第三十四話 異様な一行、街に入る
森を出たのは、翌日の昼前だった。
一晩は森の入り口近くで野営した。
エルツ、ダンダン、レオン、ダニエル、解放された三体、そして空のキーラン。いつもと違う野営だった。
焚き火を囲んで、レオンがダニエルの縄をしっかり確認していた。ダニエルは抵抗しなかった。ポーションで傷は塞がっていたが、体力はまだ戻っていないようだった。そして何より、戦意がなかった。
解放された三体は、少し離れたところで固まっていた。
三体で話している——らしい。俺は対話術の意識を向けなかった。聞けば聞こえるはずだが、今は聞いてはいけない気がした。三体が初めて、自分たちだけで話せる夜だ。他の誰かに聞かれる声じゃない。
エイプ——猿型が、時折、遠くを見ていた。
娘がいた方角だろうか。俺にはわからない。聞く勇気もなかった。
ダンダンだけが、いつも通りだった。俺の肩で丸くなって、深く眠っていた。
——胸の奥に、セレスティエの分霊の温もりがあった。離れていても、確かにそこにある。時々、葉の裏側のような静かさが流れてきた。
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朝、出発した。山を下りながら、森の入り口に向かう。
ハルツのいる村が見えてきたとき、俺は思わず目を丸くした。
村の入口に、ハルツとグレイが立っていた。俺たちを待っていたように。
ハルツが俺たちを見て、大きく手を振った。それから、後ろの一行——特にグリュフォンたちと解放された三体を見て、口を開けた。
「……おいおい、何だこりゃ」
「報告に寄りました」
俺はエルツから降りた。ダンダンが肩に張り付いている。
「森の奥で悪質なテイマーと対峙して、妖精を救出しました。こっちは解放された従魔たちです。パスハイムのギルドに引き渡すところで」
ハルツが大きく息を吐いた。それから、グレイを見下ろした。
「グレイ、お前の『森の奥に何かある』ってのは、こういう意味だったのか」
グレイがゆっくりと俺を見た。金色の目に、少しだけ感心の色があった。
『……見事に、生きて戻ってきたな。死体を見ることになるかと思っていた』
「心配してくれたんですか」
『狼は、言葉では心配を示さぬ。——だが、そうだと言っても良い』
グレイが短く鼻を鳴らした。笑ったのかもしれない。
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ハルツが解放された三体を見た。サングルス、エイプ、ロックガーディアン。三体ともハルツを見返した。特にエイプとロックガーディアンは、ハルツから目を離さなかった。
ハルツの目つきが、少しだけ変わった。狩人の目が、何かを察した目つきになった。
「……お前さんたち。元は、どこかの森にいたのか」
サングルスが俺を見た。俺を通して答えるつもりらしい。
『西の森だ』
「西の森らしいです」
ハルツが低く唸った。
「西の森か。遠いな。ここから二週間は歩く」
サングルスが俺を振り返った。
『お前の街まで一緒に行く。証言をする。——その後は、西の森に戻ろうと思う。間に合うかわからぬが』
「間に合うって?」
『群れだ。もう十年以上経った。わたしの記憶のままの群れがあるとは思えぬ。だが、匂いを探しに行く。血縁の匂いが残っているかもしれぬ』
十年。ずっと、従魔として縛られていた。その間、故郷の群れは動き続けた。戻っても、知っている顔はもういないかもしれない。
でも、戻る。それが、サングルスが取り戻した意志の最初の行き先だった。
エイプは黙っていた。目を細めて、地面を見ていた。エイプには戻る場所がない。娘はもういない。群れもない。——どこへ行くのか、まだ決めていないのかもしれない。
ロックガーディアンは短く言った。
『わたしは、岩の下に戻る。眠る場所を探す。新しい岩でも、古い岩でも、どちらでも良い』
三体それぞれが、自分の行き先を持っていた。あるいは、持ちたいと思っていた。
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ハルツが頷いて、自分の家に向かった。戻ってきた時、手に何かを持っていた。古い、しかし丈夫そうな麻の袋。
「食料だ。持っていけ。街まではまだ距離がある。一行が大きいから、食料があったほうがいい」
「いいんですか?」
「年寄りの持ちもんだ。溜め込んでも食いきれん。——お前さんが使ってくれるほうが嬉しい」
袋を受け取った。ずっしりと重い。干し肉と、干し果物と、乾燥豆が入っているらしい。レオンが後ろから「助かります」と礼を言った。
ハルツがグレイの頭を軽く叩いた。
「グレイ、お前さんも何か言ってやれ」
グレイが俺を見上げた。
『……友魔の子。また、話そう。いつか』
「はい。また来ます」
『急ぐな。森はここにある。我も、ハルツも、しばらくはここにいる』
グレイの金色の目が、少しだけ穏やかになった気がした。
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ハルツの村を出て、パスハイムへの道を進んだ。
異様な一行だった。
先頭にエルツ。その背に俺、肩にダンダン。
続いてレオンがダニエルを縄で引いている。その後ろに解放された三体——サングルス、エイプ、ロックガーディアン。そして空を、キーランが並走していた。
