第三十三話 それぞれの、声
レオンが剣を抜いて、ダニエルに駆けていった。
ダニエルが短杖を構えて、レオンに向けて魔術を放った。炎の矢。何本も、同時に。レオンが転がって避けた。一本が肩をかすめた。革鎧が焦げた。
「——レオン!」
「大丈夫だ! お前は従魔を頼む!」
レオンが再び立ち上がった。剣でダニエルに迫る。ダニエルが後ろに下がりながら、また魔術を放つ。レオンが剣で弾いた。剣身が赤く焼けた。
「エア・スラッシュ!」
レオンが剣を振るって、ダニエルの魔術によって放たれた炎を使って剣撃を飛ばす。相手の力を利用する技だと、俺にも分かった。
——Dランクの剣士がAランクの魔術師と対峙している。普通なら一方的に負ける距離感だ。でも、レオンは俺が知っているレオンではなかった。動きが速い。Dランクに上がってからの半月で、さらに何かを掴んだらしい。
「クソッ……! なんだお前、Dランクの割に身のこなしがいいなァ!」
「そりゃどーも!」
それでも、勝ち目はない。時間を稼いでいるだけだ。
ダニエルが短杖を振った。炎の矢が、今度は五本、同時に放たれた。さっきより速い。さっきより多い。レオンが剣で二本弾き、一本を躱し、——残り二本が、胴と太ももに掠った。革鎧の縁が焼けて、レオンの体が一瞬、よろけた。
「——っ、!」
膝を、ついた。
ダニエルが次の詠唱に入る。短杖の先に、赤い光が集まっていく。今度のは、矢ではない。もっと大きな、塊のような炎。
——間に合わない!
その時。空が、影で覆われた。
大きな羽音が、連続して聞こえた。一つではない。三つ、五つ、十——もっと多い。
枯れた広場の上空に、次々とグリュフォンが降りてきた。
キーランが先頭だった。
『——遅れた、許せ』
キーランの琥珀色の目が、ダニエルを捉えた瞬間、群れが二手に分かれた。半数がダニエルに向かって急降下する。半数は速度を落とし、妖精の石碑の上空へと旋回していく。
戦闘班の先頭——キーラン自身が、ダニエルに最初に到達した。爪が、短杖を打ち払う。赤い光が霧散した。詠唱が途切れた。
「——ぐっ、」
続く二体が、翼を広げたまま低空を掠めた。風圧で、ダニエルの体が大きくよろめいた。さらに別の一体が着地して、ダニエルの背後を塞ぐ。逃げ場が、消えた。
一方、石碑の上空では、残り半数が輪を描いていた。翼の風が、石碑そばの渦に吹き下ろされている。妖精の結界に吸い上げられ続けていた地のエネルギーが、上空からの風で整えられていくみたいだった。石碑の光の線が、わずかに安定した。セレスティエの細い呼吸が、少しだけ楽になったみたいだ。
——その瞬間。
俺の横で、エルツが体を低くした。金色の目が、初めて解き放たれたように光った。
『——ようやく、動けるな』
エルツの声には、これまで聞いたことのない響きがあった。ずっと縛られていた者が、鎖を外した時の声。
そうか。エルツはずっと、妖精の石碑の前から動けなかった。大技を出せば、セレスティエに当たる。彼女を守る位置取りに、縛られていた。キーランのサポート班が妖精を守ってくれた今、エルツは自由に動ける。
「エルツ、頼む!」
『承知』
エルツの体から、強力な紫電が漏れた。その存在感だけで、広場の空気が変わった。ダニエルはエルツとグリュフォン達から逃げ回るのに精一杯になっている。
俺は、俺のできることをしないと!
