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対話術(+++)を持って生まれた俺が不殺のS級冒険者になるまで  作者: 絹田屋


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第十四話 天の声と、供物の話


 顔が重い。


 目を開けたら、視界が茶色い毛で埋まっていた。苔の匂い。温かい。ダンダンが俺の顔の上に乗って寝ている。


「……ダンダン、どけ」

『やだ。あったかい』

「重い」

『おもくない。ダンダン、かるい』


 軽いのは認める。手のひらサイズだから。でも顔に乗るな。鼻が塞がる。


 ダンダンを肩に移動させて、起き上がった。窓の外が明るい。新居に越してきて三日目の朝だ。


 倉庫棟の方を見た。エルツが中から首を出している。朝の光で銀灰色の体毛が光っている。


『おはよう。フリッツ。今朝は何を食す』

「今から作る」

『また塩と焼くだけか』

「違うよ。今日はちゃんと作る」


---


 竈に火を入れた。

 薪は昨日レオンが持ってきてくれた。「引っ越し祝いだ。次からは自分で割れ」と言っていた。


 鍋を竈にかけた。やかん亭のおじさんにもらった鍋だ。「使わないから」と言われた。この街の人間は使わないものをくれる文化がある。


 水を入れて、鹿肉を切って入れた。解体屋で精肉してもらったやつの残り。それから、薬屋のおばさんに教わった通り、根菜を切って入れた。街の市場で買った芋と、人参に似た赤い根菜。


 塩を入れた。あと何を入れればいいかわからなかったので、塩だけにした。


 じっくりと煮た。

 鍋が温まってくると、匂いが立ちのぼった。肉と根菜が煮える匂い。干し魚とビスケットしか食べていなかった頃には嗅いだことのない匂い。


 ダンダンが竈の前にちょこんと座って、鼻をひくひくさせている。


『いい、におい! なに? なに? たべる? たべていい?』

「もう少し待て」

『まつ! まつ! でも、はやく!』


 尻尾がぱたぱたと床を叩いている。待てと言うと叩く。こいつは本当にダンダンだ。


 窓の向こうから、エルツが覗いている。倉庫棟から首を伸ばして、居住棟の窓から中を見ている。金色の目が鍋を見ている。


「エルツも食べる?」

『我は三日に一度で十分だと言ったであろう。……だが、匂いは良い』


 匂いは良い。それはつまり気になっている。


 煮えたので、椀によそった。肉と根菜の煮込み。塩味だけ。

 母さんが作っていたのとは比べものにならないが、温かい汁物であることに変わりはない。


 一口、そっと。


 ——美味い。焼くだけの肉とは全然違う。根菜の甘みが汁に溶けている。肉が柔らかくなっている。塩しか入れていないのに、重層的な味がする。


「……煮るって、すごいな」

『当然だ。火と水と時間を使えば、素材の味が引き出される。焼くだけとは格が違う』

「お前、料理に詳しいのか」

『人間が煮炊きを憶えた頃から見ておる。知識としては知っている。作ったことはないが』


 知識はあるが作ったことはない。神の眷属らしい。

 ダンダンに肉の小さなかけらを一つやった。


『おいしい! おいしい! もっと!』

「一つだけな」


 肩の上で尻尾がぱたぱた鳴っている。


---


 朝飯を食べ終えて、竈の火を落とした。今日の予定を考えていたら、エルツが不意に首を上げた。


 角が光った。白い角の表面の模様が、一瞬だけ淡く輝いた。


『——フリッツ。天の声が来る』

「え? 今?」


 前に聞こえたのは「もふ」と「その子」と「触り」だけだった。断片。意味をなさなかった。


 今度は違った。


 エルツの金色の目が遠くを見ている。何か別のものを見ている目だ。角の光が安定した。弱いが、途切れない。


『……聞こえる。以前より……はるかに明瞭だ。訳す。そのまま伝えるぞ』


 エルツが口を開いた。自分の声と、天の声を重ねて訳し始めた。


『——聞こえているかい。わたしの眷属に触れた者よ』

「……聞こえてます」


 エルツが目を閉じた。中継している。俺の返事を天に送っているのだろうか。


『よかった。届いた。……わたしは長い間、その子……君がエルツと呼ぶ子との繋がりが弱まっていることに気づいていた。だが直接手を出せなかった。神には神の制約がある。直接介入はできない。だから、君が来てくれたことは——本当に、ありがたかった』


