夜のお楽しみ3
爽やかな目覚めには見えなかった。
ピクリと動いた瞼がいかにも、ダルそうだ。
切れ長な眦に、不機嫌さが漂う。
でもそんな不機嫌な様子さえも色っぽい。
汗ばんだ額にはりついた髪の毛が、うるさかったらしくけだるげに払う。
その仕草にさえ、うっとりしてしまう。
ただ、どういうわけかこのフェロモン男子のあちらこちらに、黒い影が見える。実のところ私の生まれつきの能力はかなり高い。
が、能力の大部分がおばあちゃんに封印されているのだ。
今のところ、使える能力はわずかである。それでもこれが、悪い何かだと確かに感じる。
何かまではわからないけど……。
モヤモヤっと見えるそれは、顔や体にまとわりつくようにしていた。
いや、まとわりつこうとしているけど、ギリギリでとめられている?
どうやら本人の持つ何らかの能力あるいは、護符のおかげだろう。多分後者の気がする。
漂って近づいていくのだが、消失してしまう。おそらくだが、汗ばんだ首筋に見える金の鎖。寝衣にかくれて見えないが、鎖の先についているはず。
身を守る何かが。ペンダントトップかロケットタイプにしているのかな?
そして困惑してしまうのは、私が凝視されている気がすること。
見えているはずはないんだけど、どういうわけか眼差しはこっちに向けられている気がする。
おかしいな、霊感ある人?
視線があっている気がしてきた。
見られるはずがないと、思い込んでいたから油断していた。
どうも色々甘かった。そして甘い匂いの元は、この人。
鼻を通り抜けて、吸い込まれる匂いは、とても魅力的で。
もっともっと吸い込みたいと思うほど。同時にどこかで嗅いだことがあるとも考えた。脳裏に浮かんだのは、豪華な会議室と会長の眉間のしわ。
唐突だが、前にいるフェロモン男の顔を凝視する。相手に見えていようがいまいが、かまわない。
そういえば、ここって赤松家だったよね。
会長?汗ばんでいるからこそ色気を感じる顔だ。眉間のしわを頭の中で足してみる。確かに会長だよ!
委員会で見た時よりも、色気が増しているし匂いも強くなっている……。おまけに認識できないはずなのに、存在を察知されるとは。
世の中には、色々な人がいて当然。
なんせ、私のような幽体離脱でストレス発散をする女子高校生がいるのだから。
それを見抜ける霊感のある人がいたって、不思議じゃないかも。
でもでも私は怪しいものではありません。
ただの幽体離脱が得意なだけの、一般人ですよ。
変質者でもないです。
もちろん心の中だけで、思っていただけで声になんぞ出しません。
もっとも、幽体の声って聞こえないだろうけど。
逃げたい気もするけど、今逃げ出すのはまずい気もする。
そして凝視してくる相手の視線が強すぎて、動ける気がしない。
「誰だ……」
ええっ声かけられた?やっぱり霊感?
寝起きのせいか、声がかすれているのもセクシーとか喜んでいる場合じゃないよね。
叫びたい。いや泣きたい、今ものすごく泣いてしまいたい。
怖いし怖いし怖いし。
そして頭の中が真っ白に。
それでも、わが身が大事な小心者は、そんなデリケートな気持ちをはっしと抑え込む。
目があったそのままの態勢で、意識だけを上に向ける。
護符らしき物体を身につけていても、黒いモヤモヤによる影響力は強いらしい。会長がこめかみのあたりをもみだした。
痛みをこらえるように目をつぶったのを見逃さなかった。
一気に上昇し、天井を突き抜けて逃走。
下から叫ぶ声が、聞こえた気もするけど、今は無視する。
そのまま空高く上がり、自分の体がある我が家へと向かう。
あの広いお屋敷と郊外にある我が家には、結構な距離があったとは思うのだが。
どういうわけか、帰り道に関しては時間を感じずに、帰り着く。
どこをどうして戻ってこれたのか。
焦った気持ちそのままに、体に戻った。
戻れたことに、感謝。
誰に?とりあえず神様かな。
何となく見渡してみた。
部屋の中には、変わったところはみられない。
出かける前に、炊いたお香もいまだ煙がくゆっていた。
時計を見ると、出かけてから一時間といったところ。
自分で作ったお気に入りの香りに、気持ちが安らぐ。
安堵の溜息をつきながらも、逆に不安が増す。
思ったよりも短時間で終了した浮遊散歩だった。
ストレス発散のつもりが、ストレスの原因さえも忘れるような衝撃を受けた。
正直、身内以外では初めてだった。浮遊している状態で見つかったなんて。
どうしよう?
