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対話術(+++)を持って生まれた俺が不殺のS級冒険者になるまで  作者: 絹田屋


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第三十六話 借り物の鞄と、借り物の名前


 翌朝、ギルドから呼び出しがあった。

 宿の扉を叩く音で目が覚めた。使いの少年が立っていた。


「フリッツさん、ギルドマスターがお呼びです。朝食の後で構わないとのことでした」

「わかりました。ありがとう」


 少年が駆けていった。ダンダンが膝の上で欠伸をした。


『フリッツ、また、ぎるど?』

「また」

『おとな、いそがしい、ね』

「そうだな」


 昨日の夜、神様と話した内容がまだ頭の中にあった。西の渓谷。地響きの頻発。地脈の乱れの二つ目。——ランクの件が片付いたら出発する。今日、その片付けの一歩が進むかもしれない。


---


 宿で軽く朝食を済ませて、エルツを連れてギルドに向かった。ダンダンは肩の上。レオンは別の宿に泊まっていたが、ギルドの前で合流した。


「フリッツ、呼び出しか?」

「うん。ランクの件だと思う」

「俺も一緒に行くか?」

「いや、一人で大丈夫。待ってて」


 レオンが頷いて、ギルドの入口の横の長椅子に腰を下ろした。エルツは広場の端で横たわった。ダンダンだけを肩に乗せたまま、ギルドの中に入った。


 受付の女性が笑顔で迎えてくれた。昨日よりも柔らかい笑顔だった。


「フリッツさん、おはようございます。マスターがお待ちです。応接室にどうぞ」


---


 応接室に通された。昨日と同じ部屋だ。ギルドマスターが机の向こうに座っていた。机の上に羊皮紙の束と、布で覆われた何かが置いてあった。


「おはよう、フリッツ君。昨日はよく眠れたか」

「おはようございます。はい、おかげさまで」

「ダンダン君もおはよう」


 ギルドマスターがダンダンに目を向けた。ダンダンが肩の上で耳をぱたぱたさせた。これが挨拶のつもりらしい。


 椅子に座った。ダンダンは肩から降りて、机の上で丸くなった。ギルドマスターの視線の延長線上に定位置を取った。


「いくつか話がある。順番にいこう。——まず、ランクの件だ」

「はい」

「昨日本部と協議を続けた。夜通し議論していたらしい。結論から言うと——まだ折り合っていない」


 ギルドマスターが深い溜め息をついた。


「Aランクに推す派とBランクに推す派で、未だ本部内が二分したままだ。進展がなくて、すまない。今日までには結論を出したかったんだが」

「いえ」

「君を待たせているのは本意じゃない。君は次に向かうべき場所があるんだろう。それなのに、大人の議論で足止めさせてる。——申し訳ない」


 ギルドマスターが頭を下げた。大柄な体を折り曲げる、丁寧な礼だった。


「やめてください。待つのは平気です」

「そう言ってくれると助かる。——それで、今日はもう一つ、君に話したいことがある」


 ギルドマスターが姿勢を戻して、別の羊皮紙を手に取った。


「今回の件の謝礼金だ」

「謝礼金?」

「悪質テイマーの捕縛、森の異変の解決、被害魔物の保護、セレスティエ種の稀少個体の保護、グリュフォン種との協力関係構築。これだけの案件を一件で片付けた冒険者に、ギルドが正式に謝礼を出すのは当然だ。本部からの裁定も下りている。——軽金貨四枚と、銀貨三十枚だ」

