第百十九話 『新規キャラクター五名を追加します。』
朝、店を開ける前に日記帳を確認すると、見出しが一つ増えていた。
『新規キャラクター五名を追加します。』
「……また増やすのか」
当然、返事はない。
『既存主要キャラクターは、個人単位の事件から社会、制度、生態、種族への影響へ移行しています。新規キャラクターについては、現在までと異なる悲劇構造を検証するため、既存生活および人間関係を持つ成人女性五名を追加します。』
「悲劇構造って最初から書くなよ……」
『第一人物。アーデル。成人女性。王都騎士隊長。既婚。夫および娘一名。王都警備担当。』
『第二人物。エルシア。成人女性。王都戸籍局職員。両親健在。独身。レナ関連の本人性および戸籍問題を担当。』
『第三人物。ヴェラ。成人女性。新人類対策局所属。旧来人類。人間と新人類の法的区分を重視。』
『第四人物。フィリア。成人女性。王立治療院治療師。弟子三名。身体だけではなく人格および生活まで含めた回復を治療と定義。』
『第五人物。ノエル。成人女性。地方神殿所属神官。王都研修中。故郷に両親、兄、友人多数。研修終了後に帰郷予定。』
名前と仕事と家族。
それだけ。
まだ何も起きていない。
それなのに、俺にはもう嫌だった。
『本話では事件を発生させません。』
「……」
『五名を主人公の日常圏へ配置します。』
そこで日記を閉じた。
今日はパン屋の日常でいい。
そう思った。
*
「五十個?」
女将が声を上げた。
「はい。明日の朝までに」
最初に店へ来たのは、背の高い女騎士だった。短く整えた髪。腰には剣。鎧の胸には王都騎士団の徽章がある。
「急ですみません」
「作れなくはないけど、何で五十個も?」
「夜勤明けの連中に食わせます」
女騎士は少し笑った。
「最近、王都が落ち着かなくて。巡回が増えてるんです」
「名前は?」
「アーデルです」
俺は手を止めた。
朝。
日記で見た。
第一人物。
「……騎士隊長?」
「一応」
「隊長が自分でパンを買いに来るの?」
「部下に任せると酒まで買ってくるので」
女将が笑った。
「苦労してるねえ」
「家に帰ればもっと大変ですよ。娘が起きる前に帰らないと怒られる」
「娘さんいるんだ」
「七歳です」
アーデルは財布から金を出しながら、少しだけ表情を緩めた。
「昨日も『お母さんは王都と私のどっちが大事なの』って」
「何て答えたの?」
「お前」
「即答?」
「王都は泣きませんから」
普通の母親だった。
それが。
嫌だった。
*
昼前。
「レナさんから聞いて来ました」
今度は書類の束を抱えた女が入ってきた。
「戸籍局のエルシアです」
二人目。
「レナの?」
「はい。最近、あの人のおかげで仕事が三倍になりました」
「悪口?」
「事実です」
真顔だった。
でも。
パンを選びながら。
「本人には言わないでください」
「仲悪いの?」
「いいですよ」
「じゃあ何で?」
「また新しい申請書を持ってくるからです」
少しだけ笑った。
レナの婚姻をきっかけに、人間と判定されない存在からの申請が増えているらしい。
「昨日は三人のセリナが、一つの戸籍を三つに分けるべきか、一つのままにするべきか聞きに来ました」
「……それ、どうしたの?」
「保留です」
「だよね」
「今日は機械人形が『製造日は誕生日になりますか』と」
「それは?」
「保留です」
「全部保留じゃない?」
「法律に書いてないんです!」
初めて大きな声が出た。
すぐに咳払いする。
「……すみません」
「大変そうだね」
「母にも最近、顔色が悪いって言われます」
「実家?」
「王都です。父と母と三人で夕飯を食べるので、それまでには帰ります」
書類の山を抱え直す。
「帰れるといいね」
「絶対帰ります。母が待ってますから」
その言葉を。
俺は。
妙に覚えてしまった。
*
午後。
三人目は、店へ入った瞬間から周囲を見ていた。
「ここが例のパン屋ですか」
「例のって何だい」
女将が嫌そうな顔をする。
「悪い意味ではありません」
女は制服を着ていた。
「新人類対策局。ヴェラです」
日記。
三人目。
「レナさんがよく来ると聞きました」
「来るよ」
「セリナ系統も?」
「来る」
「植物寄生者」
「来るね」
「機械人形」
「パン買ってくよ」
「触手系統は?」
「地下から買ってく」
ヴェラが黙った。
「……随分と」
「何だい」
「多様ですね」
「金払ってパン買う客だよ」
