第三十五話 声が証拠になった日
ギルドの広場で、三体の魔物がそれぞれの場所に座っていた。サングルスは壁の近くで伏せ、エイプは中央寄りで胡坐をかくように座り、ロックガーディアンは広場の端で大きな体を丸めていた。
ギルドから筆記係が二人出てきた。若い女性と、中年の男性。どちらも羊皮紙と羽ペンを持っている。俺の隣に折りたたみの椅子を並べて座った。
「フリッツさん、まず一体ずつ、順番に聞き取りしていいですか? 最初はこの犬型の——えっと、種族名は」
「サングルスです」
俺が代わりに答えた。筆記係の女性が頷いて、羊皮紙に書き留めた。
「では、サングルスさんから。生まれた場所、捕まった経緯、これまでに命じられた仕事、解放された経緯を、順番に聞かせてください」
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サングルスに目を向けた。対話術の道が、するりと繋がった。
「サングルス。話してもらっていいですか。筆記係が記録します」
『……わかった。どこから話せばよい』
「生まれた場所から、お願いします」
サングルスが目を閉じた。記憶を手繰る仕草だった。
『西の森。雪の多い地方だ。母の毛は濃い灰色で、冬でも暖かかった。我は五匹の子のうちの一番大きい個体だった。群れの中で、早くから狩りに参加した』
俺が声を拾って、人間の言葉に直した。筆記係の羽ペンが走った。
「雪の多い西の森で生まれた。母親は濃い灰色の毛。五匹兄弟の一番大きい個体。早くから狩りに参加した——と言ってます」
『我が三歳の時、テイマーが来た。十数人の集団だった。毒の矢を使った。群れの半分が倒れた。我も倒れた。目を覚ましたら、首に輪がついていた』
「捕まった経緯は、集団のテイマーが毒矢を使ったそうです。群れの半分が倒れて、本人も。目覚めたら首輪がついていた」
筆記係の女性が、手を止めた。
「……その時、何歳でしたか?」
俺がサングルスに伝えた。
『三歳。狼の三歳は、人の子で言えば……幼児か、もう少し上くらいか』
「三歳。人間で言えば幼児に近い年齢だそうです」
筆記係がじっと羊皮紙を見た。それから、静かに書き足した。
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サングルスの証言は一刻以上続いた。
最初に命じられたのは森の奥の偵察。次に他のテイマーの従魔との戦闘訓練。その次に人間の冒険者との模擬戦。そして実戦。数えきれないほどの実戦。
その間、首の輪が締め付けを強くしていった。最初は「痛いが動ける」程度だった。訓練を拒否すると強く締まった。拒否を繰り返すうちに、「拒否」という概念自体が薄れていった。
『……いつからか、命令を聞くことが、当たり前になった。それ以外の選択肢が、頭から消えた。自分が何を望んでいたのかも、忘れた』
「命令を聞くことが当たり前になって、自分の望みを忘れた——と」
筆記係の手が、少し震えていた。中年の男性の方が、俯いたまま書き続けていた。
『ダニエルの手に渡ったのは、五年前だ。それまで何人かの主を経由した。どの主も、程度の差はあれ似たようなものだった。だが、ダニエルは特に効率を重視した。訓練の容赦のなさが違った。輪の強化も頻繁だった。意志が薄くなる速度が、格段に速かった』
「ダニエルに渡ったのは五年前。それ以前にも複数の主がいて……。ダニエルは特に効率を重視して訓練も容赦なく、輪の強化も頻繁だった——と」
サングルスがゆっくりと目を開けた。
『——以上だ』
「以上だそうです」
筆記係の女性が、深く息を吐いた。それから、羊皮紙の束を整えた。
「……記録しました。ありがとうございます、サングルスさん」
彼女が本当に頭を下げた。魔物に対して、丁寧な礼をした。サングルスの金色の目が、少しだけ動いた。
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次にエイプ。
エイプの証言は、もっと短かった。捕まった時、娘がいた。娘は邪魔だと言われて、目の前で殺された。それ以外の記憶はあまりない。娘の顔と、娘の声と、娘の温度。それだけが残っている。あとは、命令を実行する日々だった。
「娘さんは……何歳だったんですか?」
筆記係の男性の方が聞いた。少し声を詰まらせていた。
俺がエイプに伝えた。
『……一歳になる前だった。まだ、我の手のひらに収まる大きさだった』
「一歳にならないくらい。まだ手のひらに収まる大きさだったと」
筆記係の男性が、羽ペンを止めた。それから、目を拭った。