「軽金貨四枚と、銀貨三十枚……?」


 声が出た。


 軽金貨四枚と銀貨三十枚。銀貨にして四百三十枚相当。地脈結晶の報酬(軽金貨二枚と銀貨三十枚)を、はっきりと上回る額だ。


「内訳を説明する」


 ギルドマスターが羊皮紙を俺の前に差し出した。細かい数字と項目が並んでいた。


「元Aランクのダニエルの捕縛。本来ならAランクパーティを組んで討伐依頼として出す案件だ。通常報酬は軽金貨一枚以上。——ここで銀貨百枚」

「銀貨百枚」

「次に、三体の被害魔物の保護と解放。B上位のロックガーディアン、B下位のストラングラー・エイプ、C上位のサングルス。討伐基準で計算すると銀貨百二十枚相当。しかし保護と解放は討伐より評価される。生体での保護、証言の獲得、対話術による学術貢献——ここで銀貨百二十枚」

「……百二十枚」


 だんだんなんか目が回ってくる。


「森の異変の調査と解決。Cランクの調査依頼として未決済のまま残っていた案件だ。原因が複雑だったため、実質B級の難度だった。——ここで銀貨六十枚」

「…………六十枚」

「そして、セレスティエ種の稀少個体の保護と接触記録。これは別格だ。百年に数例の案件。本来なら軽金貨一枚を超える評価だが、君が戦闘行動を取っていないことを考慮して——銀貨百枚」

「…………百枚」


 冗談みたいに積みあがっていく。


「グリュフォン種との交渉成功、将来の協力関係構築の実績。——銀貨五十枚」


 ギルドマスターが指を動かして羊皮紙の下の数字を示した。


「合計で銀貨四百三十枚。軽金貨四枚と銀貨三十枚だ。——端数は切り捨てない。君が働いた分は、一枚残らず君に渡す」


 俺は、しばらく言葉が出なかった。


「……いいんですか」

「いいも何も、君が働いた対価だ。本来なら、もっと出してもいいくらいだ。俺は、きちんと内訳のある数字で君に渡したかった」


 ギルドマスターが羊皮紙を指で軽く叩いた。


「切りのいい数字で渡すのは、楽だ。だが、君に対してそれをやるのは失礼だと思った。——君は、丁寧に仕事をした。だから、こちらも丁寧に計算した」


 ギルドマスターの目が、真っ直ぐに俺を見ていた。


「でも、俺、戦ってないです。解放は三体の魔物が自分で自分を解放した感じだし、ダニエルを倒したのも——」

「君が話を聞かなければ、何も始まらなかった。評価するのは『結果』だ。君の対話がなければ、この件は解決していない。それが全てだ」


 ギルドマスターの声が、きっぱりとしていた。反論の余地のない言い方。


「それにな、フリッツ君。今回の謝礼金が地脈結晶の報酬を上回っているのには、意味がある」

「意味……?」

「地脈結晶は『物』だ。素材として貴重だから値段がついた。——だが、今回君が解決したのは『関係』だ。魔物の意志、人間の法、稀少種の保護、種族を超えた協力。物よりも、関係のほうが重い。それをギルドが評価した」


