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対話術(+++)を持って生まれた俺が不殺のS級冒険者になるまで  作者: 絹田屋


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第六話 毛の塊


 レオンが山に行った日から、三日が経った。


 俺はいつも通りだった。朝、灰色のやかん亭で黒パンとスープを食べる。宿のおじさんが杯を磨いている。ギルドで手引書を借りて、まだ受けていない素材を確認する。東門を出て、採取して、帰る。


 いつも通りだ。いつも通りのはずだ。


 なのに、三日目の朝、ギルドの掲示板の前で自分が情報掲示板の方ばかり見ていることに気づいた。新しい注意喚起が貼られていないか。北部山岳地帯で何かあったという報告がないか。


 ——何も増えていない。


「気になる?」


 受付の人の声だった。カウンターの向こうから、こっちを見ている。


「……少し」

「あのEランクの子でしょう。レオン・ハルトマン。北部に単独で入ったのは二日前ね。帰還報告はまだ出ていないわ」


 ハルトマン。レオンの姓を初めて聞いた。


「帰還報告って、出ないと問題ですか」

「三日以内なら問題ないわ。Eランクなら北部の入り口周辺で一泊二日の行程が標準。三日を超えたら捜索願の対象になる」


 今日が三日目。明日までに戻ってこなかったら、捜索になる。


「心配してるの?」

「いえ——レオンさんは俺より強いので」

「そうね。でも強さと無事は別よ」


 受付の人は書類に目を戻した。


---


 その日は南の森でルリゴケを採った。依頼分を納品して、銅貨十枚。


 グスタフが鑑定のときに言った。


「お前、最近やけに情報掲示板を見てるな」

「見てますか」

「見てる。単角獣のことか」

「……はい」

「あれはBランクだ。Fランクが手を出す相手じゃない。わかってるな」

「わかってます。ただ、知りたいだけです」

「知りたい」

「あいつが何を考えてるのか」


 グスタフは変な顔をした。いつもの変な顔とは少し違う。呆れではなく、何かを測るような目だった。


「……お前、変わった冒険者だな」

「よく言われます」


---


 三日目の夕方。灰色のやかん亭で夕飯のシチューを食べていたら、扉が開いた。


 レオンだった。


 埃だらけだった。髪に小枝が引っかかっている。外套の裾が泥で汚れていて、左の袖が少し破れている。でも怪我はなさそうだ。剣はちゃんと腰にある。


 レオンは店内を見回して、俺を見つけた。まっすぐ歩いてきて、向かいの椅子に座った。


「生きて帰った」

「おかえりなさい」

「飯はあるか」

「おじさん、シチューもう一つ」


 宿のおじさんが黙ってシチューを持ってきた。レオンは受け取って、一口目を飲み込むまで何も言わなかった。二口目も黙って食べた。三口目のあとで、やっと息をついた。


「見てきた」

「……」

「いた」


 スプーンを置いて、俺を見た。


「北部山岳地帯の入り口から、半日ほど登ったところだ。Dランク帯の魔物の縄張りを二つ越えた先。獣道が途切れる場所があって、そこから先は岩場だった。岩場を登ったら、少し開けた台地に出た」