「……続けてください」
エイプの証言は十五分ほどで終わった。エイプには、あまり多くの言葉がなかった。言葉を失っていた。失ったのか、封じていたのか、あるいはその両方か。
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最後にロックガーディアン。
ロックガーディアンは岩の下で眠っていた。ただ眠っていた。岩が温まって、体が温まって、季節が変わる感覚を覚えている。何百年もそうしていた。それから、ある日、岩をこじ開けられた。眩しい日差しと、騒がしい人の声と、冷たい金属の感触が、記憶の中断を作った。
『……我の種族は、眠ることで長い時を過ごす。百年、二百年単位で眠り続けるのは普通だ。起こされることは、許されぬことだ。——だが、起こされた』
「ロックガーディアン種は百年単位で眠る種族で、起こされることはあってはならないこと——だそうです」
筆記係の女性が、ペンを止めた。
「……百年単位」
「はい」
「その方は、何歳なんでしょうか」
俺がロックガーディアンに聞いた。
『……数えていない。十度以上は眠りを経験した。それぞれの眠りが、百年前後だ』
「十度以上、眠りを経験しているそうです。一回の眠りが百年前後だとすると——」
筆記係の女性が、ペンを落とした。
一千年以上生きている魔物が、人間に捕らえられ、従魔として使役されていた。
そのことの重さが、広場全体を静かにした。
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通訳が全部終わった頃には、日が完全に沈んでいた。
筆記係の二人が、お互いに顔を見合わせた。女性が俺に言った。
「……フリッツさん、通訳ありがとうございました。正直、こんな重い記録をまとめるのは初めてです。ギルド本部にも写しを送ります。ダニエルの罪状は、前例がないほど重いものになります。これらの」
「前例がない……死刑、とかですか」
「わかりません。我々は判断する立場にないので。ただ、軽い罪にならないことは確かです」
彼女が深く頭を下げて、羊皮紙の束を抱えて去っていった。筆記係の男性も続いた。
広場に三体と俺が残った。
「……お疲れ様でした」
サングルスが、小さく頷いた。エイプは地面を見たままだった。ロックガーディアンは目を閉じていた。それぞれが、自分のやり方で疲れを受け止めていた。
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応接室に戻ると、ギルドマスターが俺を待っていた。手元に羊皮紙の束があった。さっき通訳した内容の写しらしい。
「フリッツ君。座ってくれ」
椅子に座った。ギルドマスターが両手を組んで、俺をじっと見た。
「ひとつ、伝えておきたいことがある。——君が通訳した三体の証言と、さっきの騎士団から上がってきたダニエルの取り調べ調書、その二つを照らし合わせた」
「照らし合わせた?」
「ああ。ダニエルは抵抗せずに全部喋った。悪事の詳細、どこでどの魔物を捕獲したか、いつ誰を殺したか、どんな仕事を請け負ったか。——全部だ」
ギルドマスターが羊皮紙の束を俺の前に広げた。二つの書類が並んでいる。片方は俺が通訳した証言。もう片方はダニエルの調書。
「ここを見てくれ。サングルスの証言——『西の森、三歳、集団のテイマーが毒矢を使った、群れの半分が倒れた』。これに対してダニエルの調書——『十二年前、西方の森で先代と共に大規模な捕獲作戦を行った。毒矢を使って狼系の群れを制圧し、若い個体を数体持ち帰った』」
一致している。
「次はエイプ。証言——『捕まった時、一歳未満の娘がいた。娘は邪魔だと言われて目の前で殺された』。ダニエルの調書——『三年前、東方の森で母子のストラングラー・エイプを確保した。幼体は価値が低いため処分した』」
完璧に一致している。ダニエルの方は乾いた言葉だが、言っていることは同じだ。
「そして、ロックガーディアン。証言——『岩の下で眠っていた。十度以上の眠りを経験していた』。ダニエルの調書——『南方の岩場で眠っているロックガーディアン種を発見、強制起床させて契約を行った。個体の推定年齢は千歳以上』」
三体全部、完璧に符合していた。
「フリッツ君」
ギルドマスターが俺を見た。顔がいつもより真剣だった。
「君の対話術は、本物だ。これまでも、疑ってはいなかった。だが、こうして客観的に証明される機会は初めてだ。——君が魔物から聞き取った内容と、人間側の独立した証言が、細部まで一致した。これは、裁判の決定打になる」