「ダンダン、来てくれ!」
サングルスの方に駆ける。ダンダンが俺の肩にしがみついた。
『フリッツ、どうする?』
「首の輪だ。あれを外したい。魔力で縛ってるなら、魔力で外せるはずだ」
『ダンダン、わかるかも。あの、わ、の、まりょく、みえるよ』
魔力が見える。魔力親和の祝福。ダンダンが地脈を感じるのと同じように、魔道具の魔力も見えるらしい。
サングルスに近づいた。距離は五歩。犬型の大型魔物の、赤く光る首の輪。そこに手を伸ばす。——命令されていないのに攻撃してこないか、わからない。危険だ。
でも、声が聞こえていた。ずっと。
『……群れに戻りたい……痛い……忘れたくない……』
その声に向かって、話しかけた。
「今から、輪を外そうとします。協力してくれますか。ダンダンが魔力を見ます。俺が輪を外します。——あなたの力を貸してほしい」
サングルスの虚ろな目が、わずかに揺れた。それから、頷いた。その動作だけだったけれど、疎通できていることが分かって希望の兆しが強くなる。
ダンダンが肩の上で輪を覗き込んだ。
『……この、わ、むずかしい。たくさんの、もよう、ある。でも、ひとつ、よわい、ところ、ある。ここ』
ダンダンが前足で一点を指した。輪の裏側、首の下。
「そこに、ぱちぱち、できるか?」
『できる! やる!』
ダンダンが目を閉じる。体が緑色に光った。淡い光が俺の手に伝わった。俺は手を伸ばして、ダンダンが指した点に触れた。
——パチッ! と音がした。
首の輪の光が消えた。そして、金属の輪が二つに割れて、地面に落ちた。
サングルスの体が、一瞬震えた。
それから——長い、深い、溜め息のような声が上がった。
『——ああ』
虚ろだった目に、色が戻った。灰色の瞳の奥に、意志があった。
痛みが消えたわけではない。記憶が戻ったわけでもない。でも、自分の体が、自分のものに戻った。その感覚が、全身に広がっていくのが分かる。
サングルスが俺を見た。
『……お前が、わたしの声を聞いてくれた者か』
「はい」
『……礼を言う。これで、死ねる。それとも、死ななくていい。どちらでも、わたし自身が決められる』
声が、初めてちゃんとした言葉になった。さっきまでの「いたい」「たすけて」ではなかった。意志のある、落ち着いた声。
「死ななくていいです。生きてほしい」
『……では、その前に。 あの男に、一言だけ言わせてくれ』
サングルスが、立ち上がった。首の輪がないまま、ダニエルの方を向いた。
-----
次は猿型ストラングラー・エイプ。ダンダンが肩の上で指した。
『こっち、も、おなじ、ばしょ。ぱちぱち、する』
猿型に近づいて、首の輪に手をかけた。同じ要領で、ダンダンが魔力の弱い点に光を当てた。パチッ、と輪が外れた。
猿型が、胸を大きく上下させた。呼吸が、長く深くなった。
『……娘は、もういないのだな』
記憶が戻って、最初に口にした言葉がそれだった。
「……娘さんが、いたんですか」
『小さな、娘だった。わたしが捕まる時に、腕の中にいた。あの男が、娘を殺した。わたしの目の前で。「邪魔だ」と言って。——それ以来、ずっと、夢の中にいた』
俺の胸が、痛んだ。この猿型は、家族を奪われた上で奴隷にされていた。ずっと一人で、痛みと記憶と共に、命令を実行してきた。
「……ごめん。間に合わなかった」
『お前のせいではない。——お前は、わたしの声を初めて聞いてくれた。それだけで、十分だ』
猿型が、ゆっくりと立ち上がった。筋肉質な体が、ダニエルの方に向いた。
-----
最後に、ロックガーディアン。ダンダンが指した場所に、輪の弱点があった。ぱちぱち。パチッ。輪が外れた。
大型爬虫類の鱗が、軽く震えた。長い長い呼気が漏れた。
『……岩の、下で……眠っていた……日の光が……岩を温めていた……』
「覚えてますか」
『覚えている……今、思い出した……あれは、故郷だ……。あいつに眠りを、邪魔された』
ロックガーディアンが、重い体で立ち上がった。地面が揺れた。
三体の従魔が、全員、ダニエルの方を向いて立った。
