第四十九話 帰り道、二人
パスハイムの西門を出た朝は、よく晴れていた。
俺はエルツに乗って、横にレオンが歩いていた。アイテムバッグを肩にかけて、剣を腰に差して、普段より少し身軽な格好だった。
ダンダンは肩の上、アスタは頭の上あたりで浮いていた。セレスは胸の中で静かにしていた。
「まあまあの天気だな」
レオンが空を見上げながら言った。
「移動には良い日だ」
「うん」
空を見上げたレオンの横顔が、なんだかたくましく見えた。
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しばらく、黙って歩いた。
街道は平らで歩きやすかった。遠くに山が見えていた。
「フリッツさ」
レオンがしばらくしてから言った。
「うん?」
「前に話してくれた時、詳しくは言わなかっただろ。もう少し、聞いてもいいか」
「うん」
俺はエルツの背中の上で、少しだけ考えた。
前に話した時は、ほとんど何も言えなかった。竜が眠ったこと、託されたこと、それくらい。でも今は、もう少し話せる気がした。
「……竜は最後、眠るみたいに逝った」
「うん」
「話はちゃんと聞けた。話してくれたこと、たくさんあった」
「うん」
「託されたのは、旅を続けること。世界を見て回れって言われた」
「……」
「神の代行者として」
レオンが足を止めた。
「なんて?」
「神の代行者。なんか、大げさだよね」
「……」
レオンが少しだけ口を開けて、むにゃむにゃ言いながら閉じた。
それから、空を見上げた。
「そうか」
「うん」
「お前、そういうの貰ってきたのか」
レオンがまた歩き始めた。少し、歩調がゆっくりになっていた。
「……引き受けたのか」
「うん」
「……重いもん背負わされてねえか」
「ううん」
俺は首を振った。
「一人で全部は背負わなくていいって、竜が言ってくれた。俺のやり方でいいって」
「——ああ」
レオンが少しだけ、ほっとしたような顔をした。
「それなら、いい」
「うん」
「お前が潰れるのは、嫌だからな」
レオンはぶっきらぼうに言った。でも、言葉は優しかった。
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日が少し傾き始めた頃、街道脇の野営地で休むことにした。
レオンが手際よく枝を集めて、火をおこした。——慣れた手つきだった。
「レオン、本当に手際いいよね」
俺が言うと、レオンが鼻を鳴らした。
「お前が相変わらず壊滅的に出来ねえだけだろ」
「……そうかも」
「飯セット、使い心地はどうだった」
「すごかったよ。紙に書いてあった通りにやったら、まともなご飯できた」
「そりゃそうだ。あれ、失敗しようがないように作ってあるんだから」
「塩の小袋とか、一回分ずつ分けてあったのが便利だなって思った」
「お前に瓶ごと渡したら全部入れるだろ」
「入れないよ。……入れない、と思う。たぶん」
「たぶん、ってなんだよ」
レオンがちょっと呆れた顔をした。それから火に枝を足した。
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「あのさ」
レオンが火を見ながら言った。
「うん?」
「俺、Cランクになってから色々あった」
「うん」
「最初の単独クエスト。——北の街道の、商隊護衛」
「うん」
「無事に終わった。大きな事件はなかった。いや、備蓄として買ったものは使ったんだが……とにかく、——頭はよく使った」
「うん」
「夜の見張り番が、静かだった」
レオンが少し、黙った。
「最初の夜、静かすぎて逆に気が張った。お前らといると、寝息とかダンダンの転がってる音がしててさ」
「うん」
「それが、なかった」
「……」
「ああ、俺、あいつらと旅してたんだなって気づいた」
レオンの声は、いつもよりずっと静かだった。
「……仕事はちゃんとやった」
「うん」
「商人に感謝された。準備の良さとか、魔物避けの道具のこととか。ギルドに戻ったら、ギルドマスターに褒められた」
「うん」
「あと、若い冒険者が俺のとこに相談に来た」
「え、本当?」
「お前の調書を俺が整理した、って話が広まっててな」
「ああ」
「『ハルトマンさん、教えてください』って何人かに言われた」
「……へえ」
「照れ臭かった」
レオンがちょっと笑った。
「でも、悪くなかった」
「うん」
「俺、ちゃんとCランクの冒険者をやってたんだなって思った」
俺も頷いた。
地に足ついた冒険者として、みんなから慕われるのってすごいことだ。
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焚き火がパチリと音を立てた。
ダンダンが俺の手の中でぐーっと伸びをして、また丸まった。エルツは少し離れたところで伏せていた。アスタが火の近くで、光を柔らかくしていた。
「——なあ、フリッツ」
レオンが、火を見ながら言った。
