第三十八話 地の先住者
「だれ、だ」
その重く低い声が、どこから来たのかを探った。
渓谷の地面そのものから、響いてくる。足元の岩が微かに震えている。声は空気を通ってくるんじゃない。地面を通って、俺たちの足の裏から届いている。
「下だ」
「分かってる」
レオンが呟いた。
俺は膝をついて、地面に手のひらを当てた。岩は冷たく、湿っていた。
「聞こえていますか。——俺は、フリッツといいます。地響きのことを調べに来ました。敵意はありません」
言葉を出した瞬間に、祝福で広がった対話術の道を、地面の下へ向けて伸ばす感覚を意識した。
しばらく、返事はなかった。
そして——。
足の裏に、また小さな振動が走った。
『……ふりっつ』
声が、俺の名前を試すように口にした。
『……てきい、ない、と、ゆうのか』
「はい。俺たちは、地響きの原因を探しに来ました。あなた方に害を与えるつもりはありません」
さらに沈黙。
それから、地面が、大きく盛り上がり始めた。
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俺とレオンは後ろに下がった。ダンダンが俺の肩にしがみついた。
土が割れて、灰色の太い蠕虫のような生き物が、ゆっくりと姿を現した。
——大きい!
「ストーンワーム……!」
レオンが戦慄くようにつぶやいた。Aランク相当の魔物だ、ということを教えてくれた。
胴体の直径だけで、俺の身長よりも太い。地面から出ている部分だけで、五メートル以上。全部はまだ地面の下だ。体の表面は湿っていて、微かに光を弾いた。
頭の部分には、目がなかった。
代わりに、細い、無数の触毛が、頭の周りをふわふわと漂っている。触毛が俺たちの方向にゆっくりと向けられた。見ているわけじゃない。——感じている。
口は円形で、内側に細かい歯が並んでいた。でも、そこから敵意は感じなかった。
『……あおい、こえ、だ』
ワームが言った。
「あおい、こえ?」
『われらは、いろ、で、きく。おまえの、こえ、は、あおい。すんでいる。まじりけが、すくない。——てきい、は、ない。それは、わかる』
色で聞く。俺が声の色を見るのと、逆のこと。同じ感覚の言い方かもしれない。
「ありがとうございます」
『われらは、ふるくから、ここに、すむ。ねどこ、を、ゆらす、もの、ではない、と、わかった。では、なにが、ようだ』
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俺は姿勢を戻して、ワームの頭——触毛のある部分——に向かって話した。
「半年ほど前から、この渓谷で地響きが起きていると聞きました。原因を調べたいんです。地響きが続くと、渓谷の外の人たちも困ります。それに——あなた方も、困っているんじゃないかなって」
ワームの触毛が、一斉に震えた。驚きとも、困惑とも取れる動き。
『……われらも、こまっている。ねどこ、ゆれて、おちつかぬ。なかまの、おさないもの、ねむれぬ。こどもが、ねむれぬ』
「子どもが、眠れない」
その一言で、ワームの中に子どもがいて、親がいて、寝床の安定を求めているのが伝わってきた。俺たちの町と、そんなに変わらないのかもしれない。
『……われらも、げんいん、を、さがした。だが、みつからぬ。われらの、ねどこ、より、もっと、ふかい、ところ、で、なにか、が、ある。とおすぎて、われらには、とどかぬ』
「深いところ……」
『きせつ、ふたつまえ、だ』
ワームの声が、少しだけ変わった。記憶を辿るような響き。
『そらから、もえる、ほし、が、おちてきた。おおきな、ひびき、だった。われらの、ねどこ、より、ずっと、ふかい、ところ、まで、なにか、が、しずんだ。それから、じめん、の、ながれが、くるった』
燃える星。
半年前にパスハイムで騒ぎになったという、あの「星」だ。ギルドの記録では詳細が分からずじまいので「隕石の類」と処理されて、調査は打ち切られていた、とレオンが教えてくれた。
