夜のお楽しみ2
私が初めて体から意識を飛ばして移動したのは、幼稚園児のころ。
あの頃は、父親が警視庁勤務だったこともあり、都心部のマンション住まいだった。
警視庁では緊急時の招集に呼応するために、近場に待機官舎がある。
独身者には単身用があり、結婚しても家族向けのタイプがあった。
都心部にあって家賃は格安、近所には安価な定食屋も多く助かっていたと。仕事に不慣れな新人時代は、すごく便利だし隣に上司や同僚がいるのが心強かったとも言っていた。
しかしやがて気づく。独身寮にいると、自分の時間がもてないことに。先輩からの呼び出し、同期のあれやこれや。緊急時の招集は仕方ないともいえるが、家族持ちに比べると容赦なく呼び立てられたそうだ。
楽しいこともあった独身寮だが、結婚後は職場の関係者とご近所付き合いは遠慮したいという父親の希望もあった。母親の所有していたマンションで暮らし始めたのは、自然な成り行きである。
やがて母親の妊娠がわかってからは、引っ越すかどうかを検討したらしいのだが。投資目的で購入していた物件だったが、部屋数多めで環境も良好ということでそのまま住むことになったのだ。
そして幼稚園にあがった頃に事件発生。つまり私の、幽体離脱初体験である。
両親も祖母も能力がが強めであることはわかっていたらしい。小学生になってから教えるはずだったといわれたけど。幼児だったのに、教えられていないのに、なんかできちゃったんだよね。
あの時は、おばあちゃんに会いたいって強く願ったのがきっかけだった。
次の日は、遠くに住んでいたおばあちゃんが実体でやってきた。そして叱られた。滅茶苦茶説教を受けた。
話を聞いた両親は驚愕し、やっぱり説教された。結果三人がかりで説教をされた私はいくつか約束させられた。
能力を封印することは可能。しかしそれをして意識下で暴走することもありえる、ということで妥協案を出された。
「力を使うなとはいわん、でも制限をかける。おまえがきちんと制御できるようになるまで、本来の力の十分の一、いや二十分の一しか使えないように封印しておく」
おばあちゃんの指が、私の額に触れるか触れないかという位置でそれはおこった。自分の中の何かが閉じ込められるような……そして一気に目の前が暗くなった。意識を失うような勢いで睡魔におそわれたのである。
目を覚ますと、一枚の紙をわたされた。紙いっぱいに書かれた注意書き。簡単な漢字少々と平仮名で。
幼児でも読めるお手紙ありがとう。
「人のおうちにとんではいけない」という注意もあった。
幼稚園の頃にはわからなかったが、個人のプライバシーを守るためというよりも、やっかいごとに関わるんじゃないということだった。
人の家は覗いちゃダメ!なんだそうで。安易に人様の秘密は知るべきではないとのこと。まあね。
今ならば理解もできるのだが、当時はまだ……。
ま、とにかく個人の秘密なんて知りたくなんかはないのでいつもだったら近寄らないのだが。
眼前に広がる暗闇は、やたら広い敷地面積を持っているお屋敷だった。
市の中心部を外れた高級住宅街の中にあって、この敷地面積を有しているって……
どんだけ金持ちなのっ……。
ちょっとだけうらやま……しくなんかない。だって富裕層によくありそう。
古い映画で見た、大金持ちの遺産相続に関する骨肉の争いのシーンを思い出した。
毒殺怖い。刺殺はさらに怖い。想像するだけで、背筋が寒い、凍りそうだよ。
恐ろしい、金の集まるところには人の怨念やら執念やらが集まってそうで恐い。
いつもだったら絶対に近寄りたくない、のに何でか心惹かれちゃうのはナンデダロウ?
おばあちゃんと約束した個人の住居にあてはまるのだろうか。このやたらに広い屋敷は?
博物館とか史料館だったらよほど納得できる広さと荘厳さだけどね。
屋根があったから家屋だと思って近づいたら門だった。
門のためにある屋根?
こういうのって、何ていうんだっけ。
お父さんに付き合って見た時代劇の建物に似ている気もするけれど。
少し形が違うかな。
他に日本家屋というと、サザ○さんの家が頭に浮かぶが、ここはそんなものではなかった。フ○田家が複数入りそうなお屋敷だけでも驚きなのに、趣を変えた庭園があちらこちらに存在している。
母屋には日本庭園、枯山水の庭付近にあるのは茶室ってやつでは?
