夜のお楽しみ1
「これからもよろしくね、伊緒ちゃん」
と言ってくれたマツカイ先輩。学校の中で一人でも友達らしき人ができたのは嬉しい。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。マツカイ先輩」
笑顔で挨拶を交わし、手を振って別れる。
マツカイ先輩は一つ上の学年なので、戻るべき教室が別方向なのだ。
委員会は無事に終了。本日は催事についての簡単な説明ということで短時間ですんだ。
あんなに緊張し、焦燥感にかられたのが嘘のように、今は心も軽い。
金曜日の放課後ということで、すでに教室内に人影はなかった。原西とそのハーレム軍団の姿もなかったことに安堵し自分の席へ急ぐ。
「委員会の知らせが急だったから教科書がしまえなかったんだよね」
校内のどこかでかすかに聞こえる音楽。もしかしたら先ほど説明された同好会の活動をしているのかもしれない。ふとそんなことを考えながら、一年生用の玄関口へと急ぐ。
しかし入学してから二ヶ月弱の間、原西とハーレム軍団のおかげでほとんど一人でこなさなければならなかったクラス委員としての役割。
はっきりと疲労が溜まっている。
蓄積されたストレスが。
原西と軍団のせいで。
今日までは耐え忍んできたが、それももしかして終わりかもと考えるだけでウキウキする。
「バスは、一時間後か。あるこう」
赤松市は古くから開けた土地なので、神社仏閣が多くあり、また道が異様に狭い。路線バスもあるが、バスが通れない道路を迂回するため遠回りになってしまう。だから、あるいたほうが断然早い。
朝と違って足取りも軽いよ。
「でもマツカイ先輩や学生会は、どうやって原西に関しての詳細を、知っていたんだろう?」
学生会とマツカイ先輩は、原西君の状況を私よりも把握していたようだ。
彼はどうやらプロのテニスプレイヤーを目指すらしい。
まあジュニア時代から目立っていたようではあるが。
小規模校ならではの、人ネットワークだろうか。
ご近所の井戸端会議的なアレが、校内で??
通常の授業だと対応が難しいだろと指摘されて、単位制をすすめられていた。
「ということは、クラスメイトではなくなる?」
すなわちクラス委員ではなくなるということだ。
ハーレム軍団はさみしがるだろうが、私は面倒ごとが一つ減ったことを喜ぶ。
あ、でもクラス委員を一人でするの?
でも今まで一人でやってきたからやれそうな気はするけど。
「あ、でも原西はいなくなるけど、軍団は残るのか」
考えると一気に沈み込みそうになる。
ま、考えても仕方ないことは忘れることにして、今夜ははっちゃけよう。
自分自身のストレスに負けてしまわないうちに、発散するしかないよね?
と、いうわけで自分にしかできないオリジナルな方法で発散させることにした。足取りがさらに軽くなる。
市街地を外れた場所に立てられた新築戸建ての我が家。裏には森林、家の周辺には原っぱが広がり自然豊かな環境にある。
以前住んでいたのは、低層マンションだった。コンクリートの打ちっぱなしの外壁や壁は無機質な感じがした。
スタイリッシュな外観なのに木のぬくもりを感じる内装。
治安もよかったので、引っ越しの多い我が家が三年も住んでいた物件。
まあ、新しい我が家も好きだけど。小柴垣が続く狭い道をぬけてさらに進むと山小屋風のログハウスが見えてくる。
平屋なので濃紺の屋根まで視界に入ってきた。車庫はそのうち建てようと後回しにしたので、車は玄関前の空いているスペースにとめてある。
二台あるということは、両親がどちらも帰宅しているということだ。
「ただいま」
扉を開けると同時に広がるスパイシーな匂いに、お腹がかわいい音をたてる。