-----
ダニエルは、グリュフォンに囲まれたまま、背後の気配に気づいていた。従魔の光る輪が全て外れたこと。三体が自分の意志で立ち上がったこと。その三体が、自分の方を向いて立っていること。
ダニエルの顔から、穏やかな表情が完全に消えた。
「……お前たち。下がれ」
命令した。三体に向かって。だが、三体は動かなかった。
「命令だ! 僕の命令を聞け。お前たちは僕の従魔だろう」
従魔という言葉に、サングルスが低く唸った。長年、その言葉の下で生きてきた者の唸り。怒りではなかった。もっと深く、もっと強い感情。
『……我らはお前の所有物ではない。もう、違う』
サングルスの声が、広場に響いた。——ダニエルにも、届いた。
ダニエルの目が、初めて見開いた。
「……何を、言っている」
ダニエルが、自分の耳に触れた。
「……まさか今、本当に……? お前の声が、僕の頭の中に、直接……」
——俺の対話術が、ダニエルにも届いている。
祝福で広がった対話術の道が、六方向どころか、もっと広がっている。広場全体に声を通している。ダニエルにも、従魔の声が届く。彼が「気のせい」「投影」と否定していた声が、今、直接彼の頭の中に響いている。
「違う……これは……、こんなものは、僕は認めない!」
ダニエルが後ずさった。キーランの戦闘班が作った包囲の中で、逃げ場はなかった。
そして、三体が動いた。
サングルスが地を蹴った。速い。想像していた以上に速い。キーランの戦闘班が、一歩、引いて道を空けた。灰黒の毛の塊が、ダニエルに一瞬で肉薄した。爪が振り上げられた。
ダニエルが短杖で防ごうとしが、遅い。杖はサングルスの爪で弾かれた。
「——ぐあっ!」
ダニエルの肩が裂けた。革のコートが引き裂かれて、血が飛んだ。
続いてエイプ。筋肉質な腕が、ダニエルの腹を掴んだ。持ち上げた。簡単に。五倍の腕力が、人間の体を軽々と宙に浮かせた。そして、叩きつけた。地面に。
「——っ!!」
ダニエルの体が地面に沈んでから跳ねた。何かが折れる音がした。骨か、内臓か、あるいはその両方。
ロックガーディアンが、重い足で近づいてきた。巨大な顎を開いた。爬虫類の口の中に、ダニエルの上半身が入る大きさだった。
三体が、本気でダニエルを殺そうとしていた。
サングルスは群れを奪われた。エイプは目の前で娘を殺された。ロックガーディアンは故郷から引きずり出された。何年もの痛みと屈辱と喪失が、今、解放された瞬間に、この一人の男に向かっている。殺されて当然だった。殺さないほうがおかしかった。
俺は、止められなかった。
俺も、あの三体からしたら同じ人間だ。人間の俺が、人間のダニエルをかばっていいのか、分からなかった。
-----
——その時。
白い光が、広場の中央で弾けた。
紫の稲光が、三体とダニエルの間に落ちた。地面が焦げて、煙が立った。音は一瞬遅れて届いた。空気を引き裂く轟音。
三体が、はっとして動きを止めた。顎を閉じたロックガーディアン。腕を振り上げたままのエイプ。爪を振り下ろそうとしていたサングルス。全員が、雷の落ちた場所を見た。
エルツだった。
銀灰色の体に、細かな雷がまとわりついている。
金色の目が、三体の魔物を見据えていた。それから、ダニエルを見下ろした。最後に、俺を見た。
雷はもう落ちなかった。最初の一発だけで、三体は止まった。エルツの力の重さが、もう一度動くことを許さなかった。
『——お主ら、待て』
エルツの声が、広場全体に響いた。古風な、でも重い声。三体の従魔が、全員がその声に耳を向けた。
『その者が犯した罪の重さは、我も知る。お主らの痛みも、わかる。殺したいと思う気持ちも、当然だ。——だが、待て』
「エルツ、何を——」
『フリッツ、少し黙っていろ』
エルツが俺を遮った。珍しい。いつもは俺の言葉を聞いてくれるエルツが、今日だけは違った。
エルツがゆっくりと三体に近づいた。
『お主らには、種族の掟があろう。我にもある。人にもある。——「人の理で人を裁き、魔物の理で魔物を裁く」。互いの領域を犯さない。これは、我々が長く長く守ってきた線だ』