街道を歩く旅人たちが、次々と脇に避けた。何人かは悲鳴を上げ、何人かは凍りついた。誰もが、この行列の意味を測りかねていた。
ある商人の馬車は、完全に停止した。御者が呆然と口を開けていた。別の旅人は、そそくさと道を外れて林の中に逃げた。
レオンが苦笑した。
「道中が楽しみだな、こりゃ」
「目立つかな」
「目立たないはずがないだろ、この構成で」
エルツが低く笑った。
『汝らは、面白い移動をしているな』
「エルツ、笑うな」
『笑っておらぬ。事実を述べた』
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半日歩いて、パスハイムが見えてきた。
街を囲む石壁、門、門番たち。見慣れた光景——なんだけど、今日は俺の側のほうが完全に違う。
門番たちが、俺たちを見て、凍りついた。
一人は槍を構えた。もう一人は後ろに走って、門の奥に何か叫んだ。すぐに、門の前に複数の兵士が集まってきた。剣を抜いている者もいた。
「——待って!待ってください!」
俺は声を張った。対話術の乗った声が、門全体に届いた。
「エルスト所属のCランク冒険者フリッツです! 悪質テイマーを捕縛しました! ギルドへの報告のために街に入ります!」
門番の一人が、凍りついたまま、俺の顔を見た。そして、エルツを見た。それから、縛られたダニエルを見た。最後に、後ろの三体とグリュフォンを見上げた。
兵士の誰かが、声を詰まらせた。
「……お、お前、以前にも来た、あの……」
「はい。あのフリッツです」
門番が、両手を挙げた。降参の仕草ではなく、「ちょっと待ってくれ」のジェスチャーだった。
「……少し、待ってくれ。上に確認を取る。こんなの、独断では通せん」
「すみません、お願いします」
門の奥に走っていく兵士。残った兵士たちが、俺たちを遠巻きに見守っていた。誰も攻撃してこない。でも、警戒は解かれていない。
キーランが街の上空でゆっくりと旋回していた。空から見下ろされている状況が、門の守備隊には完全に異常事態なのだろう。
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しばらくして、門の向こうから一人の男が走ってきた。見覚えのある顔——ギルドマスターだった。前に地脈結晶を持ってきた時に対応してくれた、大柄な中年の男性。
ギルドマスターが門を出て、俺たちを見た。そして、三体の従魔を見た。そして、ダニエルを見た。そして、空のグリュフォンを見た。最後に、俺を見た。
しばらく、何も言わなかった。
それから、頭を抱えた。
「……フリッツ君。一つだけ聞かせてくれ」
「はい」
「これ、何が起きてる?」
「悪質テイマーの捕縛と、被害を受けた魔物の解放です。ギルドに報告して、適切な処理をお願いしたいです」
ギルドマスターが大きく深呼吸した。それから、後ろの兵士たちに向かって言った。
「通せ。責任は俺が取る。——鑑定士と筆記係を呼べ。それから、騎士団に連絡。悪質テイマーの捕縛だ」
門の警戒が解かれた。兵士たちが道を空けた。
俺たちの異様な一行が、パスハイムに入った。
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街中の反応は、想像以上に様々だった。
すれ違う人間が、次々と脇に避けた。子供が親にしがみついた。大人は呆然と立ち尽くした。店の窓から顔を出していた店主が、慌てて店の中に引っ込んだ。
でも——面白いことに、何人かは手を振ってくれた。前に地脈結晶を持ってきた時のことを覚えている街の人たちだったみたいだ。「あの冒険者だ」「地脈結晶の子だ」という声が、あちこちから聞こえた。
今回はさらに話題が増える。悪質テイマーの捕縛、解放された三体の魔物、グリュフォン、それにエーデルホルン。この街で一番強烈な印象を残した冒険者になるだろう。
レオンが小声で言った。
「フリッツ、お前、もうこの街で有名人どころじゃないぞ」
「別に望んでないんだけどな……」
「望んでなくても、なったもんはなったんだ。諦めろ」
キーランが空で旋回していた。通りの上を覆う大きな影が、街全体に恐怖と畏敬を同時にもたらしていた。
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ギルドに着いた。
ギルドマスターが先に中に入って、状況を整える時間を作っていた。俺たちがギルドの前に到着した時には、入口前の広場が空けられていた。街の騎士団も数名が集まっていた。鑑定士の女性もいた。
広場に入ると、ギルドマスターがこちらに駆け寄ってきた。
「全員まとめて処理する。まずダニエルを引き渡してくれ。騎士団の独房に入れる。鑑定士が魔物の状態を確認する。——フリッツ君、君は詳細の報告を頼む。別室で聞かせてくれ」
レオンがダニエルを騎士団に引き渡した。ダニエルは抵抗しなかった。ただ、俺のほうを一度だけ振り返って、何か言いかけて、止めた。そのまま連行されていった。
解放された三体は、ギルドの広場の端に座らされた。鑑定士が近づこうとすると、サングルスが鋭く唸った。鑑定士が動けなくなった。
「——大丈夫です。俺が仲介します」
俺が三体と鑑定士の間に入った。
