第95話 水面を揺らす騒めき
第3章 渦巻く陰謀、邪悪の残滓。
第2幕 久別重逢
第95話 水面を揺らす騒めき
「まさか、ヴェリシオン?あなたが……?」
呼びかけに答える声は、無い。
「起きてるなら返事を下さい。」
やはり声は無く、そしてあの希薄だが荘厳な魔力の気配も、無かった。
……どうやら、当ては外れたようだ。
しかしあの状況でこんなことができるのは、大精霊である彼ぐらいのもの。きっと修復だけしてまた眠ってしまったのだろう。
「……ありがとう。」
届いているだろうか?それを知る由は無いが、おかげで私は冒険者としての生活を続けられるし、ヴァルやノエルとの再会も目指せるし、夢を追い続けることもできる。
そう考えると彼にはいくら感謝してもし足りない気がしてきた。
「本当に、ありがとう。」
彼が目を覚ましたら……色々と聞きたいこともあるが、まずは面と向かって感謝を伝えようと、そう思った。
***
Side リュドミラ・クロムウェル
時を同じくして、リュドミラもまた宿の自室で体を休めていた。
「姉様が……」
突如として告げられた、敬愛する姉貴分の死。
遺体がないばかりか、遺骨さえ残らなかったというミオの説明も聞きはした。だが、それゆえに実感をもって受け止めることができないでいた。
あの人が、いくら修行しようとも届かない場所にいるあの人が、ミオ以外の誰にも知られることなく密かに亡くなっていたなんて、誰が信じられるだろうか。
私にとっての姉様は絶対的な強さの象徴であり、憧れの英雄であり、追いかけ続ける大きな背中であったのだ。
そのために血反吐を吐くような修行をして、幾度も死線をかいくぐって、そうやって200年もかけてようやくその背中を直視して、あともう少しというところで……
胸にぽっかりと穴が開いたようだ。
それは家族のような存在を失ったことからでもあり、長年の目標を失ったからでもあった。
「……でも、きっとそうじゃないよね。」
姉様は、こんな私は望まない。この場に居れば、きっとこう言うのだろう。
『だから知られたくなかったんだ。私のせいで君たちを悲しませたり苦しませたりするのが、私は一番嫌なんだよ。』
それに、過度に死者を思い続けるのは冒険者の流儀にも反する。
なら今は、するべきことをしよう。
ミオを守り、育てる。姉様の跡を継いで、あの子のもう一人の師匠として。
「……頑張るから、ちゃんと見ててね。」
***
Side 『エマ』
冒険者ギルドの受付嬢―――それは、冒険者という馬を駆る御者のような職業だ。
各所から集められた情報をもとに情報管理課が依頼を作成し、それを私たち受注管理課(受付)が適性のある冒険者へと割り振る。
冒険者は社会の潤滑油だ。
危険な魔物を間引き、流通網を支える商人を守り、街の小さな困りごとまで解決する。まさに一般的な職業では手の届かない場所に滑り込むような、様々な内容の業務をこなす職業だ。
ゆえに、多種多様な情報が集まる。魔物、政治、経済、まで。そこらの情報屋では手も足も出ないような量と質の情報が、日々入り乱れている。
当然、ギルドの職員にはそれを扱う者としての適性が強く求められ、中でも守秘義務の順守は絶対条件なのだ。
情報とは刃だ。
一枚の紙切れが国を救い、一つの噂が国を滅ぼす。私は、それを良く知っている。
なぜなら私が―――スパイであるからだ。
「お疲れ様、任期満了だ。」
それは、仕事帰りのいつもの道でのこと。フードを目深にかぶった男に、すれ違いざま声を掛けられた。
「……はい?」
ギルド職員は公職ではない。しかし、民間ではありえないほど厳正な機関であることでも有名だ。
審査を通り無事職員となったとしても、見習いになるまでには年単位の研修期間を終える必要がある。例外と言えば、支部長・副支部長職として勧誘された高ランク冒険者ぐらいのものだが、それでも簡易的な研修は避けられない。
信用され、実際に情報に触れられるようになるまでかかる時間、費用、労力は並大抵のものではない。故にギルドに潜入していることが発覚するなど絶対にあってはならないのだ。
だからこそ、潜入者たちは一切の定期連絡を絶って完全に独立して動く。現に私は5年前の採用通知以来情報を蓄えることに徹し、『周囲よりほんの少しだけ優秀な受付嬢のエマ』として生活してきた。
そんな私に、突如として接触してきたこの男。
彼は本当に私の任期満了を伝えに来た仲間なのだろうか?それとも、私を疑うギルド監査部がカマをかけ、あぶり出そうとしているのだろうか?