三体が、じっと聞いていた。
『その者を、ここで魔物が殺せば、その線が崩れる。崩れた線は戻らぬ。人は「魔物が人を殺した」と言うだろう。報復が始まる。関係のない魔物たちが、巻き添えで狩られる。——それは、お主らが望むことか?』
深い沈黙。
サングルスが、最初に動いた。爪をゆっくりと下ろした。それから、唸るように言った。
『……望まぬ。我の群れが、巻き添えになるのは、望まぬ』
エイプも腕を下ろした。ダニエルを地面に置いた。優しくではない。しかし、殺しはしなかった。
『……娘は、もういない。これ以上、誰かを失いたくない』
ロックガーディアンが口を閉じた。重い溜息が漏れた。
『……我も、引こう。この者は、人の法で裁かれればよい』
三体が、一歩ずつ下がった。ダニエルから離れた。
——救われたのはダニエルだけではなかった。
三体の魔物も、「殺さない」という選択を自分でしたことで、何かを取り戻した。意志のある者として帰ってきた、最初の選択。それが「復讐しない」だった。
-----
エルツが俺の横に戻った。
「……ありがとう、エルツ。俺、止められなかった」
『良い。あれは汝が止めるべきではなかった。三体のためにも、止められたのが我で良かった。汝が止めれば、三体は納得しなかったであろう』
やはり俺が止めたら、「人間が人間を庇った」と見えたかもしれない。エルツが止めたから、「魔物の理として、大きな視点として」止まった。
『それに』
エルツが続けた。
『我は汝の隣にいるが、我は魔物だ。魔物の理を人の子に伝えるのは、我の役割でもある。——汝らの作った法は完璧ではない。だが、法があるから、互いに殺し合わずに済む』
エルツの言葉が、胸に残った。
——俺は上空で輪を描き続けているグリュフォンたちを見上げる。なんとか、なったみたいだ。
-----
ダニエルは、地面に倒れたまま動かなかった。腹を叩きつけられて、肩を裂かれて、息が荒かった。意識はあるが、立ち上がれない。
動けない体で、目だけがこちらを見ていた。
——魔物に殺されかけた。エルツに救われた。救われた、と言えるのかはわからない。でも、命はあった。
ダニエルが、かすれた声で言った。
「……なぜ、助けた」
俺は答えなかった。代わりに、エルツが答えた。
『助けたわけではない。我はただ、線を引いただけだ。汝が生きているのは、魔物たちが「引く」ことを選んだからだ。我の雷は、彼らに考える時間を与えただけだ』
「……そうか」
ダニエルが、空を見上げた。グリュフォンの群れが、広場の縁に静かに立っている。空にはまだ数体のグリュフォンが旋回している。
「……お前たち、魔物の方が、僕より、よほど理性的だな」
皮肉ではなかった。静かな、本気の呟きだった。
-----
「……ポーションを、使っていいか」
ダニエルがかすれた声で言った。
俺は一瞬迷った。でも、ここで死なれてもギルドまで連れていけない。
「レオン、ポーションを出してあげてくれ」
レオンがダニエルの腰のポーチから小瓶を取り出した。中に赤い液体が入っている。冒険者用の高級回復薬だ。レオンが匂いを嗅いで、自害用の毒が仕込まれていないことを確認してから、ダニエルの口元に持っていった。
口に踏んですぐに効果は表れた。裂けた肩の血が止まり、折れたところが繋がり始めた。完全に治るわけではないが、立ち上がれるくらいには戻る。Aランクが持っている薬は質が違う。
ダニエルがゆっくりと体を起こした。もう抵抗する気配はなかった。戦意は完全に折れている。
レオンが近づいて、ダニエルの手を縛った。剣の鞘で、丁寧に。
「連行する。ギルドまで。お前の罪は、そこで裁かれる」
「……抵抗しない。連れていってくれ」
ダニエルの声は、穏やかだった。最初に広場に現れたときの穏やかさとは違う。何か吹っ切れた感じでの穏やかさだった。
——何を感じたのかは、俺にはわからない。でも、最初のダニエルと、今のダニエルは、同じ人間ではない気がした。
キーランがエルツと並んで立っていた。
『……エーデルホルンよ。見事だった。あの判断は、我々空の者にはできなかった』
『汝らも、いずれ同じ場面に立つかもしれぬ。その時は、引くか、進むか、自分で選べ』
『覚えておこう』
キーランがエルツに頭を軽く下げた。同格の存在同士の、短い敬意が見て取れた。
-----
広場が静かになった。
解放された三体が、自分の場所に立っていた。サングルスは遠くの山を見ていた。エイプは地面を見て、静かに涙を流していた。ロックガーディアンは目を閉じて、日の光を感じようとしていた。
それぞれが、長年取り戻せなかったものを、少しずつ取り戻そうとしていた。
セレスティエが、石碑の裏から声を出した。
『……終わったのか』
「終わりました」
結界が、ゆっくりと解除されていった。石碑の光の線が、ひとつずつ消えていった。地面から吸い上げられていたエネルギーが、少しずつ元の場所に戻っていく。
『……ありがとう。そなたが、来てくれて』
緑色の目が、初めて穏やかに微笑んだ。
-----
上空を旋回していたサポート班のグリュフォンたちが、一体、また一体と、石碑の周りに舞い降りた。輪を解いて、翼を畳んで、静かに立つ。枯れた広場の土の上に、琥珀色の目をした巨体が並んだ。
セレスティエが、細い首を上げて、彼らを見た。
『……そなたたちの風が、わらわを支えてくれた。礼を言う』
妖精の声が、石碑の前からグリュフォンたちに向かって流れた。
先頭の一体——キーランではない、サポート班の長らしきグリュフォン——が、翼を軽く広げて、地に触れた。
『我らの風が役に立ったのなら、それで良い。森の古き声に、風を贈れたことを、誇りに思う』
『……長く、此処に留まれぬのは、わかっておる。されど、もしまた風が必要な時は——』
『呼べ。空の者は、忘れぬ』
短い、けれど重い約束だった。
サポート班の長が頭を下げて、一歩退いた。セレスティエが、小さく、葉擦れのような笑い声を漏らした。
-----
しばらくして、俺はセレスティエの前にしゃがんだ。
「この後、ギルドに報告に行きます。——ついてきてもらえますか?」
『……いえ』
妖精が緑色の目を伏せた。
『わらわは、動けぬ。セレスティエは、根を張って生きる種族。この石碑の地から離れれば、体は失われる。——だから、ここに残る』
「……そうですか」
予想はしていた。でも、寂しい。この妖精を置いていくのは、何か大事なものを置いていくような感覚がする。
セレスティエが、細い手を俺の方に伸ばした。
『だが、一つ、できることがある。——分霊を、そなたに預けよう』
「分霊?」
『わらわの魂の一部。小さな欠片だ。そなたについていく。わらわの声は、遠くからでもそなたに届く。そなたの見るものを、わらわも見られる』
妖精が目を閉じた。細い手から、淡い緑の光が、一筋、流れ出した。光は葉の形をしていた。小さな、一枚の若葉。
光の葉が、俺の胸に向かって飛んできた。そして、吸い込まれるように、俺の中に消えた。
——温かい。
胸の奥に、小さな何かが加わった感覚。ずっと木のそばにいるような、静かな安心感。
『……届いたか』
「……はい。感じます」
『良し。これで、わらわはそなたと共にある。そなたがここに戻ってきたい時に、戻ってくればよい。——わらわは、この石碑の下で、そなたを待つ』
「戻ってきます。必ず」
『そう急ぐ必要はない。わらわは長く生きる。百年でも、二百年でも、待てる』
百年。二百年。
冗談ではないらしい。セレスティエの時間感覚は、人間のそれとは違う。
「……できるだけ、早く戻ります。あの、あとそれから」
『なんじゃ?』
「セレスティエ……だと長いので、セレスと呼んでもいいですか?』
彼女はすこし、きょとんとした顔をして、やがて笑顔になった。
『ふふ』
初めて笑った。疲れ切った顔に、小さな笑みが浮かんだ瞬間だった。
『そなたは、優しい子だ』
広場の枯れた木々の向こうに、日が傾き始めていた。長い一日が、終わろうとしていた。