視点を変えてみれば、英国式ガーデンと中央にお城があったよ。
いや近寄ってみれば、城というにはこじんまりとしすぎている。外側から見た感じでは、部屋数も多くはなさそう。でも円柱の塔が、城っぽい。
小さなお城は、おそらくだけど人が住んでいない気がする。
広い敷地内に点在する趣向をかえた庭と、小さいお城みたいな建物それに日本家屋。どれをとってもお金がかかってそう。建築費用もそうだけど、維持費がすごいんじゃないかな?余計なお世話だろうけど。
これが赤松家なのか。マツカイ先輩が言っていたとおり、すんごいお金持ちなんだね。そして歴史的背景とかがありそう。
大きな公園みたいな敷地をフラフラしてみた。
広い敷地内は、ほとんど真っ暗。でも雲の合間からのぞく月明かりを頼りに少しの間、探索を楽しむ。
深閑とした敷地内には、動くものもほとんどなく少し不気味。
城を模した建物は、誰も住んでいなさそうだったので、母屋の方へと移動した。おばあちゃんとの約束もあるので、屋内には入らずにおいた。
屋根の上を飛んでみたり、窓の外から覗くくらいならギリセーフだよねと、誰に向かってかは謎の言い訳を心の中でつぶやく。
人の気配があるのは、門を入った玄関付近と幾つかの部屋のみ。
おそらくは、警備室かなんかだと思う。
ちらりと窓から覗いてみると、黒っぽいスーツを着た屈強そうな男性が数名いたもの。
屋敷内の様子を、ディスプレイで確認しているところから見た。
各所に防犯カメラの設置ありとみた。
私は、幽体なのでスルーですがね。
せっかくなので、屋根付きの門をくぐって入ってみる。
門構えからして想定できた通り、内部も和風。ますます時代劇っぽい。
目立たないようにはしてあるけども、要所要所に防犯カメラ。
一般人の住宅ならば、せいぜい玄関にあるくらいなのに。
もしかしたら、普通の豪邸とかではなく、何かの施設ではなかろうか?
屋敷の主は警戒心がとても強いか、それとも警戒すべき相手がいるのだろうか?豪邸はすごいと思うけど、恨み妬みを受けているのかもしれない。
お金持ちっていいことばかりじゃなさそう。
そんな気持ちを、少しだけ持ちながら進み続ける。
敷地内の中央部に行けば行くほど暗さが増してきそう。
広い道の両側には、手入れの良さそうな樹木が植えられている。
今の季節には花は咲かない種類なのか、良くしげっている葉っぱしか見えない。
暗い敷地内なのに、樹木の葉が識別できるのは道に沿って設置されている洒落たデザインの照明があるからだ。
観光地なんかにありそうな、モダンなデザイン街灯ってやつ。
こんな深夜だというのに、誰のために灯されているのか。
お金に余裕があるということか?
そんな立派な門や玄関を遥かな上空から、乗り越えていく。
さっきまで雲がかかっていた月が、今は少しだけ明るい。どうやら雲がどこかへいったらしく、月がひときわ美しく大きく見える。
広い屋敷内も俯瞰で見れば、箱庭っぽい。むしろ身近にはない建築物にミニチュアの要素を感じた。本当の金持ちは平屋建てが多い。と言っていたのは、誰だったかな。
ドールハウスの和風版だと、密かに楽しみつつ先へと進む。
デア○スティーニ?でこんなのなかったっけ。
思っていた通り、中央部分に行くにつれ暗くなってきたが、幸いにも月がすっかり顔を出してくれた。
昼間とは違う、月の明るさを頼りに進む。
ああ、それにしても……。 一体このワクワク感は何だろう?
いつもだったら人の家を覗くような真似は断じてしない。
興味もないし、ね。本当になんでだろう?
今はどうしたことか、ただの一瞬もためらう気がしない。
それどころか、一刻も早く着きたい。目的地に。
目的?何を目指しているのか。どうにも自分をコントロールできなかった。
この先にあるものに、期待をふくらませているのだ、本能が?
