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真鍮の探偵ロイス・アッシュウォーカー/宿命の解体屋と鋼の守護者  作者: 弌黑流人
灰色の美学

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90/110

解体の刹那

 「素晴らしい、実に見事なアンサンブルだ! だが、これで最後だ。この船の心臓部、ボイラーの全エネルギーを、この盤面へと集中させる!」