——でも、それで終わりじゃなかった。
「その、燃える星が、地響きの原因だと」
『そうだ、と、おもう。だが、われらには、あいてが、とおすぎる。とどかぬ』
俺は届くだろうか。
分からない。でも、やってみる価値はある。
「——そこまで、連れて行ってもらえますか」
ワームの触毛が、ぴたりと止まった。
『……おまえが、いく、つもり、か』
「行けるなら、ぜひ」
『ふかい。われらの、みち、を、つかえば、ふるい、くうどう、まで、いける。だが、そのさき、は、われらの、ちから、では、いけぬ。おまえたちの、にんげん、あしで、すすむしか、ない』
「それで十分です」
ワームがしばらく考えるように、体を微かに揺らした。触毛が上下に動いた。
『……いいだろう。われらも、ねどこ、を、とりもどしたい。おまえが、いくなら、てつだおう。のれ』
「乗るって?」
『われらの、せなか、だ。ふかい、くうどう、の、てまえ、まで、はこぼう』
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ワームが体を地面に半分沈めて、背中の一部を水平にした。灰色の太い胴体が、まるで石畳のように広く、安定した面になった。
レオンが先に乗った。慎重に足を置いて、滑らないことを確かめた。
「意外と……乾いてるな」
『われらの、せなか、は、つめたい。かんそう、している、ところ、だ』
レオンがダンダンと俺に手を伸ばした。俺は肩のダンダンを一度抱き上げてから、ワームの背中に乗った。
乗り心地は——悪くなかった。表面は湿っているところと乾いているところがあり、俺たちが乗ったのは乾いた部分。硬くもなく柔らかくもない、奇妙な感触。
「——エルツ、聞こえてる?」
俺は渓谷の入口で待っているエルツに向けて声を飛ばした。祝福で広がった対話術の届く範囲なら、入口までは届くはずだ。
少しの間があって、返事が来た。
『聞こえる。……ストーンワームの背に乗ったか。面妖な……』
「うん。地中の洞窟まで案内してくれるって。——地響きの原因は、半年前の燃える星かもしれない」
『……燃える星』
「うん。深いところに埋まってるみたい。行ってみる」
『気をつけろ。——無事で戻ってこい』
「うん」
短いやり取りだった。でも、エルツの声には珍しく緊張があった。単角獣の金色の目が、渓谷の入口で空を見上げている光景が、なんとなく浮かんだ。
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ストーンワームが動き始めた。
地面を掘り進めているわけじゃなかった。元々あった地中の空洞や裂け目を、体をくねらせて通っていた。俺たちが乗っているのは、ワームの胴体の上半分が地上に露出した形で、体の大部分は地面の下にある。進む速度は、徒歩より少し速いくらい。
渓谷の壁に沿って、ワームは南へ進んだ。やがて、岩の裂け目の中に潜り込んだ。暗くなった。日の光が少しずつ減っていく。
「ダンダン、大丈夫か」
『ダンダン、へいき! ひかり、なくても、みえる!』
モスリンの目は暗闇でもよく見える。レオンが革袋から小さな光の石を出した。パスハイムで補充した旅の道具の一つだ。ぼんやりとした黄色い光が、周囲を照らした。
ワームがさらに奥へ進んだ。狭い裂け目を通り抜けて、より広い洞窟に出た。
そこで、ワームが速度を落とした。
『ここから、さきは、ふるい、ほらあな、だ。われらの、ねどこ、ではない。——おりろ』
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ワームの背中から降りた。足の裏に硬い岩の感触が戻ってきた。
洞窟は、思っていたより広かった。天井が俺の背の三倍ほどの高さ。石筍と鍾乳石が、天井と地面から互いに伸びていた。長い時間をかけて作られた地形。空気は冷たく、湿っている。
壁に、微かな光があった。ダンダンが触毛を立てた。
『フリッツ、かべ、ひかってる。ちか、の、ながれ、の、ひかり、だよ』