なにがあるの、この先に?
何だか、ものすごい惹きつけられる匂いが。
甘くて切ない感じの……。
思考能力をうばい、感覚だけがとぎすまされていく。
フワフワして、ドキドキがとまらない。
まるで、プレゼントのリボンを解く前のような高揚感。
それとも遠足に行く直前のような興奮が?
屋敷の一番中枢部分にそれはあるようで。
おかしいな、これまでの浮遊散歩の時には感じたことはなかったのだけど。
なんのにおい?困惑しながらも、甘い匂いのもとを求めるのはどうしてか。
私はひたすら進む。甘い匂いに誘われてしまったのである。
暗い屋敷のどこからか漂ってくる甘い匂い。
すごくいいにおい……。
お菓子?ううん果物?いいえ花とも違うその香しさ。
どうにも我慢できなかった。壁の向こうにある部屋に匂いのもとはある。だったら確かめたいその正体を。おばあちゃんとの約束を破ることになる。
我慢できなかった。目を閉じて飛び込んでみようかな。
屋根を突き抜けて、室内に入り込んだのを感じる。
今だに目を閉じた私は、匂いの下へと直行した。
とびこんじゃえと勢いにまかせてホントに飛び込んだ。
室内の高い位置から下を覗き込む。
ベッドで寝ている人間を確認した。
男の人は、寝苦しそうでうなされている。
うっすらと汗ばんだ額には、前髪が張り付いているし。
蒼ざめてはいるが、肌は毛穴が見えないくらい肌理が整っているし。
苦しそうな表情さえも、色っぽく見える。
年齢は十代後半から二十代前半といったところかな?
うん、この褒めているんだかけなしているんだかわからないかもしれない男性こそが探し求めていた対象だ。
匂いのもとであるのは、間違いがない。
こうして近寄ると、匂いが強くなって……何だかフラッとしそう。
それともクラッとかな?
おかしいな、今までこんな体験したことない。
甘いけど、お菓子とか花とかと違う。
ああ、いい匂い。
そして妙に色っぽい?
まあ、一見普通の男子であるのだが。
いやよく見れば、整っている……かな?
眉間によったシワが、邪魔して壮絶にわかりづらいんだけど。
「……ッツウ」
眠っている男子は、甘い匂いをさせているくせに時々苦しそうに呻いている。
ううん、苦しそうな姿も色っぽく見えるって……どんだけ。
私、変態だったのかな。
苦しむ男子が、好物とかって?
十六歳の乙女なのに~~っ
見られない幽体であることを、いいことにジタバタしていた。
でも冷静に考えると、これってまずい気がする。
恥じらっている場合じゃない。下手すれば逮捕かしら。
いや、幽体なんだから普通見えるはずないんだった。でも少し不安……
もしも誰かに知られたら変質者扱いされちゃう。
隠さなきゃ、誰にも知られないように。
この能力や、趣味のことも。
もう、この趣味の浮遊散歩ももうやめようかな……。
少なくとも学年が変わるまでは、続けなきゃならない委員会もあるし。
副委員長としてのストレスがたまりまくりの学校生活に思いをはせる。
無趣味な私の唯一のストレス発散できることだったのに……ああ、あら?
自分の今後のストレスがたまりそうな人生をはかなんでいたら……。
眠っているフェロモン男子は、いよいよ苦しそうにしていた。
どうやら悪夢にでも悩まされているようで。
つらそう
ただ見ているのも辛い。
幽体離脱するという特技を持っていても、祖母のような人助け的能力はない自分が少々残念である。
多分おばあちゃんなら悪夢も払えるんだろうに。
こうして目の保養をさせてくれた、眠れる男子に何もしてあげることがないことを悔やむ。
だからその時の、自分の行動は本当に無意識だった。
汗のせいで張り付いた髪の毛が、煩わしかろう。そう考えて手を伸ばしたのだ。
実体ではないので、髪の毛に触れようがないのだがこの時は失念していた。
すっかり忘れていた……バカだろう自分。
そして額のあたりに手を寄せて、気分だけ髪の毛を払ってみる。
幽体なので、もちろん触れない。相手に気付かれるはずがない。
なのに目を開けたのだ。
なーぜーー
「誰かいるのか……」