 レオンの声はいつもの先輩ぶった調子ではなかった。事実を並べているだけの、乾いた声だった。


「台地の端に、いた」

「単角獣」

「ああ。遠目だ。百歩——いや、もっと離れていたと思う。でも見間違えない。四本足で、角が一本。犬くらいの大きさだと思ってたが、違った」


「違った?」


「もっとでかい。牛くらいある。遠くで見たら犬くらいに見えるのかもしれないが、近づいたら全然違った。あの体格でBランクは——正直、甘い見積もりだと思う」


 牛くらい。村の稜線に立っていたあの影が、牛くらいの大きさだった。あのときは距離があったから小さく見えていたのか。


「近づいたのか」

「近づいてない。台地の端で止まった。あの気配を感じた瞬間に、足が止まった。怖いとかじゃなくて——」


 レオンが言葉を探していた。


「格が違う、という感じだ。剣を抜いてどうこうなる相手じゃないと、体が判断した」

「……」

「だから引き返した。それが正解だったと思う」


 俺はシチューのスプーンを握ったまま、聞いていた。


「で、帰りに台地の手前の岩場を通ったとき、岩の隙間に毛が引っかかっていた」


 レオンが外套のポケットから、小さな布包みを出した。開くと、中に毛の塊が入っていた。


 銀色に近い灰色の毛が、何本かまとまって絡まっている。長いものは指の長さくらいある。硬そうで、つやがある。


「単角獣の体毛だと思う。岩に体を擦りつけた跡があって、そこに引っかかってた。明日ギルドに報告するときに一緒に出す」

「……触ってもいいですか」

「ああ」


 毛の塊に触れた。硬い。針金みたいだ。でも表面は滑らかで、指先に冷たい感触がある。匂いを嗅いだ。


 ——鉄と、乾いた土と、それから。


 あの日と同じだ。稜線に立っていたあの影の匂い。嗅いだことのない、あの匂い。


「知ってる匂いか」

「……村にいたとき、遠くから嗅いだことがあります」


 レオンが眉を上げた。


「お前、単角獣を見たことがあるのか」

「遠くからだけ。稜線に立ってた。それが、俺が村を出た理由です」


 レオンはしばらく黙っていた。それから、シチューの残りを飲み干した。


「それともう一つ。台地の周りの森を通ったとき、妙なことに気づいた」

「妙なこと」

「静かすぎた。Dランク帯を越えたあたりから、魔物の気配がほとんどなくなった。縄張りを示す痕跡——爪痕とか糞とか——はあるんだが、古い。最近のものじゃない。みんな逃げたんだと思う」


 ヴィルドボアが逃げてきたのと同じだ。単角獣が来て、周りの魔物が追い出されている。猪だけじゃない。あの山の上にいた魔物が、軒並みいなくなっている。


「単角獣が追い出したんでしょうか」

「わからん。でも結果としてそうなってる。あいつが台地に陣取ってから、あの一帯の魔物が下に降りてきてる。猪はそのひとつだったってことだ」

「……ギルドに報告しますか」

「明日の朝、報告書を出す。目撃場所と、毛と、それから周辺の魔物が減っている件。判断はギルドがすればいい」


 レオンは立ち上がった。


「俺はもう寝る。三日間碌に眠れなかった」

「お疲れさまでした」

「ああ」


 出口に向かいかけて、振り返った。


「お前、あいつに会いたいんだろう」

「……はい」

「今のお前じゃ無理だ」

「わかってます」

「でも、諦める顔してないな」


 何も言えなかった。レオンは鼻で笑って、テーブルの上の布包みを拾い上げ、ポケットに戻した。


「報告は明日出す。お前も来るか」

「行きます」

「じゃあ朝、ギルドで」


 レオンは手を振って、出ていった。


---


 一人になった。


 テーブルの上には何も残っていない。布包みはレオンが持っていった。当たり前だ。あれはギルドに出す報告の証拠だ。


 でも、指先にはまだ残っている。あの毛に触れたときの、硬くて冷たい感触。そして匂い。鉄と、土と、名前のない何か。


 あいつは山の上にいる。牛くらい大きくて、周りの魔物が逃げ出すくらい強い。気性が荒いと言われていて、格が違うとレオンは言った。


 でも。


 稜線にただ立っていたあの姿を思い出す。

 夕焼けの中で、風を受けて、じっとしていた。あれは暴れている姿じゃなかった。何かを見ていた。何かを待っていた——ように見えた。


 あいつの声を聞いたら、何が聞こえるんだろう。


 『こわい』だろうか。『おこる』だろうか。

 それとも、ヴィルドボアが言っていた『にげた』とは全然違う、別の言葉が聞こえるんだろうか。


 自分の指先を嗅いだ。まだかすかに、あの匂いがした。

 焦っても仕方がない。でも、この匂いが消える前に、もう少しだけ近づきたい。

 あいつまでの距離が、少しだけ縮まった気がした。


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