第二十七話 観察の一日
翌朝、ダンダンを迎えに厩舎に行った。
エルツの足の上で丸くなって眠っていたダンダンが、俺の気配で起きた。
『フリッツ! おはよう! ダンダン、まもった! エルツ、ぶじ!』
「ありがとう。よく守った」
エルツが鼻から息を吐いた。
『……我がこの小さき者に守られていたとは。一晩中、足の上で寝息を立てているだけだったが』
「それが守るってことだろ」
『そうかもしれぬな』
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宿で朝飯を食べた。パンと、温かいスープと、薄いチーズ。やかん亭の朝飯より豪華だ。宿代もそれなりに高かった。銅貨八枚。やかん亭の倍だ。でも今の俺には余裕がある。
ダンダンにパンの端をやった。鼻先を押し付けてかじりついた。
「ギルドに寄って、それから装備の補充をして、街を出る」
『はい! ぱちぱち! いく!』
ぱちぱち、行くが新しい返事になっている。
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ギルドに着いた。受付に昨日の鑑定士の女性がいた。
「フリッツさん、おはようございます。地脈結晶の正式な買取が確定しました。こちらへ」
奥の部屋に通された。机の上に、布の袋が置いてあった。ずっしりしている。
「軽金貨二枚と銀貨三十枚。地脈結晶の素材価値の上限です」
「軽金貨……」
軽金貨。一枚あれば、レオンが何年も働いた分に相当する。二枚なら、村の家が一軒建つ。それに銀貨三十枚——銀貨三十枚だけでも、Eランクが切り詰めて生活する三十ヶ月分だ。
拳半分の石が、それだけの値段で取引される。実感がわかない。
「全部現金でお持ち帰りになりますか。それともギルド銀行へ預け入れますか」
「預け入れで。大金を持ち歩きたくないので」
「賢明です。預け入れの手続きをします」
鑑定士が書類を出した。署名した。俺の口座に、軽金貨二枚と銀貨三十枚が記録された。
「フリッツさんの現在の預金残高は、軽金貨二枚と銀貨三十二枚です」
預けてあった銀貨二枚を足した残高だ。村の家が一軒建つどころか、二軒建つくらいの額。
——十三歳の冒険者が、月収銀貨一枚のレオンの五十倍以上の貯金を持っている。
「あの、これって……普通ですか」
「普通ではありません。Cランクの冒険者でもこの額は珍しい。地脈結晶の素材価値は別格です」
別格。実感がわかないままだ。でも、銀行に預けてしまえば、当面は使うことがない。あれば安心、くらいの感覚で済む。
「もう一つ聞いていいですか。地脈の異変、他にも報告がありますか? 水源の結晶は一つの原因だったと思うんですが、たぶんまだ乱れは残っているので」
鑑定士が頷いて、書類の束を持ってきた。
「最近一ヶ月で、この領地内から三件の異変報告が上がっています。一件目は北東の森。木の枯れ方が異常で、原因不明。二件目は西の渓谷。地響きが頻発しているが地震ではない」
ここから比較的近いのは、北東の森のはずだ。
「……わかりました。とりあえず、北東の森に行ってみます」
「気をつけて。北東の森は前哨基地の管轄外です。別の支部に立ち寄ることになります」
別の支部。Cランクの身分証で行動できる範囲だ。
「ありがとうございます」
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ギルドを出て、街の市場に行った。
装備の補充。まずは保存食。これからの旅の分の干し肉と、新しい乾物。それから薬。解毒の粉と傷薬を補充した。祝福で無毒化と回復力強化があるけれど、レオンの言う通り「備えはいる」から、薬は持っておく。
水筒を一本増やした。革袋を一つ増やした。ダンダンが前足で水筒をつついて、興味を示した。
『みず! いれもの! ダンダン、もつ?』
「お前は持てないだろ」
『もてる! ぱちぱち!』
無理だ。手のひらサイズには大きすぎる。
帳面の替えも買った。今のページがかなり厚くなっている。あと十日も書けばいっぱいになる。
最後に、エルツの手入れ用の鹿革布を一枚追加した。前のはだいぶ汚れた。
全部で銅貨四十二枚。高くない買い物だった。地脈結晶の報酬と比べると微々たるものだ。
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市場の中を歩いていると、テイマーをよく見かけた。
昨日の宿の窓から見ていたときよりも近い距離で、彼らの仕事を見られた。
一人目は、四十代くらいの男性だった。腰に革のベルト。ベルトに小さな笛と、革の手綱がついている。手綱の先に、犬型の魔物がいた。茶色い毛の中型犬。背中に荷台を背負っている。市場の奥から運ばれてきた野菜を、町の店まで運ぶ仕事だ。
男性が魔物の頭を撫でていた。魔物が嬉しそうに尻尾を振った。
「よし、行くぞ」
『はい、ご主人』
声が聞こえた。近いから、テイム越しでも声が拾える。祝福のおかげで距離が広がったから、もっと細かい声が聞こえる。
犬型魔物の声には、ムックの「おなかすいた」のような余白はなかった。でも、声の色は落ち着いていた。怒りでも恐怖でもない。安心、に近い色だった。
俺は遠くから様子を見ていた。男性が魔物に「ありがとうな」と声をかけて、町の店に荷物を届けに行った。魔物が後ろをついていく。尻尾が振れている。
——あれは、いいテイマーなんだろうな。
帳面にメモした。
テイマー観察一:四十代男性。中型犬型魔物。荷運び。
声の色:安心。撫でる、礼を言う。魔物の尻尾が振れている。テイムされていても、信頼関係はある。
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二人目は、若い女性だった。二十代くらい。腰に小さな笛だけ。彼女の足元に、トカゲのような小型魔物が三匹。鱗が青い。
女性が笛を一度吹いた。三匹のトカゲが整列した。
「市場の見回りをお願い」
『はい、ねえさん』
『はい』
『……はい』
三匹の声に微妙な違いがあった。一匹目は元気。二匹目は普通。三匹目は——少し疲れている?
「三番、今日はちょっと疲れてる?」
女性が三匹目に話しかけた。トカゲがびっくりしたように女性を見た。
『……うん。ちょっと』
「うん、……そうか。今日は休んでいいよ。一番と二番だけで回って」
女性が三匹目を抱き上げて、肩に乗せた。トカゲが女性の肩で丸くなった。
——テイマーが魔物の体調を察している。テイマーには対話術はないはずなのに、声は聞こえないはずなのに、それでも気づいている。
長く一緒にいるからだろう。表情、動き、しぐさ。声の代わりに、別の方法で読み取っている。
帳面にメモした。
テイマー観察二:二十代女性。トカゲ型魔物三匹。一匹の体調不良に気づいて休ませる。対話術はないが、長年の経験で察しているみたい。声以外の方法で読み取っている。
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市場の端まで歩いた。エルツが俺の横を歩いている。俺が観察しているのを邪魔しないように、少し離れて。ダンダンが肩の上で街の様子を見ている。
もう一人のテイマーが目に入った。
今度は男性。三十代くらい。立派な革鎧。腰に剣。テイマーというより冒険者に近い格好だ。彼の隣に、大型の獣がいた。狼に似ているが、もっと大きい。背中に鞍がついている。乗用らしい。
男性が獣に何か命令した。獣が前足を上げた。男性が鞍に飛び乗った。獣が走り出した。スピードが速い。街道に向かって駆けていく。
——あれは戦闘用のテイマーだ。
声を聞こうとした。でも、距離が遠くて拾えなかった。獣が街道の向こうに消えた。
「エルツ、今のテイマー、どう思う?」
『……動きに無駄がない。魔物との連携が取れている。長く組んでいるのだろう。だが——』
「だが?」
『あの獣の声が、少しだけ硬かった。安心の色ではない。義務の色だ』
義務の色。
声の色。俺が対話術で見える「色」と、エルツが感じる「色」は、同じものを別の言葉で言っているのかもしれない。
義務でテイマーに従っている。嫌がっているわけではない。でも、自分から進んでやっているわけでもない。「やるべきことだから、やる」。それが義務の色。
「あれも、いいテイマーなんだろうか」
『良いか悪いかは、我にはわからぬ。だが、少なくとも害意はない。互いに利を得ている関係だ。汝の「対等」とは違うが、汝の「対等」だけが正解ではない』
俺の対等だけが正解ではない。
——そうか。俺のやり方だけが正しいんじゃない。
帳面にメモした。
テイマー観察三:戦闘系テイマー。大型の狼系獣。連携が取れている。 エルツ曰く『義務の色』。安心ではないが、害もない。俺のやり方だけが正解ではない。
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市場をぐるりと回って、街を出る門に向かった。
観察した三人のテイマー。それぞれ違った。撫でて礼を言うテイマー、体調を察するテイマー、義務で動かすテイマー。三人とも、悪意はない。三人とも、魔物を傷つけてはいない。三人とも、自分なりの方法で魔物と関わっている。
俺の対話術は、その中の一つの方法でしかない。
——でも。
神様が言っていた。「悪い者には近づくな。あれは君の手に余る」。
今日見たのは、たぶん「悪い者」じゃない。
神様が言う「悪い者」は、もっと別のもの。
いずれわかる、と神様は言った。
いずれ、出会うんだろう。
帳面を閉じた。エルツの背中に乗った。ダンダンが肩で耳を立てた。
「北東の森に向かう。木の枯れ方が異常だって報告があった。たぶん地脈絡みだ」
『承知した』
門を出た。街道を北東に進み始めた。北東の森までは二日の距離。
空気が変わる。街の喧騒が遠ざかる。エルツの足音と、ダンダンの呼吸と、遠くの鳥の声だけになる。
——いつもの旅に戻ってきた。