「……そうですか」
「それだけじゃない。ギルド本部にも、この照合結果を送る。対話術の信頼性が、公的に記録される。——これから先、君を通した魔物の声は、人間の証言と同じ重みで扱われるようになる」
君を通した、魔物の声。
ずっと「俺にしか聞こえない声」だった。村の人たちに「変な子」と言われたこともあった。ダニエルに「君の投影かもしれない」と言われたこともあった。——それが今、公的に「本物だ」と認められた。魔物の声が、人の法の中に位置を持った。
何か、胸の奥が少し温かくなった。妖精の分霊の温度とは、また違う温度だった。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない。事実を記録しただけだ。——さて、次の話に行こう」
ギルドマスターが姿勢を正した。
「ランクの件だ」
「はい」
「本部と電信で何度か協議した。結論から言うと——揉めている」
「揉めている?」
「君の実績が規格外すぎて、Bランクに上げるのかAランクに上げるのかで議論がまとまらない」
「Aランクですか?」
思わず声が上ずった。Aランクは、元ダニエルのランクだ。熟練の冒険者が何年もかけて辿り着く場所。
「本部の一部は『この実績ならAランク相当だ』と言っている。悪質テイマーの捕縛、B〜Cランクの魔物の保護、セレスティエ種との協力、グリュフォン種との連携、地脈結晶の持ち帰り、そして対話術の規格外の能力。これだけの実績を持つ十三歳は、過去にも前例がない」
「でも、俺、戦闘力は——」
「ゼロだな、正直言って。君自身はダニエルに剣を振るったわけじゃない。解放はできたが、制圧したのはエーデルホルンとグリュフォンだ。——その点を指摘する本部の別の一部が、『Bランクが妥当』と主張している」
AかBか。本部の中で意見が割れている。
「どっちがいいんですか」
「どっちが、と言われると困る。——正直、俺はBが妥当だと思っている。Aは重すぎる。君はまだ成長段階だ。十三で最高ランク近くに行かせるのは、君にとっても負担になる。だが、本部のAを推す派は『実績に見合わない』と言う」
「ええと、……。俺は、Bでいいです。というか、Bランクでも高いって思ってしまいます」
「ほう?」
「Aランクは、よく分からないけど……ちゃんと自分の力で辿り着いた人のための場所だと思います。俺は違う。俺は、仲間がいて、声を聞いて、運が良かっただけです」
ギルドマスターが少し笑った。
「……そういうことを十三歳が言うから、本部が『Aに上げろ』と言うんだよ、君」
「そうなんですか?」
「そうなんだ」
ギルドマスターが苦笑して、書類をまとめた。
「まあ、結論は本部が決める。俺が言えるのは、『どちらになっても、君の価値は変わらない』ということだけだ。——今日は疲れただろう。宿を取ってやる。明日以降は、本部の決定を待つしかない」
「ありがとうございます」
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街の大きな宿の一室に案内された。一人部屋だった。エルツは宿の裏の馬車用の厩舎に入れてもらった。ダンダンは俺と一緒。レオンは別室。
寝台に腰を下ろした。長い一日だった。というか、長い二日だった。昨日の朝、枯れた広場で妖精に会った。あれからまだ二日しか経っていない。
ダンダンが俺の膝に乗った。
『フリッツ、つかれた?』
「疲れた」
『ダンダン、も』
「お前も働いたもんな」
ダンダンの背中を撫でた。柔らかい毛。苔の匂い。日常の温度。
——胸の奥で、セレスの分霊が静かに脈打っていた。木のそばにいるような、あの安心感。妖精も疲れているのかもしれない。今日は何も言葉を届けてこない。ただ、そこにいる。それだけで十分だった。
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目を閉じた。
体の中の魔力の通り道を意識した。最近は、意識せずとも神様の方から届くことが増えた。でも、今日はこちらから呼びかけてみたかった。聞きたいことがあった。
「——神様。今、話せますか」
しばらく沈黙があった。それから、温かい声が返ってきた。
『……今日は、君から呼んでくれるんだね』
神様の声だった。落ち着いている。いつもの前のめりとは少し違う。
『聞いていたよ。全部。森の奥の妖精のことも、ダニエルのことも、三体の従魔のことも、ギルドでの通訳も。——よくやった』
「俺、正直、途中でどうしていいかわからなかったです」
