第十八話 値段のつく目
山を越えた。
北部山岳地帯の尾根を一つ越えると、景色が変わった。南側——エルスト側——は針葉樹と苔の山だったが、北側は斜面が緩やかで、木が低い。牧草地のような広がりがある。遠くに街が見える。街道が真っ直ぐ伸びている。
エルツの背中から見下ろすと、街道の上に人や馬車が行き来しているのが見えた。エルスト周辺より交通量が多い。
「あの街が、隣の領地か」
『我もここは初めてだ。山のこちら側に来たことがない』
ダンダンが俺の襟から顔を出した。
『まち! おおきい! いっぱい! ひと! いっぱい!』
街道に近づくと、道標が立っていた。
パスハイムと彫られている。峠の向こうの街の名前だ。
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街道に降りた。
エルツに乗ったまま街道を歩くと、すれ違う人間の反応がエルストとは違った。
エルストでは最初に驚いて、それから慣れてくれた。門番が固まって、それから「おう」と手を挙げるようになった。
ここでは、違う。
すれ違った商人がエルツを見て、足を止めた。目が細くなった。値踏みの目だ。素材の品質を見るような目。グスタフが素材を見るときの目に似ているが、温度が違う。グスタフの目には好奇心があった。この商人の目にあるのは算盤だ。
「……あの銀毛は、見たことのない種だな。角の紋様……おい、兄ちゃん。あれはどこで獲った」
「獲ってません。友達です」
「友達?」
商人が怪訝な顔をして、先に行った。
街道沿いに、テイム済みの魔物を見かけた。荷台を引いている大きな犬のような魔物。首に革の輪がついている。従魔登録の印だろう。魔物は黙って荷台を引いている。声は——聞こえる。
『……つかれた……おもい……でも、いく……ごしゅじん、まってる……』
疲れた。重い。でも行く。ご主人が待っている。
——嫌がっているわけではなさそうだ。疲れてはいるが、従っている意思は自分のもの。首の革輪を嫌がる素振りもない。
でも、なんだろう。この感じ。ムックやエルツと話しているときとは違う。声に——余白がない。「疲れた」と「でも行く」の間に、自分の考える時間がない。命令と服従が、呼吸みたいに当たり前になっている。
帳面には書かなかった。まだ言葉にならない。
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街の門に着いた。
門番が二人いた。エルストの門番より体格がいい。武装もしっかりしている。
エルツを見て、二人とも構えた。剣に手をかけた。
「止まれ。従魔登録のない魔物は街に入れられない」
「待ってください。冒険者です」
Cランクの冒険者証を出した。銀の縁が光った。
門番の態度が変わった。手が剣から離れた。
「……Cランクか。他領の冒険者か」
「エルストから来ました。地脈の調査でこちらに」
「地脈? ……まあいい。Cランク以上は通行を認める規定だ。だが、その魔物は——」
「エーデルホルンです。従魔ではなく、ええと、エルストでは客人として扱ってもらいました。訳あって、同行しています」
門番が顔を見合わせた。
「エーデルホルン?」
「この地域では三百二十年ぶりの観測です。ギルド本部の査察官が認定しました」
カスパルの名前を出そうかと思ったが、やめた。何か迷惑になるといけない、と咄嗟に思った。
門番がエルツを見上げた。エルツが門番を見下ろした。
『フリッツ。この者たちに害意はないが、警戒心が強い。我が話そうか』
「俺が訳す」
エルツがゆっくりと首を下げた。門番と目線を合わせた。金色の目。門番が息を呑んだ。
『我は人に害をなさぬ。この者の隣にいるだけだ。通してもらえるか』
「害意はないと言っています。通してもらえますか」
門番が、しばらくエルツの目を見ていた。金色の目は穏やかだった。台地で叫んでいた頃の不安定さは、もうない。
「……街中での騒ぎは起こすなよ」
「ありがとうございます」
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パスハイムに入った。
エルストより大きい。建物が高い。通りが広い。人が多い。そして——魔物が多い。
街中に、テイム済みの魔物がたくさんいた。荷運び用の大型魔獣。警備用の犬型の魔物。店先に繋がれた小型の魔獣。全部、首か足に革の輪がついている。従魔登録の印。
声が聞こえる。たくさん。前は聞こえなかった距離の声が、祝福のおかげで届く。
『……ここ、まつ……ごしゅじん、くる……まつ……』
『……はら、へる……でも、まだ……しごと……』
『……あつい……つかれた……ねむい……でも、おとなしく……しとく……』
