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埋もれた影

 水の流れる音が聞こえる。

水の中?身体が固まるような感覚。動かなければ

身体が冷えていっているのだ。

たまたま仰向けだったためか呼吸は、水への恐れを感じる程度で苦労はしない。

 ただ、赤い。

水が赤いのだ。何やら何かしらの一部分のようなものまで浮いている。

足を動かし水を掻いた。

リエントは眉を顰める。痛い。

赤い水は出血のせいだったようだ。


水を引きずって河原に身体を引き上げる。

皮膚の傷が疼く。身体には何かの葉が張り付いていた。

どうやら枝か何かを破る形になったのだろう。見上げればベッタリと赤い血が付いている。

 あの怪物は?


 ああ、困った。

振り返れば水面に小山のような物体が転がっている。

 木々に張り付くようにして怪物が耐えている。いや、耐えてはいない。

細かい破片が水面に浮き、石材などまでまとめて取り込んでいたからか人間の名残はジャムのような半個体の形で肉体に追随して張り付いている。

ぞぶりぞぶりと動き始める。リエントに向かって、顔を合わせて

 死霊の手鎌は今、手元にない。

仕方なく見回すと、剣が一つ落ちていた。

迷いなく拾う。

死体もある。ああ、城に入る前に戦ったやつか。

 しかし、武器を持ってどうするにだろうか?


どろりと身体を引きずり怪物が動き出す。

反射的に腰を浮かせると身構える。

意外なほどに速く水をかき分けて進みいでた。

リエントは足に力を込める。

「う」

 打撲だろうか?足が痛い。

突進に間に合わない。体積も表面も大きくなっている。

チートだ。すり抜けだろう。だが止まられたら?

 やはり、死ぬという事実に対する反応だろうか。

痛みを無視して足に力を込める。

接触する前に、すぐに転けそうな脚力で地面を蹴り、そしてすり抜けが始まる。

 今回はそれだけではない。

《幽体への転身》

不格好ながらも移動を起こした。

壁を抜けたのと同じ事だ。ふわりと浮き怪物の背後に浮かぶ。

だが、このまま制御は効かない。

同じ速さで身体は流れ沢の向こう側の上に出たあたりでリエントはチートを解除する。

すると、身体は重力に囚われて然るべく地上に戻った。

 すり抜けるというこのチートは逃走のチートだ。

闘争じゃあない。逃げるための力なのだ。


 人の世から、期待から、あるいは人生、直接的に物理法則から、すべての営みから


 逃げるためだからなのか。現実に戻った時には何かしらの物体と重なれば、大概は自分が壊れる。正確には二つとも壊れる。ぴったり同じでも核融合はしないし、空気くらいならば無事なのだが、《幽体への転身》は使った側が押しだされる形で、ただ混じり合うように壊れる。

 重要器官に差し込めば一人くらいは道連れにできるだろう。

だが、このチートは限定的な防御、リスクを伴う移動を主能力としていて攻撃性は皆無に等しい。


 心臓が引き攣る。恐怖だ。

使えば使うほど自分の肉体を失う可能性が高くなる。

確かに転生直後から存在する力だ。とはいえ、滅多と活用した記憶はなく。

ましてや、疲労している。そんな状況で着地ミスをしてみろ。

半身が地面で吹き飛んでもおかしくない。


 怪物がよろめきながらも立ち上がる。リエントは足場を踏み締める。

アレに疲労の概念があるのだろうか。

だとしたらイェクは変身した後もまだ生きていて狙っているのか。

 逃げる?

この視界の悪い。障害物の中を?

そうすると、自然とチートがいる。

一歩間違えば即死する魔法を

 勘弁してくれ

なぜ、こんなに苦労しているのか。

なんとかなると思ったからだ。決め打ちでやってみれることはやるしかない。

なんてことだ。

 沢を突っ切る怪物に交差するようにチートで通り抜ける。

嫌だったが上体、重要器官を探して

よたよたと怪物は沢の中、水音を立てて方向を変えようと歩き出す。


正確には怪我しない方法もある。

 武器や防具だ。

そもそも《幽体への転身》は付属物もすり抜けをさせることができる。

まともな動物の人間のように浅い箇所に急所を持つならともかくアレだけ肥大化した生命体が表層に臓器など持つ物だろうか。

 投げてもおそらくは可能だが、わざわざ少人数をそれで殺しても仕方がない。

 怪物が向き直る。

おそらく山なりになった頭部、あれだ。

 水の反射が怪物を照らし出す。小さな山、どこかで生まれた人間のなれはて、人はいつか怪物になるために生まれるのだろうか。

リエントは足の痛みを無視して踏み込みの姿勢をとる。

 怪物は倒れ込む。

ああ、そういえば近かったな。

ふと思いながらも《幽体への転身》で飛び込む。

 赤い液体、ところどころ内部でも滲んでいる。

 繊維のような悍ましい桃色の物質、肉だ。

 白い硬質で微妙な曲線を描く骨だ。


 そして、ピンク色でどこか袋のようなーーー

中に何かあるのにしわくちゃに潰されたレジ袋のようなアレは

 リエントの探していた“臓器”だろうか?