心臓は動悸が激しいし、頭もよく回っていない。
自分の部屋で、見慣れた天井を凝視しながら荒い呼吸を繰り返した。
呼吸が少し落ち着き、考える力が戻ってきたことにより、再び憂鬱になる。
何故甘い匂いになんて誘われてしまったのか。
無事に体に、戻れたのは本当に良かった。
でも、と考えた。週末明けのことを考えて少し憂鬱になる。
目を開けた男の顔、それは同じ学校に通う男子のだった。
眉間にしわをよせながら苦悶の表情を浮かべていたフェロモン男子。
目を閉じている時には、もっと年上の男性かと思っていたのだが。
委員会で見た時には、経営難に陥っている経営者のごとく難しい顔していたのに。眉間にあるしわがチャームポイントだと思っていたぐらいなのだが。
なんかすっごい色っぽい。
まさかの高校生男子だったとは……。
あのフェロモンだだもれ状態で、同じ学生であるとは……侮りがたし。赤松志麻。
私が通っている高校の学生会会長である。
長めの前髪が下りていてわかりづらかったけども。
今日も、いや日付が変わっているので昨日の委員会で散々顔を合わせていたのだけれど。
知らなかった、あんな歌舞伎町のホスト顔負けの色気……漂う男子だったとは。
もしかして、私って女子力低いのだろうか。
まあ歌舞伎町も行ったことないし、ホストも見たことないが。
落ち着こう、自分。
気配は察知できたとしても、顔をはっきりと見たかどうかは……。
顔を覚えられていないことを、祈ろう。
いやおそらくは、委員会の中のその他大勢にすぎないので覚えてはいまい。
幽体の時に、気づかれたのは初めてだったのが、案外ショックだったけど。
ストレス解消の目的で、これまで気楽にやっていた浮遊散歩なのだけど。
今夜のは、怖かった。おばあちゃんが、やめるように言っていたのはだからかなあ?
個人のプライバシー保護の観点からも今回は反省点が多い。
はじめての幽体離脱は幼稚園の時。
あの時は、ホントに軽い気持ちだった。
遠くに住んでいてめったに会えなかったおばあちゃん。大好きなおばあちゃんに会いたかった。それだけで体を飛び出してしまったんだから本人も驚いた。
結果おばあちゃんは、最初は驚いていたが、次の瞬間には幽体の私を引き寄せた。
そして家へと送り返されたのだ。
目を覚ました時には、朝でどういうわけか鬼のような形相の母に起こされた。
朝早くから家にやってきたおばあちゃんと母の二人がかりで、説教される。
幼少期の苦い思い出である。
おばあちゃんは私が生まれた時点で、特殊能力を持っていることは知っていたらしい。
小学生になったら、説明するつもりだったと後で知らされたけど。
とにかく幼児の私が、無茶をしたことで家族に変化をもたらした。それまではめったに会えなかったのに、おばあちゃんとは、頻繁にあえるようになった。
仕事人間だった父が定時で帰ることができる職場に異動、特技を活かして稼ぐ母も仕事を控えめにして家にいる時間を増やす。
大人二人に日常生活をしっかりと見張られ、休みになるとおばあちゃんが混ざり遊びと称される修行が課された。
一人になってじっくりと自分自身の能力を確認しようとか、あれこれやってみたいなんて考える時間もなくなったよ。
おかげで、特に問題を起こすことなく今まで過ごしてこれた。
まあ、時々事故や事件に遭遇したので、能力を使わざるをえなかったことが数回。なるべく目立たないように努力したよ。
特に学校や住んでいるご近所では、転ばぬ先の杖とばかりに用心した。
あれ、この場合転ばぬ先の杖でいいのか?