 関係のほうが、物より重い。


 ギルドマスターがそれを、銀貨の数字で示してくれた。


「……ありがとうございます」


 それしか言えなかった。


「預金口座に入れておく。出発までに必要なら引き出せる。——あと、これで君の預金残高は、軽金貨六枚と銀貨六十二枚だ。まぁ例えBランクの冒険者としても、異例の額だ」


 軽金貨六枚。


 もう金額の感覚が追いつかなかった。村の家が何軒建つとか、レオンが何年働く分とか、そういう計算もできないくらいの額。


「……なんか、実感がないです」

「そうだろうな。使う予定もないなら、預けたままでいい。いつか、使う時が来る」

「はい」


 ギルドマスターが書類に目を落とした。話が終わる前の、最後の確認をしているような所作だった。俺は少し肩の力を抜いた。


 その時、ふと、頭の中に一つの疑問が浮かんだ。


「あ、そういえば。一つ、聞いてもいいですか」

「ああ、何でも」

「俺、あと二ヶ月で十四歳になるんです。いわゆる成人の歳で。それで——十四歳になったら、ギルドカードって、何か更新しないといけないんですか?」


 素朴な疑問だった。ふと、気になっただけ。

 ギルドマスターが、一瞬、固まった。

 それから、ゆっくりと椅子の背もたれから体を起こした。目が、少しだけ大きくなった。


「……フリッツ君」

「はい?」

「——それだ」


 ギルドマスターが小さく呟いた。それから、徐々に声が大きくなった。


「それだ。なんで気づかなかったんだ。こんな簡単なことに」

「え?」

「いや、こっちの話だ。——フリッツ君、一つ、とても大事な話をする。よく聞いてくれ」


 ギルドマスターが身を乗り出した。疲れた顔に、急に生気が戻っていた。


「答えを先に言うと、十四歳になるときにカードの更新処理が入る。この国の制度だ。十四は成人扱いの年齢だから、冒険者ギルドでも成人枠として再登録になる。未成年時代の記録はそのまま引き継がれるが、カード自体は新しくなる」

「じゃあ、もうすぐ作り直すんですね」

「ああ。——そして、ここが重要だ。再登録のタイミングで、ランクの再評価も自動的に行われる」


 再評価。


「つまり、あと二ヶ月で、君のランクはどのみち再評価される。そこで本部が最終判定を下せばいい。今ここで結論を急ぐ必要は、本当はなかったんだ。——大人たちが勝手に議論を急いでいただけだ」


 ギルドマスターが苦笑した。自分たちを笑うような苦笑だった。


「俺が本部にこう提案できる。『今の実績で確実なBランクに上げる。Aの可否は、十四歳のカード更新時に再評価する』。これなら、A推進派もB推進派も顔が立つ。君の実績にも見合っている」

「今、Bランクに……」

「ああ。君の実績は、少なくともBには確実に届いている。これは両派とも一致している。議論の焦点は『今Aか、まだBか』だった。だが、誕生日という区切りがあるなら、今Bに上げて、Aは二ヶ月後の再評価に委ねればいい。——君の素朴な一言で、道が開けた」

「俺の質問が、解決策になったんですか」

「解決策になったとも」


 ギルドマスターが感心したように首を振った。


「というわけで、今日この場での正式決定は『今日付けでBランクに昇格、二ヶ月後の十四歳の誕生日にカード更新&Aランクの再評価』。それで本部に戻す」

「はい」


 内心、ほっとしていた。今すぐAランクと言われたら、なんだか背負うものが重すぎる。Bランクなら、……まぁ、なんとか……今の自分の実績なのだと思える気がする。二ヶ月の猶予があれば、西の渓谷の調査を終えて、自分の気持ちも整理できる。


 ギルドマスターが引き出しから新しいカードを取り出した。木の板に金属の縁。Cランクのカードと同じ形だが、縁の金属の色が違った。Cは銀色だった。これは、もう少し深い色——青みがかった銀色。


「Cのカードを預からせてくれ。Bのカードと差し替える」


 俺は胸元からCランクのカードを取り出して、机の上に置いた。ギルドマスターが受け取って、代わりに新しいカードを差し出した。


 手に取ると、前のカードより少しだけ重く感じた。実際の重さは同じはずなのに、なぜか重みが違って感じる。


 カードに触れると、表示が浮かび上がった。


 ——フリッツ・アルトハウス

 ——ランク:B

 ——スキル:対話術(+++)

 ——祝福:無毒化、回復力強化、防御力強化、魔力操縦、対話の中継


 五つの祝福が、きちんと並んでいた。前のカードでは下のほうに小さく並んでいたが、Bランクのカードでは少しだけ大きく、はっきりと表示されている。ランクが上がると、表示できる情報量も増えるのかもしれない。


 ——「対話の中継」。


 あの、森の広場で叫んだときに芽が出た力。俺を通して他の人に魔物の声を届けられる、あの能力。昨日の夜、神様が「祝福の次の段階だ」と教えてくれた。それが、ちゃんとカードにも記録されている。