『わかっていたよ。でも、君は止まらなかった。止まらないで、誰かの声を聞き続けた。それが君の強さだ』
「神様、一つ聞きたいことがあって」
『うん』
「あの時——ダニエルと対峙していた時、『君たちの本当の声が聞きたい』って叫んだら、体の中で何かが広がった気がしました。それで、従魔たちの声が一気に聞こえて、しかも——ダニエルにも、声が届いた。俺の対話術を通して。あれ、何だったんですか」
神様が、小さく笑った。
『気づいてくれたね』
「気づかないわけがないです。ダニエルがびっくりしてました」
『あれは、君に託していた祝福の、次の段階が発動した瞬間だよ。私が最初に君に魔力操縦の祝福を送った夜から、少しずつ君の中で育っていた。君が魔物を助けようとして、全力で声を届けようとした時、ようやく芽が出た』
「次の、段階……」
『君の対話術は元々、君と相手の一対一だった。祝福で範囲が広がって、複数の相手に届くようになった。それからさらに進んで、今の君は——君を通して、別の誰かに声を中継できる』
「中継……」
『そうだ。君は中継地点になる。魔物の声を、他の人間に聞かせられる。君が対話術の道を開いて、その道を他者と共有できる。ダニエルにあの子たちの声が届いたのは、君が無意識にそれをやったからだ』
——他の人間に、魔物の声を届けられる。
今までずっと、俺にしか聞こえなかった声を、他の人にも聞かせられる。
「それって……すごいことですよね」
『すごいことだ。私の知る限り、そんなことができた人間は過去にいない。君が最初だ。——これからは、君が望めば、他の人間にも魔物の声を届けられる。レオンにも、ギルドマスターにも、街の人たちにも。もちろん、相手がそれを望めば、の話だが』
「望まない人には、無理に聞かせない?」
『その通り。対話術の原則だ。君はわかっているね』
わかっていた。聞きたくない人に無理に聞かせるのは、対話ではなく押し付けになってしまう。
『もう一つ。範囲も広がった。これまでは声の届く距離が限られていた。今は、もっと遠くまで届く。近くの街くらいなら、集中すれば届くだろう。君の中の魔力の通り道が、またひとまわり太くなった』
胸に手を当てた。体の中の道が、確かに以前より広い気がする。自分の意志で動かせる感覚が、少しだけ強い。
「これも、神様がくれたんですか」
『くれた、というのは正確じゃない。君が自分で引き出したんだ。私はただ、最初の種を渡しただけ。芽を出して、育てて、実らせたのは君自身だ』
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神様の声が、少しだけ落ち着いた温度になった。いつもの前のめりではなく、静かな声。
『……君は、まだ残りの異変を追うつもりだね』
「はい。北東の森は片付きましたけど、まだ残ってます」
『うん。見ていたよ。——次は西の渓谷に行くのかい?』
「たぶん。地響きが頻発しているって報告があって、地脈絡みの可能性が高いので」
『……あそこは、地脈の流れが複雑な場所だ。水源とは違う種類の乱れがあるかもしれない。気をつけて』
「神様、何か知ってるんですか」
『知っている、というほどではない。ただ、西の方角から、少しだけ妙な気配を感じていた。地響きの原因は——うん、行ってみればわかるよ。私が先に言うより、君が自分の目で見たほうがいい』
いつもの神様だ。全部見えているくせに、こっちに自分で確かめさせようとする。
「……そういうとこ、ありますよね」
『え? 何が?』
「自分で見てこいっていう癖」
『癖じゃない。方針だ。君は、自分の目で見たものしか信じない子だろう? だったら、私が先に答えを言ってもあまり意味がない』
——まあ、確かにそうかもしれない。
「わかりました。西の渓谷に行きます」
『うん。——ダンダンの話、また聞かせてね。今日のぱちぱちの話、まだ聞いてないんだけど』
「今日は疲れちゃって、ぱちぱちしてないです」
『えっ。あの元気な子が……たくさん働いたんだね。じゃあ明日のぱちぱちを楽しみにしてる』
最後にいつもの調子に戻った。
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神様の気配が、少しずつ遠ざかっていった。完全に消えたわけじゃない。いつもの距離に戻っただけ。
目を開けた。
部屋の天井が見えた。窓の外で、街の夜が静かに広がっていた。ダンダンは膝の上で眠っていた。
——西の渓谷。
北東の森は、結果的に妖精とダニエルの件が絡んでいた。西の渓谷は何があるんだろう。地響きが頻発しているが地震ではない。
まだ旅は続く。




