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雨宿り  作者: 北原たつき


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4/4

雨宿り④

 春は必ず降ってくるから


 いつか励まされた言葉を、私は自分の言葉のように人に伝えたことがある。それはきっと彼に。自分の名前が付く言葉に小っ恥ずかしさを感じたけれど、春って名前も。春って季節も。どっちも好きだから、私は自信を持って彼に投げかけた気がする。

 意識のない、ベッドの上で眠る彼に。


 彼。秋くんは私の恋人。だった。

 大学生に入学してすぐ出会って。名前が似ているね。なんて話をして、意気投合して、恋人同士になった。趣味はすごく合って。特にコーヒーが大の好物だった。甘いものが苦手な彼。周りが飲み会でお酒を飲み歩く中、私たちは、美味しいコーヒーを探しにお金を使っていた。

 喧嘩はあまりしないけれど、お互いに非があって絶対に折れないと必ずじゃんけんをして決着を決めていた。

 私はずっと秋くんと一緒にいるんだろう。

 そんなことをわざわざ考えてもいなかった気がする。当たり前のことで。当たり前のことすぎて、意識もしていなかった気がする。

 何者でもないお互いを、見つめ合いながら過ごした大学生活。

 進路について考えている頃、当然秋くんとも話し合っていた時、彼には大きな夢があることを知った。高校生の頃から漫画を描いていたこと。大学在学中にも賞を取ったり、掲載されたり。詳しいことはわからないけれど、『漫画家』という結果を残していた。

 彼は確かに夢を掴んで、さらに追いかけていた。私は純粋に応援をしていて、自分も自分のやりたいことを見つけてお互いに支え合おうと決めていた。徐々に大学生活の残り時間も迫る中、彼は東京に行くこと。私は、地元の会社でやりたいことが見つかり、離れ離れになることが分かり始めてくる。

 そんな時、彼は「春と一緒にいる方が優先だから」と漫画家の夢を簡単に手放そうとしていることに気がついた。

 私のために。私といようとするためだけに。私と出会う前からの夢を手放してほしくなかった。

 いろんな可能性があったし、いろんなやり方があったんだと今になっては思う。でもあの頃はやっぱり若くて盲目で、あまりに長すぎる将来の時間に焦っていたんだと思う。そんな話を度々しては、たまに喧嘩になったりもした。

 そうあの時もいつものように喧嘩をしたけれど、あの時は喧嘩が長引いて、初めて三日間顔も合わせず、LINEのやり取りもしなかった。そんな四日目に、『最後、もう一度話し合おう』とメッセージが届いた。

『最後』という言葉が一瞬背筋をヒヤリとさせたけど、すぐに、話し合いの折りをつけることだとわかった。会わない時間、私と同じように彼もずっと考えていたんだと思う。その結果を伝え合おうという意味だったんだと思う。集合場所と時間を彼は送ってきて、私もそれを同意した。

 けど、私はその時間になっても行かなかった。

 雨がすごく降っていて、窓に当たる雨音で、外を見なくても大雨なんだろうと予想がつくほどに荒れた天気だった。

 なんでこんな日に。とも思いながら、彼に伝える勇気がなくて足が動かない理由を雨のせいにした。

 私は分かっていた。

 私が着いて来てって言えば、彼は簡単に夢を諦めることを

 そんな思いを、一人ではどうにもできない思いをぐるぐると回していた時、雨の中、待ち合わせ場所の喫茶店には入らず、店の前で待つ彼の姿が思い浮かび、重い腰がすぐ軽くなった。

