第七話
※
「レティレーラ! どうしてここに!?」
洞窟から転がり出たアリシアは目の前の愛馬の姿に、信じられないと言った声を上げた。
「この子は……俺をここまで連れてきてくれた……本当に優秀な馬だよ」
「ヒヒィン」
白馬、レティレーラはレンカの賞賛を理解したように、誇らしげに鼻を鳴らす。
なんとか倒れ込むように白馬の背中に乗り、手網を握る。背後におぞましい気配を感じながら、白馬に揺られ、二人は蟲の恐怖から全速力で逃れようとしていた。
木々が目まぐるしく流れ去る中、アリシアが不思議そうにレンカを見上げる。
「でも、どうして……レティが近くにいるってわかったの?」
「それは……虫たちの達が聞こえて……」
「虫……? 声……ですの?」
(しまっ……)
痛みで朦朧とする思考の中、咄嗟にアリシアに嘘をつく余裕もなかったことに、レンカは後から気づく。
「あ、いや!その、死にかけの第六感……みたいな物かな」
蟲を前に絶対絶命だったあの瞬間、レンカの耳に届いたのはある声だった。
レンカは虫の声を聞くことができる異能……魔能を持っている。
それは、養蜂家アピス家が代々受け継いできた魔能。
蜂たちの声を聞き蜂達を育てる。それがアピス家の使命であり、秘密だった。
虫たちの微細な感情の揺らぎを“色”として聞き、感知することができる。
あの瞬間、洞窟の虫たちが、何か別の生き物が近づいてくることを告げている声にレンカは気がついた。
狂暴な蟲の気配に怯え、普通の生物が近寄らない洞窟。その洞窟に近づく生き物。
その存在が、あの白馬であることに確信はまったくなかった。
しかし、レンカの直感が、あの主人思いの白馬であることを知らせていたのだ。
「と、とにかく……! レティ、山の頂上を目指して走ってくれ!」
「ウィン!」
半ば強引に話を変え、レンカは白馬に行く方向を指示する。
今のところ蟲は追いかけては来ていないようだった。ひとまず窮地は脱したことに、二人と一頭が安堵の吐息を漏らす中、アリシアがレンカの服を掴む手に力を込めた。
「精霊使い様、助けていただき、本当にありがとうございます……。わたくしはフォーミシア国王女、アリシア・アン・フォーミシア。貴方のお名前を教えていただいても?」
「ああ、隠すことでもないか……。ボクはレンカ。ただのレンカだよ」
この後、シロハを迎えに行くことになるのだ。自分の名前まで偽る必要もないだろうと判断し、姓は名乗らずに名前だけを名乗る。
「レンカ、様……そうですか……」
アリシアの長い睫毛に縁取られた瞳が、じっとレンカの顔を射抜くように見つめる。
そして、彼女は小さく唇を開いた。
「貴方は……本当に、精霊使いなんですの???」
※
「ど、どうして……そんなことを? ボクはれっきとした精霊使いですよ???」
(さっきまで疑っている様子は無かったのに……どうしていきなり……っ)
想定していなかった鋭い言及対して、レンカの背中を冷や汗が伝う。
「だって……これほどたくさんの精霊を使役する精霊使いが、その名を王国内に知られていないはずありませんわ。」
「それは……」
「それに貴方、王国の精霊使いではありませんわね。王国の精剣を持っていませんし。それに先程、虫の声と言ってましたし……」
レンカの身なりはあくまで一般人のそれだ。王国の精霊使いの輝かしい兵装とははかけ離れた姿。ましては、精霊を用いて蟲と戦うことが考えられないような姿。
(名乗るべきではなかった……。いやそもそも、精霊使いと嘘をつくべきではなかったか……???)
内心で激しく後悔しながら、アリシアに対してどう答えるべきか思考を巡らせるレンカに、アリシアはさらに続ける。
「命の恩人に対して、このような疑いを持つ無礼はお許しください。ですが……貴方は一体、何者なんですの? どうしてわたくしのような者を助けて……」
命の恩人。そう言ったアリシアに対して、レンカは思う。
(命をかけて助けようとしたのは……そっちこそ……)
恐怖で震える足を踏み出し、レンカを逃がそうと蟲の前に立とうとしたあの姿。
レンカは、アリシアをじっと見つめ返す。この、不器用なほどまっすぐで、高潔な少女になら嘘をつく必要はないのではないか、と。
それに、アリシアの言葉の裏にある不安にレンカは気づいていた。
命がけで助けてくれたといえ、明らかに嘘をついているこの青年を信用していいのか。
彼女はレンカを拒絶するために疑っているのではない。
むしろ逆。
その疑問を直接問いかけてくるのは、彼を信用したがっているからこそなのだろうと、レンカは気づいていた。
レンカは小さく息を吹き出すと、自身が纏っていた精霊使いという嘘を外す。
「ああ……その通りだ。お姫様。ボク……俺は、精霊使いじゃない。虫を好きなだけのただの青年だよ」
そのアリシアの瞳を見つめ、レンカは正直にその真実を打ち明けるのだった。




