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対話術(+++)を持って生まれた俺が不殺のS級冒険者になるまで  作者: 絹田屋


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第十七話 水が変わった


 出発の朝は、いつもと同じだった。


 ダンダンが顔の上で寝ていた。鼻が塞がって寝苦しい。はがしながら起こして、肩に乗せた。竈で湯を沸かして、昨日の煮込みの残りを温め直した。蜂蜜と香草入り。二日目の煮込みは味が馴染んで、初日より美味い。これはレオンが教えてくれなかった発見だ。


 帳面にメモした。

 煮込みは二日目のほうが美味い。


 エルツが倉庫棟から出てきた。朝の光で銀灰色の体毛が光っている。鉄櫛で軽く梳いた。鹿革布で角の根元を拭いた。白い模様がくっきり見えた。


『支度は整ったか』

「うん。行こう」


 荷物を背負って、エルツの背中に乗った。ダンダンが俺の肩に乗っている。エルツの上に俺、俺の上にダンダン。三段重ねだ。


 北門を通った。門番が手を挙げた。


「行ってくるよ」

「気をつけろよ、坊主。……とそちらの方も」


 門番がエルツに向かって軽く頭を下げた。最初は腰を抜かしていた人間が、今は「そちらの方」と呼んでいる。慣れとは恐ろしいし、ありがたい。


---


 北部の道を進んだ。前回の遠征と同じルートだ。針葉樹の林に入り、蝙蝠の洞窟の方角に向かう。


 エルツの足が速い。景色が流れていく。朝の冷たい空気が顔に当たる。ダンダンが耳を伏せている。風が強いのだろう。俺の襟の中に潜り込んだ。首筋に苔の匂い。温かい。


 ——あれ。


 聞こえた。

 遠い。すごく遠い。前なら絶対に届かなかった距離。でも、今は聞こえる。薄くて、ぼんやりしているけれど、確かに声がある。

 虫系だ。右の方角、たぶん沢を二つ越えた先。遠すぎて言葉にはならない。でも「何かがいる」という気配が、頭の中に届いている。


「……前はこの距離で声、聞こえなかった」

『汝の感覚が変わったのだ。祝福の効果であろう。対話術の精度が上がり、聞こえる範囲が広がっている』

「範囲……」


 試しに、意識をその方向に向けてみた。耳を澄ませるのとは違う。体の真ん中で、声が来る方向を探す感覚。


『……あつ……い……みず……ぬるい……いつも……つめたい……のに……』


 虫系の声だ。断片的だが、聞き取れた。「水がぬるい」。いつもは冷たいのに。


 帳面を出した。揺れる背中の上で、なんとか書いた。

 北部入り口手前、沢を二つ越えた先の虫系。水がぬるいと言っている。祝福の効果で聞こえた距離。以前の範囲を大幅に超えている。


---


 蝙蝠の洞窟に寄った。


 入り口に着く前から声が聞こえた。


『きた! きた! あかい、み、の、ひと! おおきい、の、と! ちいさい、の、も!』


 蝙蝠たちが入り口に群がっていた。昼間なのに。俺たちが来るのがわかっていたらしい。


「久しぶり。元気?」

『げんき! あかい、み、まだ、ある』

「最近、水に変ったこと起きてない?」

「みず……、すこし、へん。いつも、しずく、おちてくる。さいきん、すくない』


 水がおかしい。洞窟に染み出してくる地下水の量が減っている。


「しずくが少ないのは、いつからだ?」

『……うーん。つき、ふたつ、まえ? みっつ? わからない。でも、すくない。のどかわく』


 二〜三ヶ月前から。単角獣の目撃情報が増え始めた時期と重なる。


 赤い実を二房置いた。蝙蝠の声が跳ねた。


『ありがとう! また、きて! いつでも!』


 帳面にメモした。

 蝙蝠の洞窟:地下水の滴りが減少。二〜三ヶ月前から。時期がエルツの南下と近い。


---


 さらに北へ進んだ。Dランク帯に入った。


 空気が変わる。静かになる。小型魔物の気配が消えて、木と風の音だけになる。——いや、今は違う。祝福の効果で、以前は聞こえなかった遠くの声が拾える。完全な沈黙ではなく、遠くに薄い声の気配がある。