 とにかく会わなくちゃ。

 そう思い立っては、すぐ着替えて出かける準備をした。『ごめん少し遅れるからお店に入っていて』とだけメッセージを送り、雨具の準備をする。

 リビングでスマホが鳴った。持ち忘れていたことに気づく。危ない危ないと思い画面を見ると秋くんからの電話で、すぐに出た。 

「もしもし」と私が言う前に聞こえて来たのは、秋くんの声ではなく、女性の声だった。

「春さんでしょうか?」

「はい・・」と整理がつかないままに返事をすると慌てた声と震えた声で相手が話し始める。

「秋の母です。今、山手病院に向かっています。秋が事故に遭いました。家族も皆今から向かうところです」

 声が震えながらも秋くんに似た冷静さで淡々と状況がスマホから聞こえてきた。

 もうその先からはあまり覚えていない。

 傘をさして行ったのか、ささないで行ったのか。理性はなく本能で動いていた。

 気が付けば救急外来の椅子に座り、彼の容態を待っていた。

 鼓動と同じ速さで雫が滴る。

 瞬きの仕方も呼吸の仕方も、意識すると何もできなくなる。ただ、いろんな思いがいっぱいで、不安とか後悔とかたくさん頭をよぎるけどすぐに思考が停止する。

 『私のせいだ』

 ただこれだけが頭に残る。


 命に別状はない。

 医師からの説明を秋くんの家族と一緒にきいた。意識がまだ戻らない中でも最悪の事態だけは避けられたが、もちろん、私は安心などできなかった。

 私は意識が戻るまでずっと病院にいるつもりでいたけど、病院には一人しか付き添いができなかったので、大人しくご家族に譲り自宅に帰ることにした。気を抜けば荒くなる呼吸を整えながら、おぼつかない足取りで家に帰った。

 それから眠ったのか、ご飯を食べたのか。大好きなはずのコーヒーを飲む選択肢もなく。記憶もないからどれだけ時間が経ったのかも分からない。何に向かって時間を費やしているかも忘れるほどに。

 ただひたすらに、ベッドに寝ている彼に向かい言葉を投げかけていた。

 きっと幾日か過ぎたころ、秋くんの家族から連絡が来た。お母さんからだった。

「もしもし」

 あの日聞いた声よりも、落ち着いていたけれど、当然元気はなかった。

 返事をしようとしたけれど、声が上手く出ず二回咳払いをして、応える。

「もしもし」

「あ、春さん?秋。意識戻ったわ」

 良かった。と安堵する気持ちがそのまま声に出る。でも、スマホの向こうのお母さんは依然として元気ではない。

「良かった。本当に良かった。けど」

 けど?その言葉を聞き、やっとほっとした胸がきゅっと握りしめられるように苦しくなる。

「けど?」

「・・・記憶が・・・欠けているみたいで」

 ゆっくりと。はっきりと。涙をこらえながら伝えてくれる。

 『記憶が欠けている』そう、はっきりと聞こえた。けれど、意味を理解するまでに時間がかかった。

 記憶がない。

 なにを聞けばいいか分からなかった。なんて言えばいいか分からなかった。いろんな思いが苦しい胸の中でぐるぐるを渦巻くのが分かる。

 何の反応もない私の気持ちを察してくれたのか、続けて説明を続けるお母さん。

「記憶って言っても全てじゃないの。私もついさっき先生の話を聞いて、秋とも話してきた」

 あの時の様にお母さんは、震えながらも端的に言葉を紡いでくれる。

「自分の名前は言える。でも、住所はおぼつかなかったの。私たち両親の事は覚えていたけれど、弟のことは分からなかった」

 淡々と説明が進むけれど、聞いてもいたけれど理解が追いつかなかった。そして、私の理解度を追い越して、お母さんは告げる。

「それで・・・春さんのことも分からなかった」

 きっと言いづらい事だっただろうに。申し訳ない。とそう先にそう思った。直接会った時ショックを受けないように、先に知らせてくれた優しさも理解できた。彼が。秋くんが変わってしまった。と、息子の症状を『ただの恋人』を信用して、共有してくれることをありがたい。と素直に思った。

 けど、一つ一ついろいろな思いを確かめる度に、体の力が抜けていくのが分かり、私はその場に座り込んでいた。もう、スマホを耳に当てる力も残らないほどに。白い天井のシミだけが視界に映る。

 私のせいだ。

 私があの日すぐ向かわなかったから。

 私がすぐお店の中にいてって言わなかったから。

 私が彼の夢を邪魔したから。

 私が秋くんと出会ってしまったから。

 そうして、私は彼に会うことをやめた。

 会わない方が良いと。彼の邪魔をもうしたく無かったから。

 ぽっかり空いた穴を見て見ぬふりを続けては、ただ時間が過ぎるのを待った。私は大学を卒業した後、当然みたいに社会人になった。

 新しい春を三回一人で過ごした。毎日を淡々と過ごしては、満員電車に揺られ社会にもまれ。自分なりに歩けるように力を取り戻せて順調だった。

 もう一度、彼に会うまでは。


 コンビニから出てくる彼を見てすぐ気付いた。

 最初は目を疑った。私の地元にいるはずがない。だって彼は東京で夢を追っているはずだから。そのために私は・・・

 そう言い訳を並べても、気に入ってよく着ていたパーカー。せっかくの背丈がもったいないあの猫背。一人だとすごく早い歩き方。

 間違えない。秋くんだ。

 私は昼休みのため持っていた財布をぎゅっと握りしめ、その場に立ち尽くす。

 彼の横顔を観てとても安心する。

 今にでも走っていきたい。その広い背中に、飛びつきたい思いでいっぱいだった。けど、そんなこと、私が許さなかった。何のために、あの時心に誓ったのか。彼の邪魔をしないように、周りの友人とも距離を置いて一人でいるのか。