「地脈の光……?」
『うん。ここ、まだ、ながれ、ある。あかるい。でも、ふかい、ところ、は、もっと、こい、ながれ、ある、みたい』
地脈の流れが、壁に薄く光を宿している。エルツがいつか話していた気がする——地脈の濃い場所では、岩が微かに光ることがある、と。ここはそういう場所らしい。
「ワームさん、ありがとうございました」
俺はワームに向かって頭を下げた。
『……きをつけて、いけ。ふかい、ところ、には、われらの、しらぬ、ものが、いる。おそらく、ひとつ、ではない。——もどってこい。われらも、まっている』
「戻ってきます」
ワームが触毛を一度だけ震わせて、ゆっくりと来た方向に体を戻し始めた。巨大な胴体が、少しずつ洞窟の裂け目の向こうに消えていった。
残されたのは、俺、レオン、ダンダン。そして、微かに光る岩壁の洞窟。
帳面のメモはきっとこう。
地鳴りの原因:燃える星かもしれない。
ストーンワーム:道案内をしてもらった。寝床が揺れて困っているらしい。
ワームの背中の乗り心地は意外と悪くなかった。石畳みたいなところと、硬くも柔らかくもない奇妙なところがあった。
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洞窟を歩き始めた。
レオンが光の石を手に、先頭を歩いた。俺はその後ろ。ダンダンは俺の肩。
道は一本道ではなく、いくつかの分岐があった。でも、地脈の光は一方向に強く流れていて、それを追えば「深いところ」に進めそうだった。ダンダンが「こっち、ながれ、こい」と言うたびに、その方向に進んだ。
歩いて一刻ほど経った頃、前方で何かが動いた。
レオンが光の石を持ち上げた。
——小さな人影が、五つほど。
青白い肌の、小柄な種族。目が大きく、耳が尖っている。森の地域にいるゴブリンみたいだけど、ちょっと違う。洞窟に適応した変種だろう。彼らは俺たちを見て、一斉に固まった。
声が聞こえた。
『——にんげん……?』
『ひとの、におい、する』
『なんで、こんなとこに……』
怯えと警戒。でも、敵意はない。
俺は歩調を緩めて、両手を軽く開いて見せた。
「こんにちは。ちょっと通りますね。奥に用事があって」
ゴブリンたちが顔を見合わせた。
『……つうじる……?』
『ことば、わかる……』
「通るだけです。寝床を荒らしたりしません。——あなた方も、地響きで困ってませんか?」
一番年長らしいゴブリンが、警戒したまま小さく頷いた。
『……こまっている。ちか、くるっている。みちに、まよう。たべもの、とれない、日が、多い』
「原因を調べに来ました。奥に何かあるらしいので、行ってみます」
『……げんいん、わかるの、か』
「分かるかもしれないです。分かったら、戻るときに、あなた方にも伝えます」
ゴブリンたちが、また顔を見合わせた。それから、一番年長のゴブリンが、ゆっくりと道を開けた。
『とおれ。われらは、じゃま、しない』
「ありがとうございます」
俺たちは頭を下げて、ゴブリンたちの前を通り過ぎた。ゴブリンたちは動かずに、俺たちが通り過ぎるのを見守っていた。
通り過ぎた後、レオンが低い声で呟いた。
「……お前と一緒にいると、ダンジョンに入っても戦闘が発生しないな」
「そうかな」
「そうだよ。俺、ソロで普通に冒険者やってたら、ここまで来るのに三回は戦うぞ」
「対話術、便利だね」
「便利のレベルを超えてる」
レオンがうんざりとそう言った。
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さらに奥へ進んだ。
しばらく行くと、また別の種族に出会った。今度は岩の天井に張り付いている蝙蝠型の魔物。羽を畳んで、天井の窪みに何匹も寄り集まっていた。
俺たちが通ると、蝙蝠たちが一斉に目を開けた。細い目がこちらを追った。
「通ります〜」
『……あ、うん』
『どうぞー』
声が頭の中に届いた。蝙蝠たちは眠っていたところを起こされたような気配だったけれど、敵対してこなかった。
