第四話 角のある影
エルストでの最初の三日間は、同じことの繰り返しだった。
朝、灰色のやかん亭で黒パンとスープの朝飯を食べる。宿のおじさんが毎朝同じ杯を磨いている。たぶん磨くのが趣味なんだと思う。
朝飯のあと、街の外に出る。東門を抜けると、街道沿いに雑木林が続いている。虫系や小型の魔物がいるのは、道から少し外れた草地や沢沿いだ。
やることは村にいた頃と変わらない——と思っていたが、少し違った。
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一日目。
まずギルドの掲示板を見た。Fランク向けの依頼はだいたい三種類。素材の採取、荷物の運搬、街中の雑用。採取系の依頼が何枚か貼ってある。
「キバナコウソウの葉 新鮮なもの 銅貨十五枚」
「アカツキタケ(赤傘茸) 乾燥・生問わず 銅貨二十枚」
「ルリゴケ 湿った状態で 銅貨十枚」
名前を見ても、ニガヨモギ以外はよくわからない。村で爺ちゃんに教わった知識はあるが、体系的ではない。このまま外に出ても、見つけたものが依頼の品かどうか判別できない。
受付の人に聞いた。
「素材の採取をやりたいんですけど、薬草の見分け方がわかる本とかありますか」
受付の人が棚の下から薄い冊子を出してくれた。『新人冒険者のための採取手引き エルスト支部版』。表紙が擦り切れている。
「貸出用よ。ギルド内で読んで、閉館までに返してね」
「ありがとうございます」
壁際のテーブルに座って、読んだ。
手引書には、エルスト周辺で採れる主要な薬草・キノコ・鉱石が一覧になっていた。それぞれの特徴、生育環境、採取時の注意点、買取相場が書いてある。絵もついている。下手だが、わかりやすい。
キバナコウソウ。黄色い花、鋸歯状の葉、苦い匂い。湿った沢沿いに群生する。傷薬の原料。虫食いがなく、花がまだ蕾のうちに摘んだものが最も薬効が高い——。
花がまだ蕾のうち。なるほど。ニガヨモギのときは虫系が「にがい、むし、たべない」と言ったから虫食いがないのは当たり前だったが、採取時期の判断は自分でしないといけない。
アカツキタケ。赤い傘、白いひだ、灰色の軸。岩場の日陰、湿度の高い場所を好む。解毒剤の原料。似た見た目の毒キノコ「ニセアカツキ」は軸が黒い——。
軸の色が見分けのポイントか。これは覚えておかないと。
ルリゴケ。瑠璃色の苔。湿度の高い深い森の岩肌に生える。鎮痛剤の原料。乾燥させると薬効が落ちるため、湿った状態での納品が求められる——。
二時間ほどかけて、依頼に出ている素材を全部覚えた。それから手引書を返して、外に出た。
東門を抜けて、街道脇の沢沿いまで歩いた。虫系の魔物を見つけた。リッケルではないが、甲虫系の仲間だろう。殻が黒くて、角が二本ある。
『なに。おおきい。あぶない?』
「あぶなくないよ。このあたりで、黄色い花が咲いてる草、知らない? まだ蕾のやつ」
『きいろ、はな。つぼみ。さわ、おく。にがい。むし、たべない。ある』
手引書で読んだ特徴を、虫系に伝わる言葉に変換して聞く。「薬草」と言っても虫にはわからないが、「黄色い花、蕾、苦い」なら伝わる。
沢の奥に行くと、確かに黄色い蕾をつけた草が群生していた。手引書の通り、鋸歯状の葉。匂いを嗅ぐと、鼻の奥に刺すような苦み。キバナコウソウだ。
蕾の状態のものだけを選んで、葉ごと摘んだ。三分の一を残した。
ギルドに持っていったら、鑑定士が葉を一枚取り上げて裏返し、匂いを嗅いだ。
「……蕾の段階で摘んであるな。薬効が一番高い時期だ。どうやって見分けた?」
「手引書に書いてありました」
「ああ、あれを読んだのか。読んでるやつは案外少ないんだよ」
銅貨十五枚。依頼分の満額だった。
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二日目。
朝、ギルドでグスタフを捕まえた。昨日の納品のときに気になったことがある。
