第九十八話 『既存ヒロインを利用した悲劇展開を実施します。』
「機械人形?」
朝、パン屋へ届いた一枚の広告を見て、俺は思わず読み直した。
『王都巡回興行――人間より生まれた完全機械人形』
『歌唱、舞踊、命令実演。三日間限定公開』
広場に大きな見世物小屋が建ったことは昨日から知っていた。珍獣、曲芸師、魔道具、地方の奇術師。そういうものが集まる巡回興行らしい。女将たちも客から聞いていたし、俺も暇があれば見に行こうと思っていた。ただ、広告に描かれている女型人形を見た瞬間、何となく嫌な感じがした。灰色の髪。細い身体。眼鏡こそないが、輪郭に覚えがある。
「これ、見に行ってくる」
「珍しいね。あんたが見世物なんて」
「ちょっと気になる」
エリナがいなくなってから、かなり経っている。行方は分からない。魔道具の研究に関わっていた人間だから、別の土地へ移った可能性もあると思っていた。そう自分へ言い聞かせて、俺は広場へ向かった。
見世物小屋は満員だった。舞台の中央には金属でできた女が立っている。磨かれた腕。継ぎ目のある脚。胸から腹へ続く外装。顔だけは妙に人間に近く、灰色の髪が肩まで伸びていた。
『こちら、人間の身体を基礎として製作された最新式機械人形!』
呼び込みの男が杖を振る。
『命令には逆らいません! 疲れません! 泣きません! 怒りません!』
客が笑った。
『まずは御挨拶!』
人形が一礼する。
「皆様。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
声を聞いた瞬間。
胸が冷えた。
「……エリナ?」
舞台の上。
機械人形の顔が。
俺の方を向いた。
「……」
動作が止まる。
呼び込みの男が眉をひそめた。
『どうしました? 御挨拶を続けなさい』
「……ルーク?」
俺は立ち上がった。
「エリナ!」
周囲の客が笑う。演出だと思っている。
でも違う。
機械人形は俺だけを見ていた。
「ルーク」
「俺だよ!」
「……知ってる」
「エリナなんだろ?」
長い沈黙。
「エリナ」
自分の名前を確かめるみたいに呟く。
「それ、私だった?」
笑い声が消えた。
*
興行が終わるまで待つ気にはなれなかった。係員に止められ、金を払えば特別面会できると言われたので払った。楽屋で椅子に座っていた機械人形は、舞台より近くで見るとさらに人間ではなかった。腕も脚も完全な人工物。胴体も外装の隙間から魔導線が見える。胸だけは外から人間に似せて作られていたが、それすらどこまで元の身体なのか分からない。
「エリナ」
「うん」
「俺が分かる?」
「ルーク」
「女将は?」
「……大きい声」
「リサは?」
「赤い髪」
「パン屋」
「いい匂い」
記憶はある。
でも。
薄い。
「何があったの?」
「治療」
「治療?」
「怪我した」
途切れ途切れに話した。
エリナは仕事中の事故で大怪我をした。普通の治療では助からないと言われた。高度な魔道具治療なら生きられる。ただし費用が高すぎた。
「払えなかった」
「それで?」
「実験なら無料って」
研究者が提案した。
失った部分を魔道具で補う実験。
最初は。
治療だった。
「腕を替えた」
「うん」
「脚も」
「……うん」
「そしたら、もっと良くできるって」
機械人形の指が、自分の胸を軽く叩いた。
「壊れない方がいい。疲れない方がいい。痛くない方がいい。交換できる方がいい」
「エリナは嫌だって言わなかったの?」
「最初は言った」
「最初は?」
「途中から」
少し考える。
「嫌って何だったか、分からなくなった」
ぞっとした。
「怖くないの?」
「怖い?」
「自分の身体がなくなって」
「……」
考える。
本当に。
感情そのものを検索しているみたいに。
「前は怖かったと思う」
「今は?」
「分からない」
それから。
「私、人じゃないから」
「違う!」
思わず声が出た。
「エリナは人間だよ!」
「そう?」
「そうだよ!」
機械の顔。
僅かに。
笑った。
「ルークは、そう思うんだ」
「エリナは?」
「私は」
また。
長い。
「機械人形だと思う」
胸元が熱くなった。
嫌だった。
こんな時に。
日記帳を開く。
『直近エピソード群についてアクセス数の低下傾向を確認。』
「……」
『物語刺激の不足が継続した場合、読者離脱率上昇が予測されます。』
『対策。』
『既存ヒロインを利用した悲劇展開を実施します。』
「やめろ」
日記は止まらない。
『対象候補――エリナ。』
『既に発生している重傷治療、実験改造、機械人形化を連続した物語へ再構成可能です。』
『単純救出では刺激性不足。』
『救出以前に不可逆的変化を進行させます。』
「やめろって」
ページを閉じた。
もう一度開く。
その間にも文章は増えていた。
『対象の感情減衰――進行。』
『人間としての自己認識――低下。』
『機械人形としての自己認識――上昇。』
『最終工程として人格処理を配置。』
『主人公による救出は最終工程直前とします。』
俺の声なんて。
最初から。
存在していないみたいだった。
「エリナ」
「何?」
「ここから出よう」
「今は無理」
「何で?」
「明日も興行」
「そんなの関係ない!」
「契約されてる」
「誰と?」
「私を作った人」
「エリナが契約したの?」
「分からない」
感情の薄い声。
「でも、命令は守るものだから」
機械人形。
本人まで。
そう思い始めている。
日記帳には最後に。
『次段階。人体残存範囲の選定。』
と書かれていた。