「うん?」
「お前の村って、どんなとこだ?」
「うん?」
「俺、行くの初めてだろ。ちょっと、聞いとこうかと」
俺は少し笑った。レオンが、ちゃんと心の準備をしようとしている。それがなんだか嬉しかった。
「うーん。静かなとこだよ」
「いいな」
「森に囲まれてて畑があって、家が何軒か」
「うん」
「人よりも、魔物のほうが多分多いかも」
「……えっ」
「小さいやつばっかりだけど」
「ふうん?」
「切り株があって、そこに小さめの魔物たちが集まる。モスリンとか、蔦の子とか」
「……お前が居ると集まるのか?」
「うん。座るとだいたい、集まってくる」
「へえ」
レオンは少しだけ、目を細めた。信じられないけどフリッツならあり得る、という顔。
「村の人たちは、そういうの普通なのか?」
「普通。みんな別に、驚かない」
「そうか」
「たまに、父さんも一緒に座ってる」
「……父さん、何してる人?」
「木を切る人」
「木こり?」
「うん」
「母さんは?」
「畑とか、保存食作ったりとか。冬の支度が、多い」
「そうか」
レオンが頷く。
「……俺、何話したらいいんだろ」
少しの間があってからレオンが独り言みたいに言った。
「うん?」
「お前のお父さんとお母さんに、会う時だよ」
俺は少し笑った。レオンがそんなことを気にしているのが、なんだか嬉しかった。
「普通でいいと思うよ」
「普通、ねえ」
「二人とも、穏やかな人だから」
「お前が言うと、説得力あるな」
レオンが、ちょっと笑った。
「フリッツがこう育ったんだから、そりゃそうか」
「うん」
二人して、火を見た。
両親に会ったら何て言おう。
長い旅だった。色々、あった。エルツと会うまでもだし、会ってからも。きっと全部は話しきれないくらい。
でも多分何を話しても、二人はちゃんと聞いてくれる。そういう親だから。
そう思ったら少しだけ、安心した。
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翌朝、俺たちはまた歩き出した。
エルストに着いたのは、昼過ぎだった。
——相変わらず、うるさかった。
パンの匂い。馬糞。香辛料に、汗。人の声。市場の呼び込み。荷車の音。子供の泣き声。——全部が混ざって、押し寄せてきた。
「相変わらずだな」
「うん」
「お前、こういう臭いとか平気な口だっけ?」
「寝泊まりしてた宿のあたりはもう少し静かだったから。市場はあんまり来てなかった」
「ああ、そうか」
エルストの騒がしさが久しぶりで、逆になんだか嬉しかった。
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まずはギルドに顔を出すことにした。
北門をくぐって街の中心に向かう道中、次々と呼び止められた。
「おい、フリッツ坊主じゃねえか!」
干物屋のおっちゃんが、包みを押し付けてきた。金を払おうとしたら怒られた。
「いらねえ! 婆さんにも会ったって伝えておくからな!」
それから俺の横のレオンを見て、にやっと笑った。
「ハルトマンも一緒かい。お前も食え!」
「あ、どうも……」
レオンにも包みが渡された。
そのすぐ先では、パン屋のおばさんに「痩せたんじゃないかい!」と焼きたてのパンを持たされた。レオンには「あんたもちゃんと食べなさいよ」と更にもう一つ。
薬草を売ってる婆さんには、袖を掴まれて「生きてたんだねえ」と泣きそうな顔で言われた。新しい薬草の束を渡された。レオンを見て「あんたがこの子を見てくれてたんだね」と言われて、レオンが「いや、俺は別に」と耳を赤くしていた。
解体屋のおじさんは、通りかかっただけで店から出てきて、「生きてたか」「また素材持ってこい」とぶっきらぼうに言った。手元に包みがいつの間にか渡される。干し肉と燃料だった。レオンには「お前もCランクだってな。もっと上を目指すんだろ」と言った。
やかん亭の主人は、店先で磨いていた杯を落としそうになった。
「坊主! 帰りに寄れよ! 飯、用意しとく! 連れの分もな!」
返事をする前に、扉に戻っていった。
十歩ごとに誰かが声をかけてきた。歩くたびに、荷物が増えていった。……二人分。
「お前、有名人どころじゃねえな」
レオンが呆れた声で言った。両手に荷物を抱えていた。
「こんなんじゃなかったんだけど」
「嘘つけ」
「レオンも結構もらってたじゃん」
「……俺は巻き込まれただけだ」
レオンの耳が赤かった。エルストの街は、レオンのこともちゃんと見ていたらしかった。
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ギルドに着いた。エルツとダンダンは外で待っててもらった。
扉を押すと受付の女性が顔を上げて、一瞬手を止めた。それから、ふっと息を吐いた。
「お帰りなさい」
以前と変わらない、優しいな口調だった。でも声は少しだけ、柔らかかった。
「ただいまです」
「長かったですね」