「祝福、増えてますね」

「昨日の報告で本部が追加登録したんだろう。前哨基地の鑑定で確認されていた四つに加えて、君がダニエルとの対峙で発動させた『対話の中継』が五つ目として記録された。——これも前例のない祝福だ。『対話の中継』という名称自体が、今回新しく作られた分類らしい」

「新しい分類……」

「文献に類例がない。だから名称も作らないといけない。本部が苦労して決めた言葉だ。——気に入ったか?」

「はい、わかりやすくて」


 対話の中継。俺のやっていることを、そのまま名前にしたような言葉。特別な響きじゃないけれど、だからこそ、しっくりくる。


「おめでとう、フリッツ君」

「ありがとうございます」


---


「次の話だ」


 ギルドマスターが、机の上の羊皮紙の束を一枚引き寄せた。


「昨日、君は神の眷属との接触と、セレスティエ種の妖精との邂逅を報告した。本部がその話を聞いて——驚いた」

「何に驚いたんですか」

「セレスティエ種は、現存個体がほぼ確認されていない種族だ。過去の文献にはあるが、実物の目撃例は、ここ百年で数えるほどしかない。それも、ほとんどが遠目の目撃で、直接会話した記録はほぼ皆無だ」

「そんなに珍しいんですか」

「珍しい、どころじゃない。——それで、本部が過去の文献を引っ張り出してきた」


 ギルドマスターが、古そうな羊皮紙の写しを差し出した。何かの絵が描いてある。植物系の妖精の姿。緑の長髪、白い木の皮のような肌、背中に羽。——俺が会った妖精と、よく似ていた。


 でも、絵には一つ特徴があった。


 首元に、蔓の紋様。


「これは、二百年前の文献に描かれているセレスティエ種の個体だ。記録によれば、当時の観察者はこの個体を『女王』と呼んでいた」

「……女王」


 胸の中の分霊が、少しだけ揺れた気がした。静かに。まるで、名前を呼ばれたことに反応したように。


「フリッツ君が会った妖精にも、この紋様はあったか?」

「……ありました。首元に、蔓の紋様が。——えっと」


 思い出していた。妖精の首元に、確かに複雑な蔓の紋様があった。あの時は気にしなかった。でもエルツとキーランが、一瞬だけ目を見交わしたのを覚えている。何か言いそうで、言わなかった。


 エルツは、知っていた。キーランも、知っていた。そして、二人とも言わなかった。


「——じゃあ、あの妖精は」

「女王個体、の可能性が高い。あくまで可能性だ。紋様の意味が本当に『女王』なのか、それとも単なる装飾なのかは、さらに調査が必要だ。——だが、もしそうなら、君が助けた相手は、セレスティエ種の最後の女王かもしれない」


 最後の女王。


 あの妖精は、個の名を忘れた、と言っていた。「昔は呼ばれていた気がする。誰に、何と呼ばれていたかは、もう思い出せぬ」。


 ——忘れた名前は、女王としての名前だったのかもしれない。


 でも、それを俺が今この場で言うのは、違う気がした。妖精本人が忘れたものだ。本人が思い出したいときに思い出せばいい。俺が横から「あなたは女王だったそうです」と言うのは、押し付けになる。


「……本人は、自分のことを忘れていました」


 静かに答えた。


「本人が忘れてることを、俺から『あなたは女王みたいですよ』って言うのは違う気がします」


 ギルドマスターが、ゆっくりと頷いた。


「……君は、やっぱり、面白い冒険者だな」

「そうですか」

「そうだ。普通なら『自分が助けた相手は女王だった!』と誇るところだ。君はそれをしない。——君は、そういう子だ」


 ギルドマスターが羊皮紙を下げた。


「わかった。本部にもそう伝える。セレスティエ種の女王の可能性、ただし本人が忘れているので、フリッツは一切言及しない方針、と」

「お願いします」


 次の旅に出るときに、セレスの分霊と少し話ができるかな、と考える。

 ふいに、遠出するための荷造りについて気になっていたことがあったのを思い出した。


「ギルドマスター、もう一つ、聞いていいですか」

「ああ、どうぞ」

「俺、これから旅が長くなりそうなんです。荷物が増えてて、困ってて」

「ほう」


「旅の装備、保存食、帳面、薬、ほかにもいろいろもらったものがあって。エルツの背中に全部積んでるんですけど、もう結構な重さで。——Bランクの冒険者って、長い旅に出る時、みんなどうしてるんですか?」