どの声にも、同じ色がある。従っている。嫌がってはいない。でも、声に遊びがない。ムックの「はらへる」やダンダンの「やだ!」には、自分の感情を自由にぶつける余白がある。ここの魔物たちの声には、それがない。
肩の上でダンダンが耳を伏せた。
『……フリッツ。ここ、の、まもの。しずか。しずか、すぎる。こわい、の? さみしい、の?』
「怖くはないと思う。でも、静かだな」
エルツが小さく言った。
『……従っている者の声だ。逆らっているのではない。だが、自分で話しているのでもない。言われた通りに在ることを、当たり前にしている声だ』
言われた通りに在ることを、当たり前にしている。
それは——悪いことなのだろうか。わからない。ここではそれが普通なのかもしれない。俺の村ではモスリンが自由に動いていたが、ここでは魔物が人間と一緒に働いている。どちらが正しいという話ではない。
でも、なんだか居心地が悪い。
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ギルド支部に向かった。ここの支部はエルストより大きい。建物が三階建てで、入り口に魔物の素材が飾ってある。牙、角、鱗。討伐の成果を誇示している。
中に入った。エルツは入り口の外で待っている。ダンダンは肩に乗ったまま。
受付にCランクの証を見せた。
「エルストから来た、冒険者です。地脈の調査でこちらに来ました。北部の水源について情報がほしいんですが」
受付の男性がカードを確認した。スキル欄を見て、少し首をかしげた。
「対話術? ……珍しいスキルだな。討伐系ではないのか」
「採取と調査が専門です」
「ふむ、そういうのもあるのか。ええと、水源か。最近、北部の水流が変わったという報告が何件か上がっている。冒険者からも、魔物からも」
「魔物からも?」
「ここではテイマーが魔物の声を読み取って報告する仕組みがある。直接対話ではないが、テイム越しの情報だ」
「原因はわかっているんですか」
受付の男性が首を振った。
「調査班を二度出している。崖崩れや土砂崩れのような物理的な原因は見つからなかった。水源自体は枯れていない。だが流量が減っている。原因不明で、報告書だけが溜まっている状態だ」
原因不明。物理的に壊れていないのに、水が減っている。——地脈の問題だ。地脈は目に見えない。水脈の変化は観測できても、その奥にある地脈の乱れは、普通の調査では見つからない。
でも、魔物視点の情報ならば何かわかるかもしれない。
「その報告、見せてもらえますか」
「Cランク以上であれば閲覧可能だ。書庫にある」
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書庫で報告書を読んだ。水源周辺の魔物からの情報が、テイマー経由で記録されている。
「水温の低下」「水量の減少」「水源付近の魔物の移動」。蝙蝠やトレントが教えてくれたことと一致している。だが、こちらの記録の方が数が多い。テイマーの数が多いから、集まる情報も多い。
ただ——読んでいて違和感がある。
記録が断片的すぎる。魔物が「何を感じているか」が書いていない。「水温が下がった」という事実はあるが、「それで困っている」「どこに逃げたい」「何が怖い」がない。テイム越しでは、感情まで読み取れないのかもしれない。
俺が帳面に書いている記録とは、質が違う。蝙蝠は「のどかわく」と言った。トレントは「くるしい」と言った。それは事実ではなく、感情だ。
帳面にメモした。
隣の領地のギルド書庫:テイマー経由の報告は事実の断片。感情や主観が欠落している。対話で直接聞いた情報との質の差がある。どちらが優れているという話ではないが、組み合わせれば地図が完成する。
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ギルドを出ると、エルツの周りに人だかりができていた。
遠巻きに見ている。近づく者はいない。でも、見ている目の色がエルストとは違う。
「あれは何の種だ」「角の紋様が特殊だな」「毛の質がいい。あれだけで軽銀貨は——」
値段の話をしている。エルツの体毛の値段。角の値段。
エルツの金色の目が、人だかりを見渡していた。怒っていない。困惑もしていない。静かに見ている。
『フリッツ。この者たちは我を値踏みしておるな』
「……うん。ごめん」
『謝ることはない。これがこの地の流儀であろう。我が怒る理由はない。ただ——汝の村や、エルストとは、違うな』
「違う。本当にそう思う」
『汝が最初に我に話しかけたとき、汝は値を聞かなかった。名を聞いた。——それだけで、汝がどういう人間かはわかった』
エルツの背中に乗った。ダンダンが襟の中に潜り込んだ。苔の匂い。
街を出て、北部の水源に向かう。ここからさらに半日。
帳面の今日のページに、一行足した。
この領地では、魔物に値段がつくみたいだ。