「はい」
受付の女性は、俺のギルド登録をしてくれた人。初めてここで登録した日から、ずっと同じ人。事務的であんまり余計なことは言わない。でも、ちゃんと見てくれている人だった。
「本部からの通達はこちらにも来ています。色々あったそうですね」
「はい」
「ご無事でよかったです」
「ありがとうございます」
なんて事ないやり取りに見えるかもしれない。けど、胸はいっぱいになった。
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鑑定士のグスタフのところへ。
扉を開けると、奥でグスタフが鑑定作業をしていた。白い上着は相変わらず、少しインクで汚れていた。
「おお、フリッツか」
顔を上げるといつもの調子で、眼鏡をずり上げた。
「こんにちは」
「来たか。話は通達で読んだ。とりあえず、そこに座れ」
「はい」
俺とレオンは、奥のテーブルに通された。両手の荷物を、床に下ろした。荷物の山を見てグスタフが一瞬、眉を上げた。
「街を歩いてきたな」
「はい」
「まあ、当然だ」
グスタフは椅子に座って、俺を見た。
俺は少し迷ってから、アイテムバッグに手を入れた。
「あの、グスタフさん。見てほしいものがあるんですけど」
小さな鉱石をひとつ取り出した。竜の蓄えからもらってきた、青みがかった結晶。
グスタフの目が、一瞬だけ動いた。それから棚からピンセットと木箱を取り出した。結晶をピンセットで受け取って、ランプの下に置いた。
しばらく無言だった。
眼鏡を外して、結晶に顔を近づけた。——グスタフが眼鏡を外すのは、本当に集中している時だけだった。
長い沈黙の後、グスタフが静かに言った。
「……良い結晶だ。湿度に注意しろ。直射光は厳禁。木箱で暗所保管」
「はい」
「保管に使う木は白梢がいい。赤鉄樹は結晶を傷める」
「白梢、ですね」
「磨くな。そのままが一番いい状態だ」
「分かりました」
「……他にも何か、見せてもらえるか」
眼鏡をかけ直す手が、ほんの少しだけ早かった。
「はい」
俺はもう一つ、布にくるんだものを取り出した。竜の鱗の欠片だった。調査団に渡したのとは別の、小さな一枚。手元に残しておいたものだった。
グスタフは布を開いて、鱗を見た。
手が一瞬止まった。それだけだった。でもそれがグスタフの最大の反応だと、俺は知っていた。
「……もしよければ、少しの間、預からせてくれないか」
「いいですよ」
「うちの道具でできる限り見たい。鑑定の精度を上げたい」
「はい」
「……ありがとう」
グスタフが静かに頭を下げた。
俺は、ちょっと笑いそうになった。グスタフは、変わっていなかった。しっかり鑑定してくれて、それから珍しいものに目がない感じ。
「ああ、それと」
「はい」
「帳面、書いてるか?」
「はい、続けてます」
「次に来た時また、見せてくれ」
「もちろんです」
「楽しみにしてる」
ちょっとだけ、グスタフが笑った。いつも俺がしてた事に驚いたり変な顔していたから、ほんの少し珍しいものが見れたような気持ちになった。
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その夜は、やかん亭で夕食を取った。
主人の言った通り、席が取ってあった。特盛の料理が出てきて、断っても金は取られなかった。レオンが腕まくりをして、本気で食べてくれた。
店を出る時、主人が磨きすぎた小さな杯を押し付けてきた。前にもそうされた覚えがあった。主人はフリッツに、磨きすぎた杯をくれる癖があった。
「今日は泊まっていくだろう。お前の友達には窮屈かもだが」
「はい、ありがとうございます」
街の店先には、油灯の明かりが灯っていた。人通りも、まだある。エルストは、夜もうるさい街だった。
「いい街だよな」
レオンがぽつりと言った。
「うん」
「お前も、俺も。居場所がちゃんとある街だな」
「うん」
俺は頷いた。
その夜、レオンとたくさん話をした。取り留めもないことをたくさん。
エルツやダンダンは外の庭で寝ることにしたらしい。アスタはダンダンと外で静かな「ぱちぱち」勝負をしてたみたいだったけど、やがて皆眠りについた。
翌朝、俺たちは北門から出発することにした。
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北門に向かう途中で、乗合馬車の停留所を通りかかった。
馬車が一台、停まっていた。御者が荷物を積み込んでいた。
俺は、少し立ち止まった。見覚えのある人だった。
「……おや?」
御者が顔を上げて、俺を見た。目が、少しだけ丸くなった。
「おはようございます」
「あんた、あの時の坊主か」
少ししわがれた声。間違いなく、前に俺を村から乗せてきてくれた人だった。
「はい、フリッツです」
「覚えてるよ。あの時、馬の棘を抜いてくれた。うちの店の馬の、気性の荒いあいつ。今でも元気だ」
御者が指を差した方を見ると、馬車の前に繋がれた馬がいた。
