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第五話


 酒場を飛び出し、レンカはシロハの待つ山奥の小屋へと急いでいた。

 レンカが街中に蜂蜜を卸しに行くときは、基本的には徒歩で移動している。野宿を挟み、片道だけで二日はかかる距離。

 いくら急いだところで、噂の王女が無事である保証はなかった。

 それでも、いつ自分たちの養蜂所に牙を剥くかわからない蟲からの脅威から、妹から守るために、一刻も早く帰る必要があった。


 運がよかったと言うべきだろう。

 南の山を目指して駆けて行く最中、レンカはその”子”に出会った。

 美しく整えられた毛並みに、高価な装飾の施された鞍を背負った、立派な白馬だった。


 山道の手前、不安そうにただその場を行き来していた白馬は、レンカの姿を視界に捉えるなり、すがるようにレンカの行く手を遮ってきた。

 レンカには、その白馬に何があったのか、何を訴えているのかはわからない。

 しかし、その白馬が見つめる方向は、レンカの家のある山の方角であることだけは確かだった。


「お前はお利口さんだな……。頼んだ!」


 走りながら鼻を鳴らし、レンカのつぶやきに白馬は答える。

 乗馬の経験など一度もないレンカの体を大きく揺らしながらも、白馬は彼の意図を汲むように、器用に、そして凄まじい速度で走って行く。


「とはいえ……やっぱり山に近づくにつれ騒がしくなるな……」


 耳を通して、レンカの脳内が不快に震え始める。

 彼の悪い予感は、確実にその密度を増していた。


『ヒィゥウン……』


 白馬が不安そうに鼻を鳴らす。

 山に潜む何かに近づくにつれて、白馬の様子は明らかに悪くなっていった。目に見えない何かに怯えるように、駆けて行く速度が落ちる。


「わかってる。そこに”いる”んだね」


 レンカは白馬の首筋を撫で、その場に止まるように促す。

 そのレンカの言葉を理解したように白馬は足を止める。その四肢は、恐怖で細かく震えていた。


「ありがとう。お前はここで待ってて。お前のご主人は連れ戻してくるから」


 落ち着かせるように感謝を伝える。

 そしてレンカは、小屋に残した妹の安全を確かめるため、そしてここまで連れてきてくれた白馬のためにも、鬱蒼とした山林の奥へと駆け上がるのだった。



「くっそ……うるさい……場所がわからない……」


 森中に広がる恐怖の”色”に脳をかき乱されながら、レンカは天敵である『蟲』の居場所を探る。


(……ッ!?)


 家まで続く獣道を進むレンカの耳に、聞き覚えのある波長(こえ)が飛び込んできた。


(あの方向は……あの子たちがいる、あの洞窟……っ!)


 レンカの脳内に、激しい葛藤が渦巻く。

 一番に優先すべきはシロハの安全だ。それは今も昔も変わらない。

 だが、ここまで自分を連れてきてくれた白馬のご主人様ーーー王女がそこにいる可能性は高い。

 レンカはあの狂王の娘にいい感情を持っていないとはいえ、不要な血が流れることを平気で見過ごしたくはない。

 なにより、あの白馬の悲惨な目が焼き付いて離れなかった。


(約束したもんな……連れ戻してくるって)


 それに……その洞窟には、レンカが密かに面倒を見るあの子たちもいた。

 できれば、その子たちも無事でいて欲しかった。


「この中に……”いる”」


 たどり着いた洞窟の周囲は、木々が無残になぎ倒されていた。サイズの合わない物を無理矢理ねじ込んだかのように洞窟の入り口は無造作に抉られ、今にも崩壊しそうなほど脆くなっている。


(ここにいるのなら……この洞窟ごと崩して埋めてしまうほうが……)


 中から漏れ出す恐怖を感じながら、レンカは冷静に考えてしまう。

 確実にこの中にいるのなら、中にいるかもしれない王女ごと洞窟ごと生き埋めにしてしまうほうが、被害を最小限に抑えることができる。

 あの白馬のためにも、中にいるあの子たちのためにもーーーとは思うが、何よりも妹と蜂たちを守らないといけない自分にとって、この中にいるかもしれない王女とあの子たちを見捨てる選択肢も考える。

 その選択肢は正しいはずだ。

 それに、王女には申し訳ないが、あの怪物を前に命がない可能性だって高い。


(いや、今の手持ちじゃ、この洞窟を崩せるほどの爆薬はない……。一度小屋に戻って道具をそろえないと……)


 そう自分に言い訳をして、先にシロハの元へと行こうとしたーーーその時だった。


「……っ、え???」


 一瞬、レンカの耳に届く洞窟の奥からの色彩が、恐怖が、”親愛”の物へと反転した。

 それはまるで……誰かが自分の味方を見つけ安堵し、そして心配をしているようなーーーこの絶望的な状況には、決してふさわしくない温かな感情。


「ーーーッ!!! そういうこと……ッ!!!」


 その感情を理解した、理解してしまったレンカは洞窟の中へと駆け出す。

 そこに”恐怖”以外の、別の存在がいる。

 中にいる。まだ、生きている。

 そしてそれはあの子たちも。

 その存在を見捨てることができるほど、レンカは人間性を失ってはいなかった。



『ピュゥイィィィィッ!!!』


 暗い洞窟の空間に、レンカの吹いた呼び子の甲高い音が響き渡る。

 鳥の鳴き声を模したこの音色は、あの子たちの防衛本能を一気にかき立てる。彼らは女王を守るため、音の発生源の方向の脅威へと抵抗する。

 レンカの音のする方向。

 つまり、レンカと光たちに挟まれた『蟲』のいる方向へ。


 唐突な音に反応したあの子たちは、瞬時に強烈な光を放ちながら蟲の忌々しい複眼に取り付く。

 視界を光に覆い尽くされた蟲は苦悶の声を上げ、その振り上げられた爪の勢いが止まる。


(けど……この目眩ましも長くは続かない……ッ!)


 もがきながら目の前の光を捕食し始める蟲。身を挺して時間を稼いでくれる小さき仲間たちに、レンカは内心で深く謝罪をしながら呟く。


「みんな……ごめん。君たちの女王は守るから……」


 レンカは荒ぶる蟲の巨躯の横を、影のようにすれ違いながら洞窟の奥へと滑り込む。

 そこには、顔を涙と恐怖でぐちゃぐちゃに濡らし、細い足から鮮血を流している座り込む王女ーーーアリシアの姿があった。


「だ、誰……?」


 困惑と、ほんのわずかな希望の混ざった彼女の声がレンカに届く。


「別に誰でもないよ。そうだな……」


 このまま自分の素性を明かすのは危険だ。彼女からあの『蟲嫌い』の狂王の耳に届いてしまうかもしれない……。

 そう思考を巡らせるレンカの視界に、蟲の前で命を燃やして儚く、けれど神聖に舞い踊る光たちが映り込んだ。

 そして、レンカはこう答える。


「ただの……セイレイ、ツカイ……かな」


 少年はそう、名乗った。

 自身の嫌悪する精霊使いを。

 精霊。

 否ーーーその身を挺して戦う光たち。


 セイレイモドキを使役する存在として。

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