その先には、光る苔を育てている小さな甲虫の群れがいた。苔から淡い緑の光が漏れて、周辺がぼんやりと明るくなっていた。
「通ります〜」
『おう』
『じゃまするなよー』
『ちゃんと、こけ、ふまないでねー』
甲虫たちは苔を大事に育てているらしい。俺は足元に気をつけて、苔の生えていない場所を選んで歩いた。ダンダンが肩の上で「きれい……」と呟いた。
——洞窟には、色んな命がいた。
それぞれが、それぞれの生活を持って、地中で暮らしていた。地響きが彼ら全員を困らせていた。でも、それでも、彼らは自分たちの場所で静かに生きていた。
俺たちはただ、通り過ぎる旅人だ。
邪魔をしないように、でも何かを持ち帰れるように、奥へ進む。
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一日目の歩行が、長く続いた。
足が重くなってきた頃、レオンが立ち止まった。
「そろそろ休むか。奥へ行く前に、一度ちゃんと寝ておきたい」
「うん」
岩棚の、少し広くなった場所を見つけた。古い火口の跡があった。誰かが、いつか、ここで焚き火をしたらしい。何十年前か、何百年前か、わからないけれど、同じように洞窟を通った誰かがいたという証。
レオンが火を熾した。アイテムバッグから乾いた枝を取り出して、小さな炎を作った。火の周りで、俺たちは保存食を取り出した。干し肉と硬いビスケット。水筒の水を少しずつ飲んだ。
「お前のアイテムバッグ、本当に便利だな」
「うん」
「これがなかったら、薪を自分たちで見つけないといけないところだった。洞窟で乾いた薪なんて、そうそう見つからない」
レオンが感心したように呟いた。
ダンダンが焚き火の前で丸くなった。小さな体が炎の光で赤く染まった。
『あったかい……ねむい……』
「寝ていいよ。俺が先に見張る」
レオンが「俺が先に見張る」と被せてきた。
「お前、先に寝ろ。歩きづめだったろ」
「お前もだろ」
「俺のほうが体力がある。——寝ろ」
レオンが剣を膝の上に置いて、岩壁に背を預けた。俺はしぶしぶ、丸めた布を枕にして横になった。
石の天井を見上げた。地脈の光が、うっすらと岩の隙間に流れていた。静かだった。遠くで水が滴る音がする。地上の夜の音とは全然違う、もっと深い静けさ。
——半年前の、燃える星。
何が、そこにいるんだろう。
眠気がゆっくりと体を包んだ。最後に、エルツの金色の目が、渓谷の入口で空を見上げている光景が、頭に浮かんだ。
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翌朝——というより、洞窟の中では時間の感覚が曖昧だったけれど、体の感覚で「朝」と決めた頃。
俺たちは再び歩き始めた。
洞窟は、進むほどに空気が変わっていった。冷たさが増す。湿度が下がる。地脈の光が、壁から天井へと広がっていく。壁の光は薄くなって、代わりに天井の一部が明るく脈打つように光っていた。
ダンダンが、肩の上で触毛を立てた。
『フリッツ。ちか、の、ながれ、ここ、すごい。ぐるぐる、してる。あたたかい、ところ、と、つめたい、ところ、が、まじってる』
「ここが、地脈の渦の中心か」
『もうすぐ。なにか、ある』
レオンが光の石を前に突き出した。
洞窟の先が、急に広くなっていた。大きな空洞のような場所。光の石の光が、全体を照らしきれない。それくらい広い空間だった。
そして——空洞の奥の方に、光があった。
岩壁の光でも、苔の光でもない。青白く、柔らかい。小さな光の塊。拳くらいの大きさ。
何かが、地中の空洞の中央に、ふわりと浮いていた。
——あれが、半年前の燃える星?
俺は息を止めた。
光は、ゆっくりと、呼吸するように明滅していた。静かに。誰にも気づかれないように。
レオンが低く呟いた。
「……フリッツ。あれは——」
「うん。たぶん、あれだ」
俺たちは、ゆっくりと、空洞の中へ足を踏み入れた。