 トレントの空間に着いた。

 林の中のぽっかりと開けた場所。巨大な幹。二つの窪み。


 いた。前と同じ場所に。


「久しぶり。元気に——」


 言いかけて、止まった。


 トレントの樹皮がめくれている。前に俺が寄生植物を取り除いた場所と、同じ場所。でも今度は寄生植物ではない。樹皮自体が乾いている。ひび割れている。瑞々しさがない。


「……エルツ」

『うむ。……以前より衰えている』


 エルツの背中から降りた。トレントに近づいた。


「調子はどうですか」


 待った。


 長かった。前に寄生植物を取り除いた後は、少し声が早くなっていたはずだ。でも今は——。


『……………………みず…………………………かわった……………………………………まえ……と……ちがう……………………』


 遅い。最初に会ったときと同じくらい遅い。いや、もっと遅いかもしれない。一文に三十分以上かかっている。


 水が変わった。前と違う。


「水が変わったって、どういうことですか」


 待った。日が動いた。風が変わった。ダンダンが俺の肩で眠って、起きて、また眠った。


『………………………つち……の……なか……の……みず…………すくなく………なった……………ねもと……が……かわく……………………くるしい……………………』


 土の中の水が少なくなった。根元が乾く。苦しい。


 トレントは地中に深く根を張っている。その根が地下水を吸い上げて生きている。その地下水が減っている。蝙蝠の洞窟と同じだ。


「いつからですか」


『…………………………わからない……………すこし……ずつ…………………きづいたら……………………かわいて……いた……………………』


 少しずつ。気づいたら乾いていた。


 帳面を開いた。蝙蝠の証言と並べた。洞窟の地下水の滴りが減った。トレントの根元の地下水が減った。虫系が「水がぬるい」と言っていた。


 全部、水に関する異変だ。


 エルツが俺の横に立った。金色の目がトレントを見ている。


『地脈は水脈と重なる。我が神がそう言った。水が変わったということは、やはり地脈も変わっているということだ』

「……何かが起きてる」

『そしてそれは、我と神を繋ぐ道を乱している原因でもある』


 トレントの樹皮に手を触れた。乾いている。ひび割れの間から、かすかに樹液が滲んでいる。前に来たときは、寄生植物を取り除いてやったらすぐに良くなった。でも今回は、寄生植物の問題ではない。水そのものが減っている。


 俺にできることは——。


「ごめん。今は治せない。でも、水源を調べに行く。原因がわかったら、なんとかする」


 長い沈黙。


『……………………たのむ……………………』


 一文。たぶん四十分かかった。


 前に来たときは『ありがとう』が出るまでに三十分だった。今は『たのむ』に四十分。確実に悪化している。


 帳面にメモした。

 トレント再訪:声がさらに遅くなっている。一文40分以上。根元の地下水が減少。樹皮のひび割れ。

 寄生植物ではなく、水源そのものの問題。蝙蝠の洞窟の証言、虫系の証言と一致。地下水の減少は広範囲で起きている。


---


 トレントの空間を出て、さらに北に進んだ。


 水源はここからまだ先だ。中継の街まで半日の距離がある。今日中に着くのは難しい。野営が必要だ。


 エルツが足を止めた。


『フリッツ。今日はここまでにせよ。汝の体温が下がっている』

「……わかってる」


 日が傾いている。風が冷たくなった。北部の山岳地帯は夜が冷える。


 岩陰を見つけて、荷物を下ろした。深皿カップに水と干し肉を入れて、火打ち石で火を起こした。直火で温める。蜂蜜を少し。


 小さな火のそばで、温かい汁を飲んだ。ダンダンが膝の上に丸くなっている。エルツが横たわって風除けになってくれた。


「水が減ってる。蝙蝠も、トレントも、虫系も、みんな同じことを言ってる」

『うむ。地脈の乱れは間違いなく水脈に現れている。水源に何かが起きているのだろう』

「明日、着くよね」

『着いたらどうする』

「……わからない。まず見て、聞く。いつもと同じだ」


 エルツが鼻から息を吐いた。


『そうだな。まず聞く。それから考える。汝はそれでよい』


 帳面を開いた。今日の記録を読み返した。三つの証言が並んでいる。蝙蝠、虫系、トレント。全部水の異変を指している。


 ——明日、水源で何が見つかるだろう。


 ダンダンが膝の上で寝言を言った。


『……みず……つめたい……すき……』


 水が冷たい。好き。

 ——ダンダンは水が好きなのか。明日、水源に着いたら教えてやろう。冷たいかどうかはわからないけれど。


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