確信が持てない限り、私は『エマ』としての振る舞いを崩さない。
「何をおっしゃっているのか、分かりませんが。」
「まぁ、そうだろうな。それなら……一度捨てた名前を偽名にするのは、いささか悪趣味じゃないか?」
「捨てた名前?どういうことですか?」
「ふむ……」
考え込んだ様子の男は二歩踏み出し、私の耳元で低く、そして素早く言った。
「5年前、帝国陸軍のエリート部隊から十数名が記録ごと完全に消え去った。上層部には『伏駒』と呼ばれ、各重要機関に送り込まれた精鋭中の精鋭というのがその真相。お前は冒険者ギルドに潜り込み、その際捨てた本名を偽名として使った。」
その口から放たれた機密情報の嵐に私は息を飲んで、そしてすぐに決断を下した。
「っ―――23時、私が窓を開けたら部屋へ。詳しいことはその後で。」
「了解。」
(話はまとまった。後は自然に別れるだけだが―――)
そう逡巡した瞬間、唐突に両手で肩を掴まれる。
「リリアン?何で拒むんだよ!俺は、俺はお前のために!」
「―――いい加減にしてください!」
恋愛関係をこじらせた末のトラブル―――なるほど、悪くない筋書きだ。
私はすぐに察してその演技に乗り、わざと引き離せないギリギリの力で男を押しのける。すると、巡回中だった衛兵が騒ぎを聞きつけすぐに駆け付けた。
「おい、何をしている!」
「チッ、くそっ!」
「待て!」
衛兵に気付いた男は一つ舌打ちして逃げ出し、二名がそれを追いかけて行った。
私が腰が抜けたようにその場にへたり込むと、残った衛兵が横にしゃがんで言う。
「夜間巡衛隊の者です。ケガはありませんか?」
「え、ええ。ただ、安心したのか、力が抜けてしまって……」
「……一人で帰るのは不安でしょう。ご自宅までお供いたします。」
「ありがとうございます……」
衛兵の声は柔らかく、私を疑うような様子は無い。これで男と私の接触はただのいざこざとして処理されることだろう。
あとは、仲間を名乗るあの男と合流して情報を搾り取るだけだ。
(残業か……)
手塩にかけて育てた人員を逃がさないためなのか、ギルド職員の労働環境は凄まじいほどの厚待遇である。18時に受付を終了し、19時以降の労働は原則禁止されるほどに。
ぬるま湯に5年間浸かり続けて凝り固まった軍人としての魂が、過酷な諜報活動の片鱗を受けて再び熱を持つ。
(それにしても、素晴らしいタイミングと言わざる問えないわね。まさか……氷星の死去を知った当日に報告の機会を得るなんて。)
機密とは、往々にして漏れる物。
さりとて、この世界を揺るがすこの重大事件の漏洩がどのような影響を及ぼすことになるのか……それはまだ、神のみぞ知る―――いや、もはや神ですら知らぬことなのかもしれない。
あとがき
かなり早い段階から温めていた設定がついに公開の運びとなりました!
Cランクへの昇格以降主人公の担当受付嬢として登場し続けていた『エマ』さんは、なんと帝国のエリート軍人であり、その優秀さを買われて冒険者ギルドへの潜入を指示されたスパイだったのです。
まぁ、設定の無いぽっと出のモブキャラには名前が無いことも多い(例:第62.5話後半にて会話していた二人の男、第72話にてノエルと一緒に主人公に保護された行商人の母子、など。)この作品ですから、もしかしたら「何かある」と感じていた読者の方がいらっしゃるかも……?
さて、ではそろそろアムヌーで起きる出来事も終わりましたので、今度こそイルムに向け主人公の旅が始まります!