そんなに空腹だとは感じていなかったのに、この独特の匂いにはあらがえなかった。廊下を進んでキッチンまでいくと、仲良く料理にいそしむ両親がいた。
「あら、おかえり」
「伊緒、今日の夜は父さんの傑作カレーだ。もう少しでできるから待っててくれ」と言われれば待つしかない。
「わかった、着替えてくるね」
とだけ言って自分の部屋へといそぐ。
だって、せっかくの制服にカレーの匂いがつきそうだし。
「伊緒、学校はどうだい?」
夕飯は真家家が全員集合だった。全員と言っても私と父母の三人だけだが。
「まあまあだよ。お父さん」
はっきり言ってぼっち系の私には、友達といえる存在はいなかった。でも、今日は違う。だってマツカイ先輩という輝かしい存在ができたのだ。
「今日は放課後に委員会があったんだけど、隣に座っていた先輩と仲良くなれたし」
胸をはっていうと、安心した様子の父と母。
私が小さな頃は、父親は警視庁の捜査課にいた。事件が起きたら呼び出され真夜中だろうが、早朝だろうが飛び出していったものだ。
そんな父親が職場異動に伴って、定時で帰宅するようになったのはいつからだったかな。母も仕事しているから、家事はみんなで分担。
ちなみに本日の夕飯は、父親の特製ビーフカレー。
「おいしいよ、お父さんの傑作カレー」
「スパイスがきいて美味しいわ。あ、サラダも食べてね」
サラダは母が作った。新鮮な野菜をおいてある無人販売の店が、帰宅途中にあるらしい。うん、シャキシャキレタス美味しい。
デザートは、母が客からの頂き物だといって冷蔵庫から出してきたチョコレートケーキだった。どれもこれも美味しく堪能したよ。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした、美味しいカレーだったわ。ありがとうあなた」
「はい、ごちそうさまでした。伊都の作ってくれたサラダも美味しかったよ。伊緒も今日はお代わりしてくれて嬉しいな」
そうなのである。松北学園に入学してから鬱々とした日々をおくっていた私。
美味しい食事を用意してくれていても食欲がなかった。
もっともお代わりはしなかったが、出された分はきちんと完食していたので普通に健康は維持できている。
でも今日はマツカイ先輩の存在が大きい。それと原西がクラスメイトでなくなれば、軍団もおとなしくなるかも?
委員会終了後から継続しているウキウキ感がとまらないのだ。
「片付けはするから、まかせて」
本日の夕飯作りに関わっていないので、罪悪感がある。
学校のことで、鬱屈していたのも見抜かれていたみたいだし。
せめてこれくらいはね。
「わかったわ、ありがとう伊緒」
「伊緒、ありがとう。お願いするよ」
納得したらしい両親は、二人で居間の方へと移動していった。
後片付けをすませて、居間の方へと向かえば母のみで父はいず。
「紅茶をいれておいたわ、どうぞ」
これは座ってじっくり報告しろよ、ということだろうか。母の笑顔が無茶苦茶コワイ。
「で、何があったのかしら?」
「えーと、さっきも言ったけど委員会があってそこで知り合った先輩が親切な人でね、こんど美味しいもの食べに行こうってことに」
確か、マツカイ先輩とそんな約束をしたような気がする。いやあれ妄想かな。
母のするどい視線にタジタジなんだけど。お母さん、コワイ。
「そう、お友達ができたのね。よかったわ、一幸さんもわたしも心配していたのよ」
うん、母には隠せないよね。でも父親にもぼっちって知られていたのかな?
少し恥ずかしい。ううん、別に恥ずかしくはないか。
それからは、お風呂からでた父親にかわって私が、母親は最後にゆっくりと入るといっていた。
目を閉じて髪の毛を洗いながら考えてみた。会長の甘い匂いのことを。
パフュームの類いじゃあない。ではなにか?自然の体臭?
