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対話術(+++)を持って生まれた俺が不殺のS級冒険者になるまで  作者: 絹田屋


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第二話 苔の匂いが薄くなっても


 出発の朝は、思っていたより普通だった。


 母さんは台所で干し肉を布に包んでいた。隣に硬いパンが三つと、チーズのかたまりが一つ。水筒は二本。「足りなくなったら街道沿いの井戸で汲みなさい」と言われた。


 父さんは玄関先で俺の荷物を確認していた。三度目だ。昨日の夜にも一度見ていたし、今朝起きたときにもう一度見ていた。


「紐を締め直しておけ」

「さっき締めたよ」

「もう一回締めろ」


 言われた通りに締めた。父さんは荷物を持ち上げて重さを確かめ、背負い紐の長さを調整して、俺の背中に戻した。それから、革の小袋を俺の手に押し込んだ。


「路銀だ。銅貨が二十枚入ってる。馬車代と宿代で一週間は持つ。それまでにギルドで稼げなかったら帰ってこい」

「……ありがとう」

「礼はいい。無駄遣いはするなよ」


 父さんのやり方だ。言いたいことは口にしない。代わりに、荷物を締めて、金を持たせる。


 母さんが玄関に来て、干し肉の包みを荷物の上に押し込んだ。


「多すぎない?」

「多いくらいでちょうどいいの。足りなくなっても届けに行けないんだから」


 それはそうだ。


-----


 村を出る前に、一か所だけ寄った。


 裏山の雑木林。いつもの切り株。

 朝の空気はまだ冷たくて、草に露がついていた。靴の先が濡れる。荷物を背負ったまま切り株に腰を下ろすと、荷物の重みで少し後ろに傾いた。


 待った。


 かさ、と草が鳴って、茶色い毛玉が飛び出してきた。ムックだ。後ろから子供が二匹ついてくる。耳の大きいやつは木の上から降りてきて、俺の肩に直接着地した。


 ムックは俺の靴の先を嗅いで、膝によじ登って、いつもの場所に丸くなった。


『あったかい。きょう、はやい』

「うん。今日は早い」


 いつもは昼過ぎに来るから、朝は珍しいんだろう。子供たちが足元でうろうろしている。もう二匹は相方と一緒にまだ巣にいるのかもしれない。


 足元で、リッケルがかさかさやっている。頭上では、シュリンガの枝がゆっくり広がり始めている。日陰を作ろうとしてくれている。でも今日は曇りだから、あんまり意味がない。


「今日は大丈夫だよ。曇ってるから」

『…………』


 聞こえているのかいないのか。シュリンガの枝は止まらなかった。たぶん、昨日の夕方に「広げよう」と決めて、今やっと実行に移したところなんだろう。植物系の時間感覚は、そういうものだ。


 しばらく座っていた。


 ムックの体温が膝から伝わってくる。苔の匂い。いつもの匂い。肩の上では耳の大きい子が俺の首筋に鼻先を押し付けている。ぐっ、と。親と同じだ。


「——俺、今日から出かけてくる」


 ムックの耳が動いた。


『いく。しってる』


 知ってるのか。先月話したのを覚えていたらしい。


「しばらく帰ってこない。どれくらいかは、わからない」

『うん』

「ムックは変わらずここにいてくれ」


『ここ、いる。まつ。まえ、いった』


 前に言った。確かに言った。ムックにとっては、もう済んだ話なんだろう。俺が出かけるのは決まったことで、ムックはここで待つのも決まったこと。繰り返す必要はない。


 膝の上のムックを持ち上げて、切り株の上にそっと置いた。子供たちが寄ってきて、ムックの周りに団子になった。耳の大きい子だけ、俺の肩からなかなか降りなかった。


「お前も降りなよ」


 首筋にぐっと鼻を押し付けて、それからようやく降りた。切り株の上で、ムックの背中によじ登って、そこから俺を見ている。


 シュリンガの枝が、ゆっくり頭上に差しかかった。


『……いって……』


 一刻かけた一言だった。


「——ありがとう。行ってくる」


 リッケルが足元でかさかさと道を開けた。帰り道ではなく、村の出口の方角に。


 荷物を背負い直して、歩き出した。振り返らなかった。振り返ったら座りたくなるから。


-----


 村の出口で、隣のおばさんに会った。井戸に水を汲みに行くところだったらしい。


「あら、フリッツ。今日出るの」

「うん」

「気をつけてね。あんたは変なとこに座る癖があるから、道端で座り込んで動かなくなりそう」

「……気をつける」


 たぶん気をつけられない。


-----


 村から隣村までは、歩いて半日ほどだ。


 街道と呼ぶには細い道が一本、谷沿いに続いている。両脇は雑木林と畑が交互に並んでいて、たまに岩場が出てくる。人通りはほとんどない。朝出て、昼過ぎに着けばいいと父さんは言っていた。


