【VOICE~日本酒奇譚~ #04】自ら酒屋ののれんをくぐる
日本酒たちとの出会いを通じて、地酒の面白さを知った俊。
ただ飲んで美味しいと感じるだけではない。
日本酒たちと会話を交わすうちに、いつしか日本酒そのものが好きになっていた。
そして、この日、俊は新たな一歩を踏み出そうとしていた。
『よし、今日は帰りに酒屋に寄ってみよう!』
そう。俊は遂に自らの足で酒屋ののれんをくぐることを決意したのだ。
そう決めたならもう仕事どころではない。
定時を迎えるのを待ちわびながら、平静を装い、淡々と仕事をこなす。
5分が30分にも感じられる。
職場の時計を何度確認しても、針はほんの数分しか進んでいない。
そんなもどかしい時間を過ごし、ようやく迎えた定時。
俊は足早に職場を後にし、駅へと向かった。
その足取りは軽く、どこかリズミカルで高揚感を隠しきれていなかった。
ーーー
東京メトロ銀座線の浅草駅の一つ手前、田原町で降り、向かった先は「ゆい酒店」。
目の前に到着し、あとはドアを開けるだけ。
あんなにも楽しみにしていたはずの酒屋デビューを目前に、俊は、緊張し始めた。
『俺、日本酒のこと全然知らないけどちゃんと選べるかな?』
『素人だと思われたら恥ずかしいな…』
余計な心配が頭をよぎりつつ、恐る恐るドアを開いた。
「いらっしゃいませぇ。」
店内には、若い女性店主が一人。
ディスプレイは綺麗に整えられており、落ち着いた雰囲気だ。
左右に配置された冷蔵庫には各地の地酒がびっしりと並べられている。
それを見た俊は、さっきの緊張を忘れ、夢中になって見渡した。
『すげぇ~日本酒がいっぱいだ…』
『どれにしようかなぁ~』
ずらりと並んだ日本酒を目の前に、俊は興奮している様子だ。
しかし、その興奮もすぐさま焦りに変わることになる。
『え、どうしよう…何を選んでいいか分からない…』
『難しい漢字ばっかりだし、純米とか本醸造とかよく分かんないな…』
『有名なお酒とかも知らないし…』
まだ日本酒の知識の浅い俊は、何を基準にして選んでいいのか分からなくなっていた。
「ふふ、迷っているようじゃの。」
戸惑っている俊を見かねた目の前の日本酒が話しかけてきた。
「どんなお酒が好みなのかしら?」
「わたしを選んで~!」
「いやいや、ここは俺だろ!!」
「僕の名前シンプルだよ~!!」
次々と日本酒たちが話し出して大騒ぎ。
「あぁ~待って待って!!みんな落ち着いて!それじゃ選べないよ!」
俊は騒ぐ日本酒たちを制止した。
『ていうか、日本酒飲まなくても声聞けるのかよ(笑)』
そう。いつの間にか俊は、日本酒を飲まなくても、その声を聞けるようになっていた。
不思議なことではあるが、今の俊にとって、それは少し嬉しい変化でもあった。
「みんな、ありがとう。ちょっと冷静になってもう一度選んでみるね!」
俊は、改めて選び始めた。
すると…
『あれ?このラベル可愛いな。』
『特別純米…?』
渋さやお洒落なラベルが多い日本酒の中で、可愛いラベルに目を引かれた俊はそのお酒を手に取る。
入店してから今まで、店内は張り詰めた静けさが漂っていたが、店主がその静寂を破る。
「そちら気になりますか?」
「あ、は、はい!ラベルが可愛いなと思って。」
女優のような整った顔立ちの店主に俊は緊張しつつ、話を進める。
「あの、純米とか純米吟醸とかの違いがよく分からないんですけど…」
「あぁ~そうですよねぇ、それよく聞かれます(笑)」
「そうなんですね!?素人な質問ですみません(笑)」
「いえいえ、そんなそんな!日本酒ってこういうところ難しいですもんね~」
店内の雰囲気が少しだけ和やかになってきた。
そして、店主が続ける。
「今、手にしているお酒の原材料名、見てみてください。」
「米、米こうじって書いてありますよね?」
「あ、はい…」
「米と米こうじ、水だけで造られているから純米酒なんです。」
「おぉ~なるほど!!確かに純米ですね!」
「そう、分かると納得ですよね!」
「で、こちらの純米吟醸なんですが…」
店主は、目の前の冷蔵庫から純米吟醸のお酒を取り出し、説明しようとしてくれていた。
「お!ワシが説明用に選ばれたか!しっかり聞いておくんじゃぞ!!」
俊は、日本酒の声に耳を傾けつつ、店主の説明に集中した。
「純米吟醸は、お米をしっかり磨いて、低温でじっくり発酵させて造られたお酒なんですよ。」
「へぇ~! 造り方が違うんですね!」
「そうなんです。華やかな香りが楽しめるお酒も多いんですよ♪」
「なるほどなぁ~。僕、日本酒が初めて美味しいと感じたのが純米吟醸なんですよ!」
「そうなんですね! じゃあ、純米吟醸はお客さんにとって思い出のお酒なんですね!」
「はい!…色んな意味で。」
「え?色んな意味…?」
「あ、いや、何でもないです!(笑)」
「でも、お米を削る割合とかも関係してるんですねぇ。」
「はい。ラベルに精米歩合って書いてありますよね?」
「こういうところも見てみると、日本酒選びが楽しくなりますよ♪」
「へぇ~確かにそういうの知るとちょっと面白くなるかもしれないですね!」
「色々と説明していただき、ありがとうございました!」
夢中で話を聞いていたら、入店してから既に1時間が経とうとしていた。
そして、俊は改めて手にしている特別純米酒を見つめる。
「おっと、お兄さん、僕を選んでくれるのかい?…ヒック!」
「え?あ、うん!ラベルも気になったし、純米酒も飲んでみたいからね。」
「ヒック!…おぉ~そいつは嬉しいね~…ヒック!」
『ん?この酒、さっきからなんか″ヒック!″って言ってるけど、酔ってんのか…?』
日本酒の声にどこか違和感を感じるものの、俊の決意は揺るがなかった。
「じゃあ、僕これ買います!」
そう言って、俊は手元の日本酒を店主へ渡した。
「ありがとうございます! お会計はこちらですねぇ。」
自分で選んだ初めての日本酒。
俊の心は充実感に満たされていた。
「わたしは、ラベルや直感で日本酒を選ぶのも良いと思います。」
「是非、日本酒ライフを楽しんでくださいね♪」
店主のその言葉に、俊は救われた。
初めての酒屋で恥ずかしい思いをするどころか、日本酒の楽しさを教えてもらえたのだから。
「ありがとうございます!また寄らせてもらいますね!」
店主にお礼を伝え、店を後にする。
手提げ袋の中で、瓶が小さく揺れた。
『なんか、いいな。こうやって自分で日本酒を選ぶのって』
帰り道、俊の足取りは、店に向かうときよりも軽くなっていた。
今夜は、この一本とゆっくり向き合ってみよう。
そんなことを考えながら、俊は家路についた。