「アカツキタケの見分け方を教えてもらえませんか。手引書には赤い傘としか書いてなくて」
グスタフは少し驚いた顔をしたあと、カウンターの裏から乾燥したキノコの標本を二つ出してきた。
「これが本物。軸が灰色で、傘の裏のひだが白い。こっちがニセアカツキ。軸が黒くて、ひだに紫が混じっている。山で迷ったら軸を折れ。灰色なら持って帰れ。黒なら捨てろ」
軸を折る。覚えた。手引書の絵よりずっとわかりやすい。実物を見ると色の違いが一目でわかる。
「ありがとうございます」
「礼はいい。毒キノコを持ってこられるほうが困る」
早速、外に出た。
沢沿いの上流、岩場の影に小型のモスリンがいた。エルスト近辺にもいるらしい。毛の色が村のやつらより濃い。環境の違いだろうか。
警戒されたが、靴についたムックの匂いが効いた。
『……もす、におい。とおく、きた?』
「うん。遠くから来た。このあたりの岩場で、赤いキノコが生えてるところ、知らない? 傘が赤くて、日陰に生えるやつ」
『いし、うら。あかい、きのこ。ある。くさ、くさい。ひと、ほしがる。なんで』
石の裏に赤いキノコ。臭い。人間が欲しがる理由がわからない——モスリンの感想はだいたいこんな調子だ。
教えてもらった場所に行って、岩の裏に群生しているキノコを見つけた。一つ抜いて、軸を折った。灰色。ひだは白い。本物だ。グスタフに教わっていなかったら、この判別はできなかった。
ギルドに持っていったら、グスタフがまた変な顔をした。
「……これもきれいな状態だな。ニセアカツキが一本も混じっていない」
「朝教えてもらった通りに、軸を折って確認しました」
「……素直なやつだな、お前」
銅貨二十枚。依頼の満額。
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三日目。
東門の外に出たら、門番に声をかけられた。
「おう、坊主。また行くのか」
毎朝同じ時間に出入りしているので、覚えられたらしい。
「今日は南のほうに行ってみようかなと。ルリゴケを探しに」
「南は森が深いぞ。Fランクなら無理するなよ」
「討伐はしないので。素材だけです」
「素材だけで三日連続でギルドに納品してるって聞いたぞ。鑑定士のグスタフが不思議がってた。若い男はみんな討伐依頼ばかりしたがるのにってな」
俺は討伐しないしなぁ。不思議がってたと言われても、聞いたことを素直にやっただけだ。
ルリゴケの依頼を受ける前に、ギルド裏手の薬屋に寄った。ルリゴケを扱っているか聞いたら、店主のおばさんが色々教えてくれた。
「ルリゴケはね、乾かしたらおしまい。摘んだら厚い葉で包んで、湿度を保ったまま持ってきな。時間との勝負だよ」
手引書には「湿った状態での納品が求められる」としか書いていなかった。厚い葉で包む、という具体的な方法は薬屋のおばさんの知恵だ。
南の森に向かった。深い。木の密度が高くて、光が地面まで届かない場所がある。苔が厚い。空気が湿っている。
苔が厚いということは——。
思った通り、モスリンがいた。三匹。苔の上に並んで座っている。俺に気づいて耳を立てたが、逃げなかった。
『もす。もす、におい。しってる。ここ、あぶなくない、ひと。めずらしい』
苔の匂いがするから安全な人間だと判断されたらしい。
「この森で、青い苔が生えてるところ、知らない? 岩肌についてるやつ」
『あおい、こけ。ある。おく。いわ、おおきい。みず、ちかい。でも、おく、おおきい、いきもの、いる。ちかづかない、いい』
奥に大きな生き物がいるから近づかないほうがいい。ルリゴケはその手前にもあるか聞いたら、手前の岩場にも少しあると教えてくれた。
手前の岩場まで行って、瑠璃色の苔を見つけた。薬屋のおばさんに教わった通り、厚い葉で包んで湿度を保ったまま持ち帰る。時間が勝負だ。
急いでギルドに戻った。銅貨十枚。値段は低いが、依頼完了の実績がつく。