 素朴な質問だった。俺の村ではこういう知恵は誰も知らない。長旅の装備のことはわからないから誰かに聞かないと、わからないことだった。


 ギルドマスターが、一瞬、きょとんとした顔をした。それから、また笑った。


「君は本当に質問が上手いな」

「そうですか?」

「そうだ。普通なら、背負う袋を増やすか、馬車で運ぶか、仲間と分担するか。だが、君の場合、エルツがいる。仲間との分担は一部できるが、長距離の荷物運びには限界がある」


 ギルドマスターが少し考えて、それから立ち上がった。


「待っていろ。ちょうど良いものがある」


 そう言って、応接室を出ていった。


---


 しばらくして、ギルドマスターが戻ってきた。布で覆われた何かを持っていた。机の上に置いて、布を取った。


 下から革の鞄が出てきた。


 見た目は普通の肩掛け鞄だった。濃い茶色の革。金具は銀色。縁の縫い目が丁寧で、使い古された感じがある。大きさは、俺の今持っている布袋と同じくらい。


「これは?」

「アイテムバッグだ。魔道具の一種。中に入れたものが、実際の容量より多く入る。重さも軽減される」

「魔道具?」


 知識としては知っていた。でも、実物は初めて見た。薬屋のおばさんが「昔はアイテムバッグを使える商人がいてね」と言っていたのを覚えているくらいだ。


「これ、高いものじゃないですか」

「高い。軽金貨三枚前後の品だ。だから、ギルドからの貸与として渡しておく。Bランク以上の冒険者で、長期の旅に出る者に貸し出すための備品がギルドにはあるんだ。——さっき君がBに上がったばかりだから、ちょうど条件を満たしている」

「じゃあ、タイミングが良かったんですね」


 ギルドマスターが少し誇らしそうな顔をした。


「返却は君の都合の良いタイミングでいい。紛失したら、弁償は——まあ、君の今の預金なら払える額だ」

「預金で払える額なんですね」

「君の預金が規格外なだけだ。普通のBランクでも、これを弁償するとなると何ヶ月か稼ぎを貯めないといけない。Dランク以下なら、数年がかりだ」


 軽金貨六枚と銀貨六十二枚。あの預金なら、アイテムバッグ一つくらいは弁償できる額らしい。


「使い方は?」

「口を開けて、入れたいものを入れて、閉じるだけだ。取り出すときは、口を開けて、欲しいものをイメージする。そうすると、対応するものが手元に出てくる。——ただし、生き物は入れられない。無理に入れると魔法が働かない」

