第百一話 よりよい物が存続する事が効率的ですので
目を覚ました時、女は横になっていた。知らない天井。白い壁。窓はない。身体を起こそうとして、初めて両手も両脚も固定されていることに気づいた。
「……え?」
引く。動かない。もう一度、強く引く。びくともしない。
「何……?」
急に息が速くなった。
「誰か!」
返事はない。
「誰かいるんでしょ! ここどこ!? 外して!」
壁際では見たこともない機械が低い音を立てているだけだった。女は何度も身体を捩った。手首が固定具へ食い込む。脚も動かない。何をされたのか分からない。どうしてここにいるのかも分からない。
「お願い! 誰か!」
『対象確認。』
「っ!?」
どこからともなく声がした。
「誰!? 誰なの!?」
『状態良好。』
「何の話!? 私をどうするの!?」
『よりよい物が存続する事が効率的ですので。』
「……何?」
意味が分からなかった。分からないことが、余計に怖かった。
「待って。何をするの。待って!」
白い光が点いた。
「嫌!」
眩しい。
「やめて!」
目を閉じる。
「お願い! 何もしないで! お金なら払うから! 私、何もしてない!」
痛みはなかった。
だから。
余計に。
何をされているのか分からない。
「何してるの!?」
返事はない。
「答えて!」
目を開ける。
白い。
眩しい。
瞬きをする。
もう一度。
その光が。
少し。
遠くなる。
「……え?」
瞬き。
「待って」
また。
「待って……」
光が。
暗くなる。
「違う」
女の声が震えた。
「違う違う違う」
目を見開く。
「消さないで」
白いはずの光が。
もう。
ほとんど分からない。
「やめて!」
叫ぶ。
「やめて! 目! 私の目だから!」
暗い。
「返して!」
瞬きする。
「返して!」
何度。
目を開けても。
何も。
見えない。
「嫌ぁぁぁぁっ!」
『処理完了。』
「何したの!?」
叫ぶ。
「何したの! 返して! お願い! 何でもするから返して!」
身体を捩る。
「見えない! 見えない!」
今まで見えていた。
ほんの少し前まで。
天井も。
壁も。
光も。
全部。
あった。
「返してよ!」
女は泣いた。
「私のなのに!」
返事は。
なかった。
*
別の町。
「うわっ!」
男が道の真ん中で転んだ。
「何だよ!」
立ち上がろうとして、また身体が傾く。右足がおかしい。靴の中で感覚がずれる。道端へ座って靴を脱ぎ、足を見た。
「……は?」
右足の親指がなかった。
「……何だ、これ」
触る。
ない。
「は?」
もう一度。
何度触っても。
ない。
「いやいやいや」
笑いそうな声が出た。
「そんなわけないだろ」
昨日はあった。風呂にも入った。爪も見た。絶対にあった。
「おい!」
宿へ走ろうとして、また転ぶ。
「誰か!」
宿の主人が出てくる。
「どうした?」
「指!」
「何?」
「俺の指がない!」
「……は?」
「ほら!」
右足を見せる。
「昨日あったんだよ!」
「怪我したんじゃ」
「血がないだろ!」
傷だった場所は、異様なほどきれいだった。切られた跡もない。治った跡すらない。
「誰か盗った!」
「指を?」
「そうだよ!」
「どうやって」
「知らねえよ!」
男の顔が青くなる。
「寝てる間に何かされたんだ!」
「でも起きなかったのか?」
「知らねえ!」
そこで。
思い出した。
「……声」
「何?」
「夜中」
夢だと思っていた。
『よりよい物が存続する事が効率的ですので。』
「……」
男が。
自分の足を見る。
「何だよ、それ」
震え始める。
「返せよ」
誰に向けているのかも分からない。
「俺のだぞ」
*
さらに別の町では、一人の女が鏡の前から動けなくなっていた。
「……」
髪がない。
一部だけ。
「嫌」
最初は切られただけだと思った。
「嫌……」
手を伸ばす。
触る。
そして。
悲鳴を上げた。
「いやぁぁぁっ!」
髪だけじゃない。
その下。
頭の表面そのものが。
昨日とは違っていた。
「何これ! 何これ!」
鏡へ近づく。
「戻して!」
何も戻らない。
床を見る。
髪は落ちていない。
血もない。
「誰がやったの!」
部屋を探す。
窓。
閉まっている。
扉。
鍵がかかっている。
