻き込まれたらしい。
その話を聞いた時、俺は昨日の日記を思い出した。
『次工程。個別悲劇。』
名前は五つ。
順番までは書かれていなかった。
でも。
嫌な予感は。
すぐに当たった。
「アーデル隊長が重傷だって!」
店へ飛び込んできた常連の冒険者が言った。
「生きてる?」
「治療院へ運ばれた。かなりまずいらしい」
俺は。
エプロンを外した。
「女将」
「行ってきな」
何も聞かず。
言われた。
*
王立治療院は騒然としていた。
崩落事故で負傷者が何人も運び込まれている。
廊下には騎士。
治療師。
泣いている家族。
その中に。
アーデルの夫と娘がいた。
「お母さんは?」
娘が。
何度も。
聞いていた。
「治してもらってる」
父親が答える。
「昨日、早く帰るって言った」
「分かってる」
「今日も帰る?」
「……帰る」
その約束。
昨日。
パン屋で。
聞いた。
俺は。
何も。
言えなかった。
そこへ治療師が出てきた。
フィリアではない。
別の男だった。
「ご家族ですか?」
「夫です」
「娘です!」
「……説明があります」
その顔で。
分かった。
「助からないんですか?」
夫が聞いた。
「通常の治療では」
娘が。
父親の服を。
掴んだ。
「通常じゃない方法なら?」
俺が。
聞いていた。
治療師がこちらを見る。
「新しい救命術があります」
嫌だった。
その言葉。
この世界で。
新しい救命術。
それは。
もう。
普通の救命じゃない。
「何をするんです?」
「損傷した身体を一つの身体として再生するのではなく、まだ保たれている生命情報を複数の生体へ分散します」
「……複数?」
夫が。
聞き返した。
「一人を」
治療師が。
言葉を。
選ぶ。
「三人として、生存させます」
誰も。
すぐには。
理解できなかった。
「三人って」
「アーデルさんの身体を三つ作る、ということです」
「偽物?」
夫の声が。
低くなる。
「違います」
「じゃあ何なんだ!」
「事故直前までの記憶、人格、技能、自己認識を全て保持します」
「それを三人に?」
「はい」
「三人ともアーデル?」
治療師は。
少しだけ。
黙った。
「そう判断されます」
*
選ぶ時間はなかった。
何もしなければ。
アーデルは。
死ぬ。
夫は。
娘を見た。
娘は。
「お母さん助けて」
と。
言った。
それで。
決まった。
*
三時間後。
治療室から。
最初の一人が出てきた。
アーデルだった。
少し。
顔色は悪い。
でも。
アーデル。
「……あなた」
夫が。
立ち上がる。
「ごめん」
アーデルが。
最初に言った。
「今日は、早く帰れなかった」
娘が。
泣いた。
「お母さん!」
抱きつく。
アーデルも。
抱きしめる。
「ただいま」
それだけなら。
救われた。
そう。
思えた。
でも。
治療室の扉が。
また。
開いた。
二人目。
アーデル。
「……」
全員。
動けなかった。
二人目のアーデルが。
最初のアーデルを見る。
「……私?」
最初のアーデルも。
同じ顔をした。
「……私?」
さらに。
三人目。
アーデル。
「……何これ」
三人。
同じ声。
同じ顔。
同じ傷跡。
同じ騎士団の記憶。
同じ夫。
同じ娘。
「お母さん……?」
娘が。
最初のアーデルから。
少し。
離れた。
三人とも。
その顔を見て。
同時に。
辛そうな顔をした。
「私だよ」
一人が言う。
「違う、私」
二人目。
「違わない」
三人目。
「三人とも」
そこで。
全員。
黙った。
*
確認が始まった。
「夫の名前は?」
三人とも同じ。
「娘の誕生日」
同じ。
「結婚した日」
同じ。
「初めて夫と会った場所」
同じ。
「娘が去年熱を出した時、誰が朝まで看病した?」
三人とも。
「私」
だった。
騎士団でも。
同じ。
部下の名前。
任務。
暗号。
隊長として出した命令。
全部。
三人とも。
知っている。
事故が。
起きる。
その瞬間まで。
全部。
同じ。
そこから。
三つに。
分かれただけ。
「どれが本物なんです?」
夫が。
聞いた。
治療師は。
答えられなかった。
「生命情報上は」
少し。
間を置く。
「全員です」
「そんな」
「三人とも事故前のアーデルさんから連続しています」
「でも」
夫が。
三人を見る。
「俺の妻は一人だ」
誰も。
何も。
言えなかった。
*
問題は。
すぐ。
始まった。
自宅は。
一軒。
夫は。
一人。
娘は。
一人。
騎士隊長の地位も。
一つ。
「三人とも家に帰りたい?」
聞かれて。
三人とも。
「帰りたい」
と。
答えた。
「騎士団へ戻りたい?」
「戻る」
「戻る」
「当然」
「夫との婚姻は?」
三人とも。
夫を見る。
「続いてる」
同じ。
「娘の親権は?」
「私」
「私」
「私」
その瞬間。
三人のアーデルが。
初めて。
互いを。
嫌そうに。
見た。
「……私の娘だから」
一人が。
言った。
「私の娘でもある」
「私だってそう」
娘は。
泣いた。
「喧嘩しないで!」
三人とも。
同時に。
「ごめん」
と言った。
そのせいで。
余計に。
泣いた。
*
その夜。
俺は。
日記帳を。
開いた。
『第一事例。アーデル。』
「……」
『事故――発生。』
『死亡回避――成功。』
『身体――三個体へ分散。』
『人格――保存。』
『記憶――保存。』
『技能――保存。』
『自己認識――保存。』
『本人性――三個体すべてで成立。』
成功。
また。
その言葉。
『喪失。』
『一人分の人生。』
「……」
ぞっとした。
『夫――一名。』
『娘――一名。』
『自宅――一軒。』
『騎士隊長職――一席。』
『戸籍――一名分。』
『財産――一名分。』
『婚姻関係――一組。』
『本人――三名。』
人は。
三人に。
増えた。
でも。
人生は。
増えていない。
『三個体とも偽物ではありません。』
『三個体とも本人です。』
『従って、一個体を本物として選択し、他二個体を偽物として処理することは因果上不適切。』
「じゃあどうするんだよ」
もちろん。
返事はない。
『社会制度側での処理が必要です。』
また。
制度。
『一人の人間に一つの戸籍、一つの婚姻、一つの親権、一つの職位を付与する現在制度では処理不能。』
『レナ事例に続き、本人性制度への追加負荷が発生します。』
俺は。
ページを。
睨んだ。
「また世界を変えるのか」
『悲劇評価。』
勝手に。
続く。
『死亡――回避。』
『身体欠損――なし。』
『人格破壊――なし。』
『記憶喪失――なし。』
『家族関係――存在。』
『職業関係――存在。』
『本人の人生のみ――一人分では不足。』
それ。
だけ。
だった。
でも。
それだけで。
全部。
壊れる。
『長期展開適性――高。』
「……」
『本人を死亡させるより、本人を複数生存させた方が継続利用可能な問題数は増加します。』
夫。
娘。
家。
仕事。
全部。
三人が。
欲しい。
だって。
三人とも。
昨日まで。
それを。
持っていた。
『次事例へ移行します。』
その下に。
名前。
『エルシア。』
「……やめろ」
日記は。
聞かない。
アーデルは。
助かった。
三人とも。
生きている。
誰も。
死んでいない。
それなのに。
昨日より。
酷いことに。
なった気がした。