「ダンダンを入れて移動、みたいなことは」

『いやだ!』


 ダンダンが机の上で勢いよく立ち上がった。


「冗談だって。入れない、入れない」

『ぜったい、いや!』


 ダンダンは俺の肩に戻って、バッグの方を警戒した。魔道具の魔力を感じているのかもしれない。


 ギルドマスターが笑った。


「大丈夫だ。生き物は入らない。——使ってみてくれ」


 鞄の口を開けた。中は、普通の革鞄の中と同じに見える。底が見える。容量は、せいぜい本を数冊入れるくらいの大きさだ。


 試しに、机の上に置いてあった鑑定用の水晶板を手に取った。大人の手のひらほどの大きさ。


「これ、入れてみていいですか?」

「どうぞ」


 鞄の口に水晶板を近づけた。すると、鞄の中が——少しだけ、光った。そして、水晶板がすっと吸い込まれるように中に入った。手から離れた瞬間に、重みが消えた。


 鞄の中を覗いた。空だった。


「……入った?」

「入った。取り出してみろ。『水晶板』とイメージしながら、鞄の口に手を入れてみろ」


 口を開けて、手を入れた。水晶板を思い浮かべた。すると、手に硬い感触が当たった。つまんで引き上げた。水晶板が出てきた。


 入った時と同じ大きさ。重さも同じ。


「……すごい」

「便利だろう。——君の旅に役立つはずだ。大事に使ってくれ」

「はい。ありがとうございます」


 鞄を手に取った。さっきより少しだけ、重く感じた。責任の重さかもしれない。


---


「さて。最後の話だ」


 ギルドマスターが姿勢を正した。


「三体の魔物——サングルス、ストラングラー・エイプ、ロックガーディアン。昨日話した通り、今は街の外で過ごしている。今朝、三体の個体登録を済ませた。『保護個体』としてギルドの台帳に記録されている。首輪や札はつけない——もう何かを身につけさせるのは、彼らが望まないだろうからな。台帳と、鑑定士が記録した魔力の特徴で、他の冒険者に討伐されることはない」

「個体登録だけで、大丈夫なんですか」

「大丈夫だ。この街とその周辺のギルドには通達が行く。もし君が遠くの街で三体のうちのどれかと再会することがあっても、そこのギルドに伝えれば記録を照会できる。——彼らの身分は、ちゃんと守られている」


 三体がもう何かをつけずに、自由に動ける。

 それだけではあの三体の失ったものは取り戻せないけれど、もう失わなくて済む。


「ありがとうございます」

「フリッツ君、今日、彼らに会いに行ってくれないか。旅に出るなら、正式な別れの挨拶を。彼らはそれぞれの場所に向かう前に、君に一度会いたいと思うだろう」

「はい。行きます」

「それが済んだら、西の渓谷に向かうといい。地響きの件、君が調べてくれるなら心強い。街はしばらく、君たちの話題で持ちきりだろうが、君たちはここに留まる必要はない。準備が整い次第、出発してくれ」

「はい」


 ギルドマスターが立ち上がった。俺も立った。


「——フリッツ君」

「はい?」

「ひとつだけ、個人的なことを言わせてくれ」


 ギルドマスターが少し照れたような表情になった。


「俺はギルドマスターを十五年やってる。その間、いろんな冒険者を見てきた。強い冒険者、賢い冒険者、稼ぐ冒険者、目立つ冒険者。——君は、そのどれでもない。君は、ただ、話を聞く冒険者だ」

「……はい」

「最初はその肩書きに戸惑った。ランクを決めるときも、君を『何』と評価するか、本部の皆も悩んだ。戦闘実績はない。討伐実績もない。学術貢献と、対話による問題解決。——それで最高ランクに近づく冒険者は、史上初めてだ」