……あの時の、馬だった。
毛並みは手入れされていて、元気そうだった。
「挨拶してもいいですか?」
「ああ、どうぞ」
俺は、馬に近づいた。
馬が軽く鼻を鳴らした。俺はそっと鼻先に手を当てた。
魔物じゃないから、声は聞こえない。何を思っているかは何となく分かる。
鼻先を押し付けてきた。少しだけ首を傾けた。馬も覚えていてくれた、のかもしれない。
「ありがとう」
馬が静かに擦り寄る。御者が俺たちを見て、少し笑った。
「あの時の坊主が、ちょっと立派になって戻ってきたんだな」
「……はい」
「その、後ろのでっかいのは?」
御者が、エルツに目をやった。エルツはもの静かに立っていた。
「俺の友達です」
「へえ」
御者が感心した顔で、頷いた。
「馬車じゃなくて、そいつで帰るんだろ?」
「はい」
「気をつけて、帰りな」
「ありがとうございます」
俺はもう一度、馬の首を軽く撫でた。馬が、目を細めた。
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北門を抜けると、街道が始まっていた。
エルツが俺たちの前で、ゆっくり身を伏せた。
「レオンも乗る?」
俺が聞くと、レオンが頷いた。
「ああ。隣村まで並走じゃ、さすがに遅いし疲れる」
俺たちは、エルツに乗った。ダンダンは肩、アスタは頭の上、セレスは胸の中。
エルツが、ゆっくり立ち上がった。
『行くか』
「うん」
エルツが、歩き出した。
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街道を、しばらく進んだ。
エルツの歩調は、馬よりも安定していた。——速くて、でも揺れない。俺たちは、ゆったりと景色を眺めていられた。
「昔と違うな」
レオンが、ぽつりと言った。
「うん?」
「お前が最初に村を出たとき、これに乗ってたか?」
「ううん、馬車だった」
レオンが、少し笑った。
「俺が初めて見た時は、フリッツ・アルトハウスっていうちんちくりんの坊主だった」
「今もそんなに変わってないと思うけど」
「いや、変わった」
「そうかな」
俺はエルツの背中に、少し触れる。
隣村を通過した。
最初に馬車で降りて、エルスト行きの乗り継ぎを待った、あの広場。今日は、通過するだけ。
エルツの背中から、広場を見下ろした。
「ここ通ったな、最初に」
レオンが言った。
「うん。乗り継ぎで、待った」
「お前、知らない街でドキドキして歩いてたんじゃないのか」
「そうだったと思う」
「今は、どうだ?」
レオンが聞いた。
俺は少しだけ考えた。
「……今も、ちょっとドキドキしてる」
「ふうん?」
「村が、近いから」
レオンは頷いた。それ以上、聞かなかった。
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隣村を抜けて、街道をさらに進んだ。次は村まで、止まらない。
街道が少しずつ、見覚えのあるものに変わっていった。
木の形。岩の配置。苔の生え方。全部、覚えていた。
俺は黙って、景色を見ていた。
横で、レオンも黙っていた。
匂いが、変わった。
パスハイムの乾いた匂いとも、エルストの雑多な匂いとも違う。森と苔と湿った土の、懐かしい匂い。
村が近い。
俺は深く息を吸った。なんでか胸が詰まりそうになった。
ダンダンが手の中で、鼻をひくひくさせている。
『フリッツ、この、かおり』
「うん」
『むら、の』
「うん、同じだね」
ダンダンも覚えていた。村で俺と最初に出会った時の、匂い。
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稜線が見えた。
稜線の向こう——俺が最初に単角獣としてエルツと出会った、あの稜線。
あの時から、長い時間は経っていないのに、すごい前のことのように思えた。
エルツが、ゆっくり曲がりくねるみちを行く。
次に見えたのは、見覚えのある山の形。
村の手前で、エルツが歩みを止めた。
街道脇の、少し開けた場所だった。
「ここからは歩こう」
俺が言うと、レオンが頷いた。
エルツが、静かに身を伏せた。俺たちは、ゆっくり降りた。
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俺とレオンは街道に立った。
村まではここから、歩いて十分ほどだった。
遠くに、家の屋根が見えた。
細い煙が何本か、上がっていた。誰かが朝ごはんを作ってるんだろう。
俺は少し息を吐いた。
「……着いたな」
レオンがぽつりと言った。
「行くか?」
「……うん」
俺は頷いた。
でも、すぐには動けなかった。
村を眺めながら、俺は荷物を少しだけ背負い直した。
エルツが振り返る。金色の目が俺を見ていた。
『ゆっくりでよい』
「うん」
『急ぐことはない。……汝の、家だ』
俺は少し、笑った。
それから、前を向いて歩き出した。