 声が静かだった。重みがある。感謝の言葉としてはこれ以上ないくらい真っ直ぐだ。


『君がなぜエルツと通じたのか、正直に言えば、わたしにもわからない。対話術という力は知っている。だけど(+++)という等級は——わたしが与えたものではない。それでいて、わたしの眷属と通じた。前例がない』


 (+++)は神が与えたものでもない。じゃあ誰が——いや、今はそれより大事な話がある。


『だが、結果として君の存在がその子を繋ぎ止めた。それだけではない。君がエルツの傍にいることで、わたしとの道が安定している。君が中継となっているのだ。わたしの声がここまで明瞭に届いているのは、君があの子の近くにいるからだ』

「俺が……中継?」

『君の対話術が、その子と天を繋ぐ道を増幅している。君が間に入ることで、信号が強まる。かつてその子が一人で天と繋がっていた頃より、君を介した今の方が、道は太い』


 俺がいることで、エルツと天の接続が安定している。俺が離れたら——。


「……俺がエルツから離れたら、接続はどうなりますか」


 沈黙があった。エルツの角の光が、少しだけ揺れた。


『……弱まる。すぐにではないが、時間が経てば。道が細くなり、雑音が増え、いずれまた——エルツが一人だった頃に戻る可能性がある』


 あの台地での混乱。声の滝。『ひとり、ひとり、ひとり』と叫んでいたエルツ。あれに、戻る。

 エルツが目を開けて、俺を見た。天の声を中継しながら、自分の声で言った。


『フリッツ。汝は今、帰れぬと思ったな』

「思ってないよ。お前もいるし、ダンダンもいるし、まだ話したことない魔物がたくさんいる」

『……そうか』

「ただ、ダンダンが来たこと、ムックに伝えてやらないとな。怒ってるだろうし」


 ダンダンが肩の上で耳を伏せた。怒られることは覚えているらしい。


『……汝は我のために無理をしておらぬか』

「してないよ」


 エルツが黙った。金色の目がしばらく俺を見ていた。


 天の声が、静かに続いた。


『……君は良い子だな。だが——感謝する。君がいてくれることで、その子は安定している。わたしの声も届く。それは事実だ』


 俺がここにいることに意味がある。しかもそれが、俺自身のやりたいことと重なっている。悪くない。


 天の声が、少し間を置いて続いた。


『だが、わたしとその子との繋がりはまだ完全ではない。道は開いたが、細い。雑音が多い。原因は数多くあるが……大きな影響は地脈の乱れにある。天と地を繋ぐ流れが乱れていて、乱れが道を塞いでいる』

「……エルツが前に言ってた『天の道に雑音がある』っていうのは、それですか」

『その通りだ。地脈の乱れは誰が悪いわけでもない。だが、放っておけば接続はさらに弱まる。地脈を安定させれば、道が太くなる。君が離れても接続が保たれるようになるかもしれぬ』

「やります。どこから調べればいいですか」

『北部山岳地帯の水源。地脈の流れは水脈と重なる。水の流れが変わった場所があるはずだ。そこが起点になる』


 北部の水源。Dランク帯の奥。エルツに乗れば行ける距離だ。


「わかりました。エルツと行きます」

『頼む。……ああ、それと——』


 エルツの声の調子が変わった。中継している天の声の温度が、明らかに変わった。


『——それと。ところで。ところで、なのだが』

「……はい」

『わたしは——その——魔物が好きでね』

「…………」

『好きなのだ。とても。全知に近い存在ではあるが、触れることができない。物理的に存在できないから。モスリンのあのもふもふの感触も、蝙蝠の声が跳ねる瞬間も、トレントの樹皮の硬さも、知ってはいるが体験したことがない。ずっと。ずっと見ているだけだった。何百年も。何千年も』