 ギルドマスターが手を差し出した。俺は手を伸ばして、その大きな手を握った。


「君の旅に、良いことがあるように」

「ありがとうございます」


 握手した手は、温かかった。


---


 ギルドを出た。


 レオンが入口の長椅子から立ち上がった。俺の手に新しい鞄が下がっているのを見て、眉を上げた。


「何だそれ」

「アイテムバッグ。ギルドからの貸与」

「——マジかよ!」


 レオンが目を丸くして、俺の肩に両手を置いて揺さぶった。


「お前、あのアイテムバッグだぞ!魔道具中の魔道具だ。憧れて図鑑を眺めていたやつだ」

「図鑑があるんだ」

「あるんだよ。俺も『いつかこれ持って旅に出たい』って思ってた」


 レオンが難しい表情をした。嫉妬ではなかった。昔の夢を思い出したような、懐かしい顔。


「まあ、お前が持つのが一番似合ってるかもな」

「そんなことないと思うけど」

「お前は、道具が活きるタイプだよ」


 レオンが俺の肩を軽く叩いた。


「で、ランクの話はどうなった?」

「Bランクに上がった」


 レオンが動きを止めた。


「……は?」

「今日付けで、Bランク。二ヶ月後の誕生日に、Aランクの再評価をするって」


 カードを胸元から出して見せた。青みがかった銀色の縁が、日の光を受けて鈍く光った。


 レオンが、長い息を吐いた。それから、笑った。


「お前な……本当に、何だよそれ。十三でBランクか」

「ダメかな」

「ダメじゃない。驚いてるだけだ。——俺、まだDランクだぞ。半月前はEだった。お前に追いつきたくて毎日走ってるのに、お前は一気に二つ先行ってる」

「ごめん」

「謝るな。お前は俺の目標だ。目標が遠くに行くのは、歓迎だ」


 レオンの声には、悔しさと嬉しさが半分ずつあった。


「——で、これからどうする?」

「三体に会いに行く。出発前に挨拶しておきたい。ギルドマスターから頼まれた」

「了解。俺も一緒に行く。俺もあいつらに挨拶したい。——で、その後は?」

「西の渓谷に向かう。地響きの調査」

「俺も行く」


 即答だった。


「いいのか? エルストに戻らなくて」

「お前を一人で行かせて、前回どうなった? 森の奥で元Aランクの悪質テイマーと対峙してたんだぞ。——俺がいなかったら、あの場はもっと危なかった」

「……確かに」

「西の渓谷に何があるかわからないなら、なおさらだ。お前の対話術と、俺の剣。前回の組み合わせが効いたんだから、次も一緒に行く」


 レオンの目は真剣だった。断る理由がなかった。


「——ありがとう」

「礼はいい。行くぞ」


 レオンがエルツに歩み寄った。エルツが金色の目を向けた。


「エルツ。俺、Bランクだって」

『ほう。——子供らしい質問が、大人たちの折衷案を引き出したのだな』


 エルツにはもう話が伝わっていた。耳がいい。


「うん。俺も驚いた」

『汝の素朴さは、時に、熟練の交渉人よりも鋭い』


 エルツがそう言って、首を下げた。俺は背中に乗った。レオンも助けを借りて後ろに乗った。エルツの広い背中は、大人二人と小さなモスリン一匹を十分に支えた。


 街を出て、街の外れの森の端に向かった。あの三体が、そこにいる。


---


 森の端に着いた。

 サングルスが岩の上に伏せていた。エイプが近くの木の根元に座っていた。ロックガーディアンは少し離れた岩場で、体を丸めて日光を浴びていた。


 三体とも、昨日よりも少しだけ、落ち着いた顔をしていた。


『来たか』


 サングルスが最初に声を出した。


「はい。別れの挨拶に来ました」

『我らも、それを待っていた』


 三体が少しずつ近づいてきた。俺はエルツから降りた。レオンも降りた。


「これから、どこに行くんですか」

『前にも言ったが、我は西の森へ向かう。群れの匂いを探す。見つからぬかもしれぬ。それでも、行く』


 サングルスの金色の目に、確かな決意があった。


『わたしは、しばらくこの街の外に留まる』


 エイプの声。低く、ゆっくりとした声。


『娘のいなくなった森に戻っても、耐えられる自信がない。でも、いつかは戻る。それまでは、ここで時間を過ごす。——人の街の近くなら、お前に会いに行ける』

「いつでも来てください。俺は旅に出ますが、戻ってきます」

『そうか。——待っている』


 ロックガーディアンが、ゆっくりと体を起こした。