「鑑定、受けてくれますか? 首の輪の痕跡を調べて、被害が正式に記録されます。ダニエルの罪の証拠になります」
サングルスが頷いた。
『……わかった。人の法で、あの者が裁かれるなら、協力しよう』
「協力してくれるそうです」
俺が鑑定士に伝えると、鑑定士が震える手で水晶板を構えた。
「……失礼ですが、本当に……。その魔物の言葉が、本当にわかるんですか?」
「はい。対話術のスキルで」
「……そうですか。私は首の輪の痕跡と魔力の残留を調べます。言葉の通訳は、できればフリッツさんに別途お願いしたいのですが」
「大丈夫です。ギルドマスターに証言の聞き取りもすると言われてるので、その時にまとめて通訳します」
鑑定士が頷いて、水晶板を三体に順番にかざした。
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鑑定の間、ギルドマスターが俺を別室に連れていった。
応接室のような場所だった。前回、地脈結晶を渡した時にも使った部屋だ。テーブルを挟んで、ギルドマスターが俺の向かいに座った。大きな手で額を押さえていた。
「フリッツ君」
「はい」
「正直に言っていいか」
「どうぞ」
「頭が痛い」
「えっ」
ギルドマスターが苦笑した。
「いや、悪い意味じゃない。褒め言葉だ。——前回、地脈結晶を持ってきた時も驚いた。正直、あれだけでもCランクの範疇を超えていた。でも今回は、もっと上を行った。悪質テイマーの捕縛、Bランクの魔物たちの解放、セレスティエの救出、グリュフォンとの協力。——君、いくつだった?」
「十三です」
「十三歳のCランクが、やることか、これが」
「なんていうか、成り行きで」
「成り行きで、悪質テイマーを捕縛する十三歳がいてたまるか」
ギルドマスターが本気で頭を抱えた。
「——ランクの見直しが必要だ。Cランクのままじゃ、この実績を本部にどう報告すればいいかわからん。本来なら、Bランク昇格の審査を即座に始めるべきだ。でも、Bランクは十三歳では前例がない。いや、Cランクですら前例が少ないのに」
「昇格しなくてもいいんですけど」
「そういう問題じゃない。ギルドの面子の問題だ。実績に見合うランクを与えないと、他の冒険者から不満が出る。『なぜあの実績で昇格しないんだ』『実力を軽視しているのか』と」
——ギルド側にも事情がある。
「少し時間をくれ。本部と協議する。場合によっては、特例措置になるかもしれない。——君、ここで数日待てるか?」
「待てます。妖精の分霊のこともあって、いずれ戻らないといけないですし」
「分霊?」
「セレスティエが俺の胸の中にいます」
ギルドマスターが、もう一度、頭を抱えた。
「……本当に、頭が痛い」
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応接室を出ると、広場では鑑定が終わっていた。鑑定士が三体の状態を書類にまとめていた。
サングルスが俺を見上げた。
『鑑定は終わった。人の法で扱うには、これで十分らしい』
「ありがとうございます。——今後、どうしますか?」
『しばらく、この街の外に留まる。街の中には入らん。人の近くにいると落ち着かぬ。森の端で過ごす』
『娘の記憶を抱えて、しばらく一人になりたい』
エイプの声だった。低く、疲れた声。
『岩を探す。この街の近くに、古い岩場があると聞いた』
ロックガーディアンの声。
三体とも、それぞれの行き先を持っていた。すぐに遠くへ行くわけじゃない。しばらくはこの街の近くで、取り戻した時間を過ごす。
「いつでも、俺は話せます。話したいことがあったら、呼んでください」
『……覚えておく』
サングルスが頷いた。
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キーランが空から降りてきた。街の広場に着地した。街の人間が悲鳴を上げたが、すぐに静かになった。キーランの後ろに立っていた兵士たちも、凍りついていた。
『人の子よ。我らはここで去る』
「ありがとうございます。助かりました」
『いや、我らも貴重な経験をした。人の子の側について、人の法の中で動くというのは、空の者には稀なことだ。——我らの群れに、良い話として語られるだろう』
キーランが翼を広げた。
『汝がまた空の力を必要とするなら、呼べばよい。声が届けば、来る』
「はい。ありがとうございます、キーラン」
キーランが俺をじっと見た。
『……その名は、悪くなかった。しばし、我はキーランを名乗ろう。群れの中でも、この名で通る』
キーランが飛び立った。群れが後に続いた。街の空を覆っていた影が、少しずつ薄れていき、やがて青空だけが残った。
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ギルドの広場に、静けさが戻った。
俺とエルツとダンダンとレオン。前哨基地からの旅に出た時の顔ぶれに戻った。違うのは、胸の中に妖精の分霊がいることと、街の外に三体の解放された魔物が残っていることだ。
レオンが、俺の肩を軽く叩いた。
「お前、ちょっと遠くまで行きすぎたな」
「そうかな」
「そうだよ。半年前は、村の切り株に座ってたガキだったんだろ?」
「そうだった!」
思わず笑った。俺もレオンも、笑いが出た。
長い一日が、ようやく終わろうとしていた。