「誰が入ったの!」
誰もいない。
「出てきて!」
昨日。
夜中。
一度だけ。
目が覚めた。
身体が動かなかった。
白い光。
『状態良好。』
声。
『よりよい物が存続する事が効率的ですので。』
「夢じゃない……」
鏡を見る。
「夢じゃない……!」
頭を抱える。
「返してよ!」
泣きながら。
「私の身体なんだから!」
*
最初は、誰も同じ事件だとは思わなかった。
目が見えなくなった女。右足の親指を失った男。頭の一部を失った女。別の町では、耳の一部が消えた。歯を失った。皮膚がなくなった。爪が消えた。髪が消えた。ほんの小さな部分だけの者もいれば、その後の生活が変わるほど大きなものを失った者もいた。
共通点はなかった。
町も違う。
年齢も違う。
仕事も違う。
善人か悪人かも関係ない。
金持ちでも。
貧しくても。
健康でも。
病気でも。
ある日。
理由もなく。
身体の一部がなくなる。
痛みはほとんどない。
血も残らない。
犯人も見えない。
ただ。
何人かが。
同じ言葉を聞いていた。
『よりよい物が存続する事が効率的ですので。』
*
「何なんだよ、その話」
「知らない!」
「誰がやってる?」
「だから知らないって!」
「何のために身体を盗むんだよ!」
「知らない!」
「目を盗んで何に使う!」
「知らない!」
「足の指一本なんかどうする!」
「知らないって言ってるだろ!」
みんな。
怒鳴る。
でも。
答えはない。
誰かが集めているのか。
消しているだけなのか。
何かに使っているのか。
そもそも。
誰が選んでいるのか。
何も。
分からない。
それでも。
事件だけは。
増えていった。
*
ある夜。
一人の女が自宅で眠っていた。
普通の家。
普通の寝台。
扉には鍵。
窓も閉まっている。
深夜。
「……?」
目が覚めた。
身体が。
動かない。
「え?」
手。
動かない。
脚。
動かない。
「何……?」
白い光。
女の呼吸が止まる。
「……嫌」
噂。
思い出した。
「嫌」
『対象確認。』
「嫌!」
涙が出た。
「お願い!」
『状態良好。』
「やめて!」
何を奪われるのか分からない。
「お願い! 何も持っていかないで!」
『よりよい物が存続する事が効率的ですので。』
「嫌ぁっ!」
身体を動かそうとする。
「私のだから!」
動かない。
「全部私のだから!」
返事はない。
「取らないで!」
白い光が強くなる。
「お願い! お願いだから!」
痛くない。
何も感じない。
だから。
今。
何を失っているのか。
分からない。
「やめてぇぇぇっ!」
女は泣いた。
叫んだ。
何度も。
自分の身体だと訴えた。
朝。
目が覚めた時。
身体の一部が。
昨日とは。
違っていた。
「……」
最初。
理解できなかった。
次に。
否定した。
「違う」
確認した。
「違う」
何度も。
「違う!」
でも。
戻らない。
「返して……」
最後に。
泣いた。
「返してよ……」
*
理由は。
誰にも分からない。
犯人も。
分からない。
選ばれる基準も。
分からない。
何を奪われるのかも。
分からない。
奪われたものが。
どこへ行くのかも。
分からない。
ただ。
昨日まで。
自分のものだった身体が。
突然。
自分のものではなくなる。
眠るのが怖くなった者がいた。
一人になるのを怖がる者がいた。
鏡を見るたび、自分の身体が全部あるか確認する者がいた。
朝起きるたび。
指を数える者がいた。
目を開けて。
見えることを確認する者がいた。
頭を触る者がいた。
耳を触る者がいた。
歯を数える者がいた。
それでも。
防げなかった。
鍵をかけても。
誰かと一緒に寝ても。
旅をやめても。
家から出なくても。
ある夜。
白い光が現れる。
『対象確認。』
「嫌」
『状態良好。』
「嫌!」
『よりよい物が存続する事が効率的ですので。』
「やめて!」
そして。
また。
朝になる。
誰かが。
自分の身体へ手を伸ばす。
ある。
ある。
ある。
そして。
ない。
「……嫌」
昨日まで。
そこにあったものが。
なくなっている。
「嫌ぁぁぁぁっ!」
いまも。
どこかで。
誰かが。
自分の身体を。
理由も分からないまま。
奪われている。