それも匂いを感じていたのは、私だけではなかったろうか。他の人は原西も含めて。
目を閉じて、ベッドに横たわる。
「3、2」で吸っていた息をそっと吐きながら「1」と唱えた。
浮遊感を感じるとそこはすでに空中。
肉体から離脱したので、幽体となった自分。
確認のために見下ろすと自分の寝顔がある。
何かが特に起きるはずもない。
家全体が、深閑としている。
が、念のためいつものパジャマではなくスエットの上下を着用。
色気のないことおびただしいのだが。
念のため、念のため。
声を出す仕組みには、声帯という臓器は必要不可欠である。
吸い込んだ空気を、振動を起こして音声を発生させる器官が声帯だ。
声帯は、筋肉と粘膜の二重構造になっていて、粘膜が振動を伝え音源となる。
しかし現在は、霊体あるいは幽体であるので、もちろん声は出せない。
振動を伝える粘膜がある生身の体ではないのだから。
でも、黙っていると時々ツライので、たまに心の中でつぶやく。
時間は深夜。
家の中は、静かだ。
さっきまで、深夜ドラマを見ていた母もようやく寝てくれたし。
「おやすみ、伊緒はまだ寝ないの?」
あくびをしながら寝室の方へ消える母に手を振りながら「もう少しで寝るよ」と答えたのは嘘じゃない。だって体は寝ているし。
明日は川釣りにいくという予定の父親は、とっくに寝ていたし。
室内には、幽かに白い煙がたゆとう。
空間に、芳香が広がりつつあった。
本日は、はじめての委員会だった。緊張し焦燥感を感じつつも、無事に終えられて安堵もしている。
勉強好きな真面目な優等生という大きな猫を、毎日背負っているし。
さらに原西とその周辺女子のせいで、私のストレスはすでに許容量を超えていた。今夜はストレスを発散させる。これは絶対。
中国の古い民話に登場する飛頭蛮という妖怪がいる。
夜になると首だけを飛ばすらしいのだが、肉体を何かで遮ると戻れなくなるらしい。
自分の場合は、首を飛ばすわけではないが、どこか親近感を持つ話だ。
本体から出た意識が、戻れなくなっては大変。
だからこれを行うのは、真夜中に家中が寝静まってから。
帰る場所がわかりやすいように、オリジナルのお香も炊いたし。
本体から出て浮遊できる時間は、限られている。
始めて自分の持つ力に気づいたのは、幼稚園の年長さんだった。
大好きな“おばあちゃん”に会いに行ってしまったのだ。
「伊緒っ、自分の体に戻るんだよ」
と言われておばあちゃんに力尽くで戻された。
無意識で、漂っていた私はかなり危険な状態だったらしい。
あの時は、助かりました。おばあちゃん。本当にありがとう。
この不思議な力は、おばあちゃんからの遺伝だとおもう。
あまり実生活には役立たない能力だけど。
少なくともストレス発散はできる。
昼間見る景色とは、全く違う。
森と山それに原っぱに囲まれた我が家の周囲には暗闇が広がるばかり。
それでも今夜は月が明るかった。なんとなくという気分で、帰宅時に通った道を選んでみる。小柴垣の向こうには庭園があった。何の木かはわからなかったが、背の高い樹木の周りに霞がかかっている。
近くによってみると無数の小さな花が球形にて連なっていた。白い小さな花が霞の正体だった。嗅いでみるが、実体がないので感じることはできなかった。
そのまま進むと松北学園の校舎も見えてきて、月曜日からどうなるのか不安と期待が交差する。
静かな住宅街をぬけたら、商店街があり繁華街へと続いた。
市ではあるが、広さのわりには人口が少なめな赤松市である。繁華街といっても、居酒屋とスナックとバーが数軒あるだけだ。
都心部の繁華街と違ってネオンの照明も控えめといっていい。
それでも金曜の夜だからだろう。酔っ払いらしい人影がみえる。
あっちへふらり、こっちによろり。転ぶかなという予想に反して転ばない不思議さ。酔っ払いは関わりのある人間にとっては迷惑ではあるけど、見ているだけの立場なら面白い、楽しい対象である。今も店のドアが開き、二人の男性が出てきた。スーツ姿の男性と、店の従業員らしき黒服である。
「なんだよ、おれはまだ飲むんだあ」
スーツは肩からずり落ちショールもどき、頭にはネクタイが巻かれ、いかにもな酔っ払いスタイル。
本人的には飲み足りないらしく、店に戻ろうとしている。
「いやいや、おおたさん。今夜は飲み過ぎですって。もうホントに困りますよ。店の中にウイスキーまいちゃうなんて……ママが怒ってましたよ」
どうやら酔っ払いは、店で暴れでもしたのか?出禁にされそうな勢いで怒られたようだ。本人は懲りてないが。
腕を振り上げ、奇声をあげて黒服にからむ。大人ってしょーもないと思いながら、さらに漂っていけば市街地の中心についたようだ。
浮かれていた私の前には、暗闇が広がっていた。
「赤松家は赤松市の中心なのよ」
とマツカイ先輩は、言っていたけどね。
あれって、政治的にとか経済を回しているって意味にとっていたんだけど。
どうやら物理的にもあてはまるのかも?
市街地の中心に広がる暗闇。それは赤松家の広い敷地。