 声が切実だった。さっきの地脈の話と同じくらい真剣だった。いや、もしかしたらこっちの方が真剣かもしれない。


『君の対話の記録——あの帳面に書かれているような、魔物との日々の話。あれを聞かせてくれないか。君が体験した触れ合いを、わたしに共有してほしい』

「……話すだけでいいんですか」

『それが供物になる。魔物との対話の体験を、神に捧げるもの。世界のどこを探しても、君にしかできない供物だ。そしてわたしはその報いというか、授けとして、君に正式な祝福を送ることができる。対話術の精度を上げ、聞こえる範囲を広げ——つまり、君がもっと多くの魔物と、もっと深く話せるようにする。そうすれば地脈の調査も捗る。損はないはずだ。どうだろう。どうだろうか』


 前のめりだった。


「……ちょっと、相談させてもらえますか」


 地脈の話のときの落ち着いた声はどこへ行ったのか。交渉というより懇願に近い。数千年を生きた神が、十三歳の人間に「話を聞かせてくれないか」と頼んでいる。


 エルツが目を開けた。中継を保留しているらしい。金色の目が俺を見ている。


「……エルツ、今の全部聞こえてた?」

『聞こえておった。天はかように……その……情熱的な存在であったのだな。我も長く仕えてきたが、知らなかった』


 情熱的。そう言うしかない。

 ダンダンが肩の上で首をかしげている。


『てん? てん、って、なに? おおきい? あったかい? もふもふ?』

「いや……もふもふしたいのは向こうらしい」


 考えた。


 供物として魔物の話を聞かせる。祝福として対話術が強化される。

 もっと遠くの魔物と話せるかもしれない。もっと遠くの声が聞こえるようになるかもしれない。それは——俺がいちばんやりたいことだ。


 俺が何かを失うわけではない。いつもやっていることを話すだけ。

 ムックの話。蝙蝠の話。トレントの話。ヴィルドボアの話。ダンダンの話。


 それを聞いて喜ぶ神がいる。その喜びの対価……?として、俺がもっと遠くの魔物と話せるようになる。もっと遠くの声が聞こえるようになる。


 なら、断る理由がないか。


「エルツ。天ともう一度つないでくれる?」

『どうする』

「やろう。……神様、聞こえますか?お話します。……で、最初の話は何がいいですか」


 エルツが角を光らせた。中継が始まった。


 天からの返事は速かった。さっきまでの数千年分の重みは消え失せていた。


『本当か! 本当に聞かせてくれるのか! ——では、では! あの小さい子! 今肩に乗っている子! その子の耳! あの耳が動くときの話をしてくれ! あと鼻先を押し付けるやつ! あれはどんな感触なのだ! 柔らかいのか! 温かいのか! ——ああ、祝福は今すぐ送る! 受け取ってくれ!』


 ダンダンが肩の上で耳をぱたぱた動かした。

 天が見ている。たぶん、今のこの耳を見て、大変なことになっている。


 帳面を出した。今日の日付。

 天の声と正式に接触。地脈調査の依頼を受ける。

 供物:魔物の対話体験。

 対価:祝福(対話術の強化)。

 天の第一声の要望:ダンダンの耳の話。


 ——神様の供物がダンダンの耳の話。なんというか、壮大と素朴が同居している。


 この世界の神は、思ったよりも人間くさかった。いや、人間くさいというより、魔物くさい……のかもしれない。


 祝福を受けたら、もっと遠くの声が聞こえるようになる。もっと多くの魔物と話せるようになる。地脈の調査も進む。


 ——そしたら、ムックにも声が届くかな。遠すぎて無理か。でも、いつか。


 ダンダンが肩の上で尻尾を叩いた。


『はなし、する! ダンダンの、はなし! みみの、はなし! する!』

「お前が自分で話してどうする」

『する!』


 外でエルツが鼻から息を吐いた。笑っているのか呆れているのか。たぶん両方だ。


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