 もう一度思い返せと私が私に言い聞かせる。けど、その本能から、足取りは彼を目掛けて止まらない。

 その日から、次の日もその次の日も彼は、同じコンビニに現れては、ビニール袋を持っていつも同じ方向へと向かっていく。どこに行くのか気になり付いて行くと、彼は公園で一人屋根の下で休憩をしていた。

 その日、その姿を見てはゆっくりと会社へと戻った。一人でいる秋くんの姿が忘れられなかった。ずっと横で見ていた秋くんがなんだか、とても寂しそうに見えてしまった。

 私は計画してみる。

 わざとらしくハンカチを落としてって、秋くんの優しさに付け込んで拾ってもらおうってそんな出来た話で目を合わせようって。それだけ、目を合わせるだけ。そう、考えていたけど、次の日は雨が降っていて諦めようと思った。

 けど、あの姿が、一人でいる彼の姿が頭に過り、私は傘も持たず思わずその場所に駆け出していた。

 そして、そしてもう一度、私は間違いを犯してしまう。

 もう一度、話しかけてしまう。秋くんの名前を呼ぼうと。視界に映ろうと。

 秋くんは知らなかったでしょ、肩に触れてまるで初めまして見たいな顔をしてみて。そんな臭い演技の裏ですごく震えていたこと。社会人になりきるための大人っぽい服装も髪型もあの頃とは違うけれど、もしかしたら写真とかで私を知っていたかもって後から後悔したこと。

 そして、私を知らないことに直面して涙が出そうだったこと。

 でも、その何よりも、もう一度あなたと話すことが出来て、名前を呼ぶことが出来て、名前を呼んでくれたことが何より幸せだったこと。

 本当に幸せだった。まさか、あんなに甘いものが苦手だった君がシュークリームを好むようになっていたなんて。知らない秋くんをもう一度知っていけることが幸せだった。

 漫画を続けていたことが幸せだった。

 でもやっぱり、この関係は長くは続かない。秋くんは、今の秋くんのままで良いと思うから。私と居続けることでもしかしたら、今の秋くんが居なくなってしまうかもしれないから。それは、秋くんがとても苦しそうだから。


 さようなら、秋くん。

 少しの間だったけれど、やりがいを付き突けられることも引きつった口角で一日過ごす生活の中で、一日九十分の安らぎを秋くんがくれた。

 でも本当はもっと質問したかった。

 友達はできた?

 仕事で嫌な人はいない?

 ちゃんと食べてる?

 ちゃんと掃除はしてる?

 外に出る秋くんはとてもしっかりしているけれど、家での秋くんはすこしだらしないから。

 でももしかしたら、甘いものが好きになったように、コーヒーが苦手になったように、私の知らない秋くんがたくさんあるんだよね。

 そう思う度に、私の胸はぎゅっと締め付けられる。

 でも、それでいい。

 秋くんは、秋くんだから。

 ありがとう秋くん。大切な時間をくれて。


 私はお昼休みに、会社の裏にある、人目のつかない屋根の下でしゃがんでは、あのコンビニで買ったシュークリームを口にする。

 甘い・・・甘すぎるよこれ・・・

 飲み込むのも一苦労に喉が閉まる中、心でそう秋くんに問いかける。

 暖かい風が一日らの花びらを乗せ、春を告げる。


 あぁ、桜。秋くんも見ているかな。


 終


 いつ止むかもわからない雨をじっと空を見つめその動向を見守る。雨宿りってとても不思議な行為に思えるけれど、『やまない雨はない』ってよく腐される定説をしっかりと信じてやまない行動にも思えるような気がして。

 そんなことも含め、雨宿りでしか生まれない空気や会話もとても素敵な気がするのです。大きな怪物とバスを待つあの空間とか。

 雨はいろんな被害ももたらすけれど、同時にいろんなものを流してくれたりもしますからね。『悪い』天気と表現するのは幼少期から疑問に思っていたことの一つです。


 『春』と『秋』

 季節としては、どちらも暖かく涼しく、正反対のようでとても似ている季節なのは言わずもがな。決して隣り合わない季節になんだか儚さも感じる関係な気がします。

 登場する二人に名前をつけようとも思ってなかったのですが、書いている途中でこの名前を思いつきました。


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