雨宿り③
彼女は、必ず遅れてやってくる。
僕は決まった時間に、甘いものを買ってはこの場所で、池を眺めている。
植物が温かい風で揺らめく日も。太陽に向かいじっと佇む日も。
昨日は無かった花に気付いたり。雲の形を心の中で例えてみたり。
そんな時間を過ごしていると、決まって彼女がやってくる。
「元気?」と、肩を叩いて。「浮かない顔してどうしたの?」と会話が始まる。
けれど、ここ数週間、もう彼女はこの公園には現れない。
いや、もしかしたらこの公園は彼女の通勤道中で、毎朝通って現れているかも知れないし、僕がいない時に一人でここに過ごしているのかも知れない。
思いつく彼女の動向を想像しても、僕はそのどれもが本当かどうか、知らない。
彼女は、あの日からぱったりと、この場所に来なくなったから。
あの日は出会った日と真逆の天気で、雲一つ見当たらない、地球が丸いことが分かるほどに青空が広がる、いわゆる快晴の日だった。
僕はその日、いつもの時間に、いつもの場所。いつもの公園のいつもの東屋に行けなかった。行けなかったと言いつつも、ちょうど彼女が着く頃に僕も同時に着いた。
「え、どうしたの。遅刻なんて珍しい」
「遅刻ってなんだよ。時間の指定なんてないし、第一いつも遅刻している自覚あるならもう少し早くくるとか」
「わかったわかった。ごめんごめん」と雑破に僕の言い分は遮られ、彼女と同時にベンチに座った。
「で、何かしてたの?」
「今日は通院の日」端的に伝えると
「そうだった」と自分の予定かのように思い出した表情をする。
「・・・どうだった?」
いつもはなんでもずかずかと人の敷居に入ってくる彼女も、こう言う時はしっかり気を使える人だと言うこと。だから、僕は気を使わずにありのままを話すことができる。
「いつも通りだった。問題はないよ」
「そっか」
彼女は安堵の表情を浮かべる。そんな彼女には申し訳ないと思いつつ、話を続ける。
「ただ、少し予兆が見えてきたって」
「予兆?なんの?」
「思い出す。予兆」
「え?」
話を続けようとしたが、彼女の驚いた顔に僕も思わず驚いてしまい、話が途切れる。
「そっか・・それはいいことなのかな」
取り乱したリアクションを隠すかのように姿勢を整え、質問を投げかける彼女。
「まぁ、どっちもどっちかな。僕自身そんな心配はしていないんだけど」
「そっか」
リアクションがさまざまに、声のトーンも違うから、彼女から発せられる言葉が一緒なことに三回目で気づく。
「だからそんな心配しなくていいんだよ」
「そう言われてもね」
「ほとんど今と変わらないんだから。ここ最近なぜか動きがあったけど、それも微々たるものだし」
「・・・」
とうとう彼女は黙ってしまった。だから僕は、僕のターンを続ける。
「君は自分のことのように心配してくれるから嬉しいけど、僕はそれがとても心配だよ」
「はは・・何それ」
少し綻んだ彼女の表情で、今までその豊かな表情が強張っていたのだと、今気付いた。
「じゃあ、お互いが心配だからチャラだね」
「何それ」
と、次は僕の表情が綻ぶ。
「だから、今日の遅刻はチャラにしてあげる」
「え、じゃあ今までの遅刻は?」
「だから、それもチャラね」
「それは都合良すぎでしょ」
そうやって徐々にいつも通りの会話に戻った気がする。
確か、あと数日もすればこの公園で桜祭りが始まる。とか。駅前にシュークリーム専門店とコーヒー専門店ができた。とか。理解し難いタコのキャラクターが可愛いと熱弁されたり。とか。
そんな、いつものように。何も生まれない。意味すら通る隙間のない密度の高い時間を過ごしていた。
そうしていつものように。
「またね」と言う僕に
「バイバイ」と返す彼女
いつものように、また明日会える。と思いながら。背を向ける。
いつものように。
いつまでも続くこの時間。
その時間は、二度と来ることはなかった。
あれから数週間。彼女の姿はもうここにはない。
僕はいつものようにこの場所にいる。同じ場所に。同じ時間に。
彼女と出会う前から休憩時間はこの場所で過ごしていたから、生活の行動は何も影響はないのだけれど。
さっきまで快晴だった空から雨が降ったかのように、全く別の生活が始まったかのように、ここ最近の日々は生きた心地がしなかった。味のなくなったガムを惰性で噛み続けているような。彼女がいなくなった日からここに通い続けている。
ふと、彼女の言葉を思い出す。
「なんだか遠くの存在になってしまうような感覚」
ぼーっとしていたら、いつの間にか休憩時間はあと三十分で、買って来ていたシュークリームを慌てて口に運んだ。
彼女にとって僕は、近い存在になれていたのだろうか。
一時でも、彼女にとって必要な存在になれていたのなら、これ以上に嬉しいことはないな。
鼻の奥がむず痒くて無意識に啜った時、いつか感じた春の香りが風に乗ってきて、今、確かにはっきりした。
僕にとっての大切な時間が。
時間を潰すための相手。
利害が一致するために過ごした関係。
そんな理由とか意味とか、意識できるようなものなんかなじゃなく。
雨が降れば虹がかかるように
夜になれば星が輝くように
季節が巡り新たな季節が降ってくるように
僕にとって、無意識に過ごす大切な時間だったということ。
いつからか楽しみで、毎日ここにくるために生きている。大袈裟ではなく、眠ることよりも、この時間が僕の軸だった。
漫画なんか無くてもいいくらい。それくらい大切なものだった。
シュークリームはいつの間にか食べ尽くしていたようで、口に残った甘さで気付いた。一人で過ごす三十分は、ちゃんと世界共通で設定された三十分通りの長さ。一人でぼーっと過ごすにはあまりに長い。
桜。一緒に見たかったな
ふと、素直な言葉が頭によぎった時、きっともう会うことはないだろうと。ベンチについていた手のひらを強く握りしめる。
思い出したこともなかった、彼女と話した今までの内容が頭に浮かんで、溢れてしょうがない。
季節はいつが好き?恐竜って本当にいたのかな?明日の会議資料まだできてないよ。気難しい話じゃなくて昨日の晩御飯の話をしようよ。傘をさしのべる優しさは日本人独特の文化なのかもね。
今にも、雨が降らないかと願う。
そうしたら、彼女がまた来てくれそうだから。
あの日のように雨が彼女を連れて来てくれそうだから。
まだ、知らないことがたくさんあるから。
知りたいことがたくさんあるから。
この大きな屋根のように雨から守ってくれる。傘を差し伸べる優しさ。その美しさそのものを体現しているかのような彼女のことを反芻する。
いつもならシュークリームしか入っていないコンビニ袋の中を探り、缶コーヒーを二本取り出す。渡せるはずもない一本を前のベンチに置く。プシュッ。と缶を開け、彼女に近付こうと背伸びをしたブラックコーヒーを一口啜る。
苦い。苦いよ春さん。
甘さが広がった口の中を一気に深い苦さが広がり、顔が歪ませる。こんな顔を見たら笑わられるんだろうな。とあの無邪気な笑顔を想像し、硬い缶を握り締め、もう一口。
会いたいよ。春さん。