既に、潰れている?


 やがて、すり抜ける。

視界が明るくなり濃密な人体の体験を終える。

リエントは途中でチートを解除すると、放物線状に飛びやがて沢の中に不時着した。

振り返れば、怪物が鈍い音を立てて膝をついた。

 腕が、いやそのなれ果てかあるいはべつのものかいくつももげ始める。

やけに激しく振り回していたからか無茶な巨大化による物なのかどうにも削れていたらしい。

臓器の方もいつのまに潰れていたのか。落下の時だろうか?

地面の振動が、伝わり水面とそして岩盤を揺らす。

怪物の心臓は既に止まっていた。

とうに見捨てられていた。

心臓が止まってる。社会に捨てられたもの。

使えなければ急激な負荷をかけて壊れればゴミに。使えたとしても要らなければゴミに

 墓標もなく膝をついて巨大で醜く末路を晒している。

同情したのだろうか?

いや結局苦労してしまっている。

つまり、あの腕輪は怪物化ではなく爆弾だったのだ。

 ふぅ。

まあ、もうアレは死んでいる。リエントは頭を草木に横たえて目を瞑った。

 死んでしまうだろうか?元々、死んでいるようなものか。


 薄暗闇の中、更に黒いが広がる。

ゆっくりと巨体が傾げる。

 ああ、困ったな。

巨体が転ける

この先は沢に続いて、ガイドレールのように流れていく事だろう。

 どこに?

水道施設だ。

 リエントは立ち上がった。

なんでこんなところで苦労してたんだっけ?そうだ。生活の利便性が落ちるのが嫌だったからだ。汚れれば酷く不便になる。これだけ頑張って不便になる。


 見上げると、死霊の手鎌と忌み嫌われる武器が佇んでいる。

使え、使って戦え。戦って生贄となれ

 そう呼びかけているようで、事実この武器はそうしてもおかしくない。異常な厚遇、卓越した剣士ならば利き手を失う程度で済み。そして、利き腕は確実に取られる。それだけの贄を差し出せば、その分の戦果は約束されるだろう。だからこそ、忌み嫌われ、それでいて戦士として担い手になることは最高の栄誉とされている。


 チートを呼び覚まし、転がる前に移動する。こんな質量妨げられるだろうか?


 手元にある武器を握る。

「爆ぜよ」

剣が、その体裁を保つのをやめる。

剣身が膨れ上がり、そして分裂する。

十、二十、百、千

 その先端は人骸の手、腕を奪われた人の腕。或いは、この剣の食った人間の腕だろう。

膨れ上がる腕共は地を喰らい木々を弾き飛ばし強烈な反動を残しながらも人のなれ果てに組み付く。


 掌に嫌な針のような感覚を感じる。いや、忍び込まれている。言うならば寄生虫、このまま脳まで到達し奪おうとするのだろう。だからこそ、よくて心神喪失の忌まれる武器。

 ああ、なんて【いい武器】なんだ。

肉体がすり抜けを始める。

チートの力だ。

そう、たまたまだ。

 たまたま物理法則からの逃走の魔法がかみ合った。

肉体は平凡、精神は軟弱、技術もまあ、ひいき目に中の中

 だが、偶然つよい武器の代償を押し切って扱える。

リエントは別に強くないのだ。

 強くある必要がないのだ。強くあっても仕方がないのだ。そも、世の人は速さを求め続けるのだから

 大きくも重い物を支える音を聞きながら多くの物をすり抜ける。

《幽体への転身》は物理法則から解き放たれる。あくまで逃げているのは自分の側だ。逃げているだけである以上けして無敵性を保証するチート能力足り得ない。

 触手のような腕が空間を埋め尽くした。

抑え切れない?

いいや、別につっかえ棒にするわけにはいかないか。

すり抜けをやめ、柄から触手を溢れ出させた剣を拾う。

一部の腕を引かせて動きの向きを変える。

足を引きながらも、巨体をゆっくりと誘導する。


沢の近く平地へと移動させる。

やがて、巨大な怪物の動きは止まった。

丁度、隠し通路のあるあたりだった。

 かつての人が横たわる。

リエントはいつの間にか肩で息をしていた。沢の水の流れをききながらも座り込む。ああ、なんで頑張ってるんだ?オレ

 そう。面倒事を避けるためだったはずなんだけど…


 廃城の裏手、崖の下の隠し通路に、ちょっとした沢

肌色を僅かに残した怪物は死霊の手鎌に集られ肉と骨を取り込まれていた。

一応引っ張って見たが、引き戻せる様子はないし、止めることはできるか分からない。リエントはあくまで振り払えるところまでがチートなのだ。

墓標も残せなかった怪物はきっと誰からも忘れられる。

一応、皮袋が通路にあったけど破片くらいは残るだろうか。

 冷たい夜中に、もう怪物の狂気は聞こえない。

ーーー


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