『わたしは、古い岩場を探す。この街の南の方に、古い地層があると聞いた。そこで、眠る』

「眠るんですか」

『眠る。それが我の生き方だ。千年眠り、百年起きる。それが本来の循環だ。ダニエルに強制的に起こされる前の、本来の時間に戻りたい』

「どのくらい、眠るんですか」

『最初は、三十年ほど。無理はしない。起きたら、また、話に来るかもしれない』


 三十年。


 ——その時、俺は四十三歳だ。このやり取りを覚えているだろうか。覚えていたい。


「三十年後に、もし俺がまだ冒険者をしていたら、話してくれますか」

『うむ。起きた時に、自分で探しに行く』


 ロックガーディアンが、かすかに笑った気がした。岩のような顔だから、表情はわかりにくいけれど。


---


 別れの時間が来た。


 三体がそれぞれ、俺に向かって頭を下げた。いや、正確には、頭を下げるに近い仕草。犬型は前足を伸ばして伏せた。猿型は両腕を前に組んだ。爬虫類は首を少し下げた。


「——みんな、元気で」


 それしか言えなかった。もっと何か言いたかったけれど、言葉が見つからなかった。


『お前も、元気で』

『——お前は、良き人の子だ』

『——忘れぬ』


 三つの声が、重なるように届いた。


 俺は、涙が出そうになるのを堪えた。ダンダンが肩の上で、静かに耳を伏せていた。こういう時のダンダンは、何も言わない。ただ、そばにいてくれる。


 三体が背を向けた。サングルスは森の奥へ。エイプは街の外れへ。ロックガーディアンは南の方角へ。それぞれが、自分の選んだ道に向かって歩き始めた。


 俺は、見送った。三つの影が、少しずつ小さくなっていくのを。


 ——救われたのは、三体だけじゃない。


 俺も、救われていた。誰かを助けて、助けられた相手がちゃんと生きていく姿を見送ること。それは、俺自身の中の何かを、強くしてくれる。


---


 街に戻る途中、エルツの背中の上で、俺はアイテムバッグを開けた。


 試しに、手持ちの装備を少しずつ入れていった。帳面、予備の水筒、干し肉の袋、薬の包み、エルツの鹿革布——どんどん入っていく。鞄が重くならない。


「これ、本当に便利だ」

『それは何だ』


 エルツが首を少しだけ振り向けた。


「ギルドが貸してくれた魔道具。たくさん入る」

『……魔道具か。我の生きてきた時代には、あまり見なかったものだ』

「エルツが生きてきた時代って、どのくらい前?」


 少しだけ、聞いてみた。これまで聞いたことがなかった質問だ。


 エルツは、しばらく歩いてから答えた。


『……数えていない。我の角は何度も生え変わった。最初の角は、今の角とは別のものだ』

「角、生え変わるんだ」

『生え変わる。だが、本質は変わらぬ』

「どれくらいで生え変わるの?」

『さてな……だいたい3代の人間を見送ったくらいか?』


 エルツの答えは、曖昧だった。でも、それが何だか面白かった。

 そんな話をしながらすすんでいったら、街が見えてきた。


---


 宿に戻って、荷物をまとめた。


 アイテムバッグは確かに便利だった。全部の荷物が、一つの鞄に収まった。帳面も、装備も、保存食も、お土産の地脈結晶の破片も。最後に、ハルツさんがくれた赤い毛を入れた。小さな袋に包んで、一番取り出しやすい場所に。


 ダンダンが肩の上で、鞄を覗き込んだ。


『ダンダン、いれないね?』

「お前は入れない。というか入らない。安心して」

『よかった! ぱちぱち!』


 ダンダンの尻尾が、肩の上で元気に振れた。


---


 夕方、宿の窓から街の空を見た。


 茜色の空に、雲が流れていた。どこか遠くで鳥が鳴いていた。この街にいるのも、今日で最後だ。明日の朝、西の渓谷に向けて出発する。


 地響きが頻発している場所。地脈の乱れの二つ目。水源の結晶とは違う何かが待っているかもしれない。


 でも——俺の胸の中で、セレスの分霊が、静かに揺れていた。まるで、何かを知っていて、何も言わずに、ただ隣にいてくれるように。


 妖精は、女王だったかもしれない。でも、それは妖精自身が思い出すべきことだ。俺は言わない。ただ、胸の中に分霊を抱えて、次の場所に向かう。


 明日は、レオンも一緒だ。

 次の旅が、始まる。

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