 荷物は重い。水筒と母さんの干し肉が効いている。背中に食料品店を背負っている気分だ。


 歩き始めて少しした頃、道の脇の岩場で動く影が見えた。


 甲虫系だ。リッケルに似ているが、殻の色が違う。村のリッケルは焦げ茶だったが、こいつは青みがかった灰色をしている。岩場の苔を食べているらしい。三匹。


 足を止めた。


 道の端にしゃがんで、じっとした。息をゆっくりにして、待った。七年やってきたことと同じだ。


 一匹がこっちを向いた。触角がぴくぴく動いている。


『だれ。おおきい。あぶない?』


 虫系の声は早い。聞き取るのに集中がいる。


「あぶなくないよ。通りがかりだ」


『……におい。しってる。つち、くさ、もす。もす? もす、つき、おおきい?』


 苔の匂いがする大きいやつ——ムックの匂いが俺についているんだろう。モスリンの匂いを知っている虫系なら、少なくとも俺を敵だとは思わないはずだ。


「そうそう。モスリンと一緒にいるんだ。いつも」


 三匹の触角が同時に動いた。警戒が解けた感じがした。


「ちょっと聞いていいかな。この先の道沿いで、何か生えてるところ知らない? 」


『みち。さき。いし、おおい、ところ。くさ、ある。あおい、くさ。たくさん』


「青い草?」


『いし、おおい。みず、ちかい。あおい、くさ、たくさん。いま、むし、いかない。にがい』


 石が多くて、水が近くて、青い草がたくさん生えている。虫は食べない。苦いから。


 苦くて青い草——もしかしたらニガヨモギの類かもしれない。村でも薬に使うことがあった。乾燥させれば日持ちするし、ギルドで素材として納品できるかも。


「どれくらい先?」

『あるく。すこし。いし、みえる。みず、きこえる』


 歩いて少し先に、石が見えて、水の音が聞こえる場所。


「ありがとう。助かる」

『あのくさ、いま、にがい。たべない。へん』


 なんで苦い草を欲しがるのか理解できない、という顔だった。虫系は正直だ。


-----


 教えてもらった通り、しばらく歩くと道の脇に岩が積み重なった場所が出てきた。岩の隙間から細い水が流れていて、その周りに青みがかった葉が群生している。


 しゃがんで葉を一枚ちぎった。指で潰すと、鼻にくる苦い匂いが広がった。


 ニガヨモギだ。しかもかなり状態がいい。虫に食われていないから葉がきれいだし、水場が近いおかげで瑞々しい。乾燥させたらそこそこの値段がつくかもしれない。


 荷物から布袋を出して、根を傷つけないように葉だけを摘んだ。全部取らない。群生地を枯らしたら次がない。三分の一くらいにしておいた。


 帰り道にまた寄ることもあるかもしれないし。


 袋がそこそこ膨らんだところでやめて、口を縛った。荷物に括りつけると、少し重くなった。でも、これで隣村に着いたときに少しは路銀の足しになる。


 立ち上がって背伸びをした。空はまだ曇っている。風が谷に沿って吹いていて、村の方から流れてくる。かすかに、苔の匂いがした。


 ——もう少し歩けば、届かなくなるだろう。


-----


 昼を少し過ぎた頃、道が開けた。


 谷の出口に、隣村が見えた。俺の村より大きい。家が石造りで、屋根に赤い瓦が載っている。道の幅も広い。牛が引く荷車とすれ違っても余裕がある。


 村の入り口に、小さな広場があった。そこに木の看板が立っている。


「エルスト行き乗合馬車 毎日正午・夕方 料金:銅貨三枚」


 エルスト。父さんが言っていた街の名前だ。冒険者ギルドの支部がある、いちばん近い街。


 正午の便はもう出た後だった。夕方まで時間がある。


 広場の端にベンチがあったので座った。荷物を下ろすと、背中が一気に軽くなった。母さんの干し肉を一切れかじりながら、広場を眺めた。


 知らない人ばかりだ。当たり前だけど。


 広場の向かいに雑貨屋らしき店がある。どんなものが置いてあるのか気になる。もしかしたら薬草も置いてるかも。


 ——と思って立ち上がろうとしたとき、ベンチの下で何かが動いた。


 足元を見た。


 ベンチの脚の影に、小さな魔物がいた。モスリンだ。ムックより一回り小さい。毛の色が薄くて、ほとんど黄色に近い。耳がぺたんと伏せてあって、体を小さく丸めている。


 ——怯えてる。


 人が多い場所に迷い込んで、出られなくなっているんだろう。モスリンは臆病だ。ムックだって、俺以外の人間には近寄らない。


 動かなかった。息をゆっくりにした。十三年やってきたことと同じだ。


 小さなモスリンの鼻先が、ひくひく動いた。俺の靴の匂いを嗅いでいる。


『……こわい。おおきい、たくさん。でも。もす。もす、におい。なんで』


 俺の靴に、ムックの苔の匂いがまだ残っているのだ。


「大丈夫だよ。怖くない」


 声を出した。小さく、低く。


 モスリンの耳が、ほんの少しだけ起き上がった。


『……こわい。でも。もす、におい、する。あったかい』

「草むらはあっちだよ。広場の裏に林があるだろ。そこまで行けば大丈夫だ」


 ベンチの下から足を出さないようにして、体をずらした。広場の裏手の方角に、道を開けた。


 モスリンは俺の靴をもう一度嗅いで、それから、するりとベンチの下から滑り出た。地面を這うような低い姿勢のまま、広場の端を沿って、草むらの中に消えた。


 速かった。

 ……元気じゃないか。怯えてた割に。


 ベンチに座り直した。干し肉のかけらをもう一つかじった。


 知らない場所だ。知らない人がいて、知らない建物があって、知らない匂いがする。


 でも、魔物は同じだ。

 怖がって、匂いを嗅いで、安全を確かめて、逃げる。ムックも最初はそうだった。七年前の、草の中から鼻先だけ出していたあの姿と、今のモスリンが重なった。


 夕方の馬車まで、まだ時間がある。


 ふと思いつく。ニガヨモギは、エルストのギルドまで持っていくことにしよう。ここの雑貨屋で売ってもいいけれど、どうせギルドに登録するなら素材の納品もそこでやった方が手間がない。乾燥させれば日持ちはする。


 馬車が来るまで、街を少し散策して、疲れる前にここに戻って座っていよう。もしかしたら、さっきのモスリンがもう一度顔を出すかもしれない。出さないかもしれない。


 でもまあ、待つのは得意だ。


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(第三話へつづく)

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