第十九話 テイムしていない罪
問題は、街を出る直前に起きた。
ギルドの書庫で水源の情報を集めて、街を出ようとしていた。エルツの側を歩く。ダンダンが肩にいる。
門に向かって歩いていたら、後ろから声がかかった。
「おい、兄ちゃん。ちょっと待てよ」
振り返った。冒険者が三人。剣と革鎧。Dランクの帯章をつけている。体格がいい。俺より年上で、俺より明らかに強い。
「さっきギルドで聞いたんだが、お前のあの銀毛の魔物、従魔登録してないんだって?」
「……してないです。従魔じゃないので」
「従魔じゃない? テイムしてないのか?」
「してません。友達です」
三人が顔を見合わせた。笑った。馬鹿にしている笑いではなかった。もっと単純な——獲物を見つけた笑いだった。
「友達。……なら、あれは無主の野良魔物だな」
「えっ……それは違います、エルツは——」
「この領地の法律では、従魔登録のない魔物は野生扱いだ。野生の魔物は共有資源。誰でも討伐・捕獲していい。知らなかったか?」
知らなかった。
エルストにはそんな法律はなかった。カスパルが特例で「客人」として認めてくれた。でもここはエルストじゃない。別の領地、別の法律、別の常識。
「待ってください。あれはエーデルホルンです。S級相当で——」
「S級だろうがなんだろうが、テイムされてないなら野良だ。おい、あの角だけで金貨数枚は——」
体が震える。門に向かって走った。三人も走った。俺より速い。
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門を出たとき、もう追いつかれていた。
一人が俺の肩を掴んだ。引っ張られて、地面に尻をついた。ダンダンが肩から飛び降りて、俺の胸にしがみついた。
『フリッツ! いたい? いたい? だいじょうぶ?』
「大丈夫——」
「おい坊主、テイムしてない方が悪いんだ。俺たちはここの法に則ってやってるんだから」
三人がエルツに向かって歩き出した。エルツは門の外ですでに臨戦体勢になっていた。毛を逆立てて、金色の目で三人を捉えた。
「エルツ、逃げ——」
言いかけた俺の横を、一人が通り過ぎた。捕獲用の鎖を持っている。太い鎖。魔物の首にかけて動きを封じるための道具だ。
立ち上がった。走った。鎖を持った冒険者の前に、体ごと割り込んだ。
「やめて!エルツは、エルツは——」
殴られた。
横腹に拳が入った。息が止まった。膝が折れる。地面に倒れた。視界がぐらぐらする。ダンダンが俺の側で叫んでいる。
『フリッツ! フリッツ! だめ! たたかないで! フリッツ、たたかないで!』
「邪魔するなって言っただろ。ガキが怪我するぞ。っていうかなんだ。そのモスリンもお友達か?」
悪意はないんだと思う。ラッキー、みたいな感覚なんだと思う。たぶん本当に、この人たちは法に従っているだけだ。テイムしていない魔物は野生。野生の魔物は誰のものでもない。それがこの領地の常識だ。
でも——。
「……誰のものでもない……だからこそ、誰にも取られちゃいけないんだ——」
もう一発。肩を蹴られた。体が転がって口の中に土の味がした。
その時、ビリビリとした空気になっていった。
音が消えて風が止まった。鳥が鳴きやんだ。街道を歩いていた人間が全員、足を止めた。
エルツの角が光っていた。
白い角の表面の模様が、全て同時に発光している。今まで見たことのない光り方だった。神の声を中継するときの淡い光ではない。角全体が白く燃えるように光っている。
金色の目が、開いていた。
初めて会ったときの台地で見た混乱の目ではない。あのときは焦点が合っていなかった。今は合っている。完全に。三人の冒険者を、一人ずつ、順番に見た。
『——汝らは、この者に何をした』
声が来た。
俺に向けた声ではない。冒険者たちに向けた声だ。でも俺にしか聞こえてない。声の圧が桁違いだった。いつもみたいな穏やかな低さではなくて。地の底から響くような、重く、冷たい声。
冒険者たちが声を聞いたかどうかはわからない。でも、圧は感じたはずだ。三人とも動けなくなっていた。鎖を持っていた男の手が震えている。
エルツが一歩前に出た。地面が揺れた。
角の光が増した。空気がまたビリビリと震えた。静電気のようなものが肌を刺す。——雷だ。雷が来る。空は晴れているのに、角の先端から紫の光が走った。
轟音。
エルツと冒険者たちの間の地面に、白い光が落ちた。爆音。土が跳ね、焦げた匂いがした。
冒険者たちが尻餅をついた。悲鳴を上げて逃げようとしている。
「エルツ! やめてくれ!」
叫んだ。体が痛い。横腹が。肩が。でも立ち上がった。
「当てないでくれ! 頼む!」
エルツの金色の目が俺を見た。
怒りが燃えている。数百年を生きた神の眷属の怒り。俺を傷つけた者への怒り。あの台地での混乱とは質が違う。あれは恐怖だった。これは——エルツの意思だ。
「……頼むから」
エルツの角の光が、少しだけ弱まった。
『……汝が止めるのか。汝を傷つけた者を、汝が庇うのか』
「庇ってない。でも当てたら取り返しがつかない。この人たちはこの領地の法に従ってるだけだ。悪気は——たぶん、ない」
『悪気がなければ、汝を殴ってよいのか』
「よくはない。でも、雷を落としていい理由にもならない」
長い沈黙があった。
エルツの角の光が消えた。模様が元に戻った。空気が緩んだ。風が戻った。
『…………承知した。汝に免じて、この場は収める』
冒険者たちが地面に座り込んでいた。腰が抜けている。
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「何事だ!」
声が飛んできた。ギルドの方から走ってくる人間がいた。大柄な中年の男性。ギルドの紋章が胸にある。こちらのギルドマスターだろう。
状況を見て、即座に理解したらしい。地面の焦げ跡。座り込んだ冒険者。俺のボロボロで泥だらけの服。エルツの角の残光。俺の周りをうろうろするダンダン。
「お前たち——この冒険者に手を出したのか」
「だって、テイムしてない野良——」
「黙れ!!」
ギルドマスターの声は低かった。
「Cランクの他領冒険者が同行しているエーデルホルンに手を出した? ギルド本部が客人認定した存在に? お前たちの冒険者証を出せ。処分は後で通達する」
三人が証を出した。ギルドマスターが取り上げた。
それから、俺の方を向いた。
「すまなかったな。怪我は」
「大丈夫です。……たぶん」
大丈夫じゃない。横腹が痛い。でも祝福の回復力強化のおかげか、立っていられる。
「この領地では、従魔登録のない魔物は野生扱いになる。法律だ。お前のところの法が違うのは知っているが、ここではそうなっている」
「……はい」
「だからといって、他領の冒険者を殴っていい法はない。ギルド間の信用問題だ。処分はこちらで行う。——だが、正直に言うぞ」
ギルドマスターが俺を見た。
「ここの冒険者たちの半分は、同じことを考える。テイムしていない魔物は無主だ。それがこの領地の常識だ。お前がそれを変えたいなら、法律を変えるか、あるいは——」
「テイムはしません」
「……だろうな。そういう顔をしている」
ギルドマスターは少しだけ笑った。苦い笑いだった。
「気をつけろ。街の中はギルドが守れるが、街の外では目が届かない。その銀毛の魔物を守りたいなら、お前自身が強くなるか、誰にも手を出させない仕組みを作るしかない」
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街を出た。とてもじゃないが、パスハイムの宿に泊まる気分にはならなかった。エルツの背中に乗った。
しばらく黙って走った。ダンダンが俺の襟の中で丸くなっている。声を出さない。珍しい。
「エルツ」
『なんだ』
「ありがとう。守ってくれて」
『……礼は不要だ。汝を傷つける者を見過ごすことは、我にはできぬ。だが——汝が止めなければ、あの者たちを害していた。汝の判断が正しかった』
「正しかったかはわからない。でも、当てたら終わりだと思った」
『終わり?』
「エルツが人を傷つけたら、この領地の人間は全員エルツを敵だと思う。そうなったら、対話の余地がなくなる」
エルツが黙った。
『……汝は、殴られながら、そこまで考えていたのか』
「考えてたわけじゃない。とにかくダメだって思ってた」
帳面を開く気力がなかった。明日書こう。
ただ一つだけ、頭に残っていることがある。
あの冒険者たちは間違っていない。この領地の法に従っていた。テイムしていない魔物は野生。野生は共有資源。——それは、この領地では正しい。
でも、エルツは誰のものでもない。
誰のものでもないからこそ、隣にいてくれている。
テイムしたら、その関係は壊れる。
——じゃあ、どうすればいいんだろう。
答えは出なかった。ダンダンが襟の中で、小さく鼻先を押し付けてきた。苔の匂い。
今日のところは、これでいい。俺たちの関係が今日のことで変わるわけでは無いんだから。