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三日で銅貨四十五枚。ニガヨモギの十五枚と合わせると六十枚。宿代を引いても、しばらくは食いつなげる。
四日目の朝、ギルドで新しい依頼が出ていないか掲示板を見に行った。
採取系の依頼はだいたい顔ぶれが同じだった。今日も手引書を借りて、まだ受けていない素材の項を確認するか——と思ったとき、掲示板の横の板に目が止まった。「情報掲示板」。依頼ではなく、目撃情報や注意喚起が貼ってある。
何気なく見ていたら、一枚の紙に目が止まった。
「注意:北部山岳地帯において、単角獣の目撃情報が複数報告されています。推定Bランク以上の魔物の可能性あり。Dランク以下の冒険者は単独での北部山岳進入を控えてください」
——単角獣。
四本足。角が一本。
読み直した。北部山岳地帯。目撃情報が複数。
……あいつだ。
村の稜線に立っていたあの影。乾いた土と鉄の匂いがしたあの魔物。あの一瞬、体の真ん中を何かが通り抜けたあいつ。
「気になる?」
声をかけられて振り向いた。カウンターの受付の人だった。初日に登録してくれた女性だ。
「……これ、最近の情報ですか」
「ここ一月くらいで報告が増えたわね。もともとこのあたりにいる種じゃなさそうなの」
「なんでこっちに来てるんですか」
「さあ。それがわかれば依頼になってるわ。今のところは目撃情報の収集だけ。ただ、この手の単角獣は気性が荒いって言われてるから、近づかないのが無難ね」
気性が荒い。
あの稜線に立っていた影を思い出した。夕焼けの中で、ただ立っていた。風を受けて、じっとしていた。気性が荒い生き物の立ち方には見えなかった。
——でも、あのとき一瞬だけ何かが通じた。あれが何だったのか、まだわからない。
「Bランクなんですか」
「目撃情報からの推定ね。体格と、角の硬度から。魔術を操るとも言われてるわ。おそらく素材としてはかなりの高ランクよ。角一本で金貨が動くとも言われてる」
金貨。軽金貨じゃなくて金貨。けどそこには興味がない。興味があるのは——あいつが何を考えているかだ。なぜ山から降りてきたのか。何を探しているのか。
「北部山岳地帯って、ここからどれくらいかかりますか」
受付の人が俺を見た。目が少し鋭くなった。
「……Fランクで行く場所じゃないわよ」
「行きません。聞いてみただけです」
「徒歩で三日。ただし道中にDランク帯の魔物の縄張りがある。護衛なしでは勧めない」
「わかりました。ありがとうございます」
カウンターを離れた。
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宿に戻って、ベッドに座った。
窓から夕方の風が入ってくる。四日目の夕暮れ。エルストの屋根が赤く染まっている。
徒歩で三日。道中にDランク帯の縄張り。Fランクの俺には遠い。
でも、あいつはそこにいる。いるかもしれない。
今の俺にできることを考えた。路銀を貯める。ランクを上げる。Dランク帯を通れるだけの経験を積む。それには——どれくらいかかるんだろう。わからない。でも、急いでも意味がない。
村のモスリンが教えてくれたことを思い出した。南の森の深いところには大きな魔物の縄張りがある。近づくなと言われた。今はそれでいい。段階を踏めばいい。
明日も東門を出よう。明後日も出よう。素材を集めて、納品して、この街の周りの魔物と少しずつ話をして、この土地のことを知る。
ムックがいたら、たぶんこう言う。
『はやい。まだ。まつ。いつも、まつ』
——そうだな。待つのは得意だ。
でも、あの角の影が頭から消えない。
稜線に立っていたあの姿。夕焼けの赤い光の中で、一瞬だけ何かが通った。あれが何だったのか、まだわからない。もう一度、あいつの近くに行けば、わかるかもしれない。
それだけだ。それだけのために、明日も外に出る。
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(第五話へつづく)