まあ、とにかく用心し、普段の生活態度は完璧な優等生。いい子ちゃんだったおかげで、友達は皆無だったけどね。
それに心を許せる友達が範囲内に、いなかった気もする。
自分を含めて子供だしね。秘密を守るためには仕方ない。
さらに一カ所にいる期間をできるだけ少なくするという基本方針を、大人三人によってうちだされていたこともあり、とにかく小まめに引っ越しをした。
理由の多くは、父親あるいは母親の仕事上である。
誰も気にとめていなかったけどね。短いところだと三ヶ月長くても一年といったところ。あ、もしかして友達ができなかったのって、優等生だからというよりも、短期すぎたから?
だったら、今度の学校ではできるかもしれない。すでにマツカイ先輩という心強い知り合いもできたし。
マツカイ先輩は、私のこと友達だと思ってくれる日はくるかな?
さすがに今日あって、すでに友達だと認識されているとは思えないけどね。
でも希望はある。
それに幼少期と違ってもう私は高校生。常識も保身能力もそれなりにあるつもり。うん、大丈夫。今なら友達作っても上手くやっていけそう。
赤松市は、元々おばあちゃんの実家があった土地だと聞いている。
市の中心からはかなり外れた場所にあった土地は、広さだけならかなりのものだ。戸建ての家が二軒あっても土地があまっているほど。
短所は市街地からは、遠いので買い物には不便であること。でもそのことは、あらかじめ考慮されている。
学校からも距離はあるけど、歩けないほどじゃないし。というか早歩きすれば、そんなに時間かからないしね。
自然豊かな景色を楽しみながらの、通学は楽しいよ。
家の近所にあるのは、山と森。少し離れたところに、お寺。
正面はぐるりと回らないといけないので、本殿とか境内さえも見たことはない。でも背の高い樹木や花を目にすることはできる。小柴垣ごしだけども。
だから我が家は、ご近所付き合いはない。
ひたすら緑に囲まれた我が家の位置は、風流に表現するなら、里山とでも。
おばあちゃんの実家は、広い敷地内の真ん中くらいにあった。
ザ・昭和といった様相の木造建築の平屋。おばあちゃんが生まれて育った家なので、それなりに思い出と思い入れがあるらしい。
各地を転々としながらも、家の手入れはしっかりとしていたので、今回の引っ越しもすんなりとできたと言っていた。
私も泊まったことがある。和室の部屋が三つ、居間と台所が一体型、トイレはちゃんとした水洗。昔は薪を使っていたらしいお風呂は、灯油ボイラーを使用。かなり楽になったといっていた。
薪を使うお風呂?って想像できないけど。まあ、周りは木ばっかりで、燃料には困らなかったろうけども。
おばあちゃんに、相談したいことができたのだけど、今夜のことを外しては無理だろう。無茶なことはしないと約束したのに、新しい土地に引っ越してきたばかりであんな……。
大きな屋敷の奥、和室を改装しました感のある部屋。
床はフローリングなのに開口部いや出入り口は、襖だった気がする。
「誰だ……」といいつつ志麻様は、ベッドサイドランプを点灯。
室内にいる不審者を確認しようとしたのかもしれない。
おかげで、室内の様子がよくみえた。
志麻様はごくごくシンプルなインテリアが好きだということがわかる。
だからその小さな壺は違和感があった。
丸みを帯びた胴に肩の部分でさらに広がり、細い首までつながるラインはなめらかだ。
全体の形は、ありふれているけども。どうにも巻き付くように飾られているのは、何だろうか?縄か蔦っぽいものかとまじまじと見てしまった。
わかったのは、蛇や虫を象ったのが巻き付く醜悪なデザイン。
私の母親は、美しい骨董品が好きである。
中でもガラス工芸家として有名なエミール・ガレの作品は特に。仕事の合間には、骨董品の店を覗くのが趣味の一つであるので、家にもいくつかガレ作品はある。
ボンボニエールや花瓶は、骨董品好きではない私が見ても美しい。
家のリビングには専用のキャビネットに、恭しく飾られている。
同じ爬虫類や虫類の意匠であるはずの、あの壺からは美しさを感じ取れなかった。それどころかおぞましいとさえ思ったのだ。
冷静に考えてみると黒いモヤモヤは、あの壺から流れてきていた気がする。
このことは、おばあちゃんに相談するしかないと考えていた。
色々と考えすぎて眠れそうもない夜だ。