女将が言うと、ヴェラは少し困ったような顔になった。
「私は、新人類と旧来人類は法律上明確に区別するべきだと思っています」
空気が少し硬くなった。
「でも」
ヴェラは続けた。
「法律で権利が認められている者について、私が勝手に扱いを変えることもありません」
「嫌いなの?」
俺が聞いた。
「怖いんです」
意外に。
正直だった。
「昨日まで人間だった者が、今日には何なのか分からなくなる。制度が追いついていない。だから線を引く必要があると思っています」
「レナのことも?」
「現在の法律では権利主体です。だから保護対象です」
「考えは違っても?」
「職務と感情は別です」
ヴェラは固いパンを一つ買った。
「甘いのじゃないんだ」
「仕事中なので」
「関係ある?」
「あります」
「何で?」
「何となくです」
思ったより。
普通だった。
*
「甘いの十個ください!」
四人目は勢いよく入ってきた。
「多いね!」
「弟子が疲れてるんです!」
白い治療師服。
「王立治療院のフィリアです!」
「声大きい!」
「すみません!」
声を落とした。
「フィリア」
俺は。
また。
朝の日記を思い出した。
「治療院、大変?」
「ものすごく」
フィリアは甘いパンを選びながら溜息をついた。
「機械義肢。寄生植物。融合者。人間オルゴールの治療後患者。前なら医学書に載ってなかった人ばっかりです」
「治せるの?」
「治せるものは」
「治せないものは?」
「本人が困ってなければ、治す必要があるかから考えます」
サラみたいな。
人間。
「身体が元に戻れば治療成功、ではないので」
「どういうこと?」
「その人が生活へ戻れるところまでです」
フィリアが当然のように言った。
「身体だけ治って、家族も仕事も自分が誰かも分からなくなったら、私は治療成功とは言いたくありません」
「……」
「だから弟子にも、患者の名前を覚えろって言ってます」
笑った。
「治療対象じゃなくて、人だから」
その言葉も。
覚えてしまった。
*
夕方。
五人目が来た。
「すみません。この辺りで一番美味しいパン屋はこちらだと聞いたのですが」
「誰が言ったんだい?」
「神殿の研修仲間です」
神官服の女だった。
「ノエルと申します」
五人目。
揃った。
「地方から?」
「はい。北東の小さな町です」
「王都はどう?」
「人が多すぎます」
即答。
「地下にも人がいるし、花を咲かせてる人もいるし、機械の人もいるし」
「故郷にはいない?」
「全然」
ノエルはパンを見ながら笑った。
「母に送れるものありますか?」
「保存が利くのなら」
「お願いします。王都のパンを食べてみたいって手紙に」
「家族仲いいんだね」
「はい」
父。
母。
兄。
幼なじみ。
神殿の先輩。
近所の人。
話し始めると。
どんどん。
出てきた。
「来月には帰ります」
「研修終わり?」
「はい。王都も面白いですけど、やっぱり故郷が好きなので」
「帰ったら?」
「母の料理を食べます」
「神官らしい予定は?」
「その次です」
笑う。
本当に。
普通の女だった。
*
夜。
五人の顔が。
頭から。
離れなかった。
アーデル。
夫と娘。
エルシア。
父と母。
ヴェラ。
怖いからこそ線を引こうとしている。
フィリア。
患者を身体だけで見ない。
ノエル。
故郷へ帰るのを楽しみにしている。
日記帳を。
開いた。
『新規キャラクター五名――主人公日常圏への接続完了。』
「……」
『アーデル――家庭関係確認。』
『エルシア――家族および職業関係確認。』
『ヴェラ――思想および職務倫理確認。』
『フィリア――治療観および弟子関係確認。』
『ノエル――故郷、家族、帰還予定確認。』
「確認って……」
今日。
俺が。
話したこと。
全部。
日記には。
項目だった。
『現時点では悲劇イベントを開始しません。』
安心。
できなかった。
『次話。』
嫌だった。
『悲劇発生前の生活を定着させます。』
俺は。
ページを。
見つめた。
もう。
日記は。
隠してすらいない。
この五人に。
家族がいて。
仕事があって。
帰る場所があることを。
確認して。
次は。
それを。
もっと。
大切なものにする。
何かが。
起きた時。
失ったと。
分かるように。
俺は。
日記帳を。
閉じた。
今日。
五人と。
知り合った。
それだけのはずなのに。
もう。
全員に。
謝りたい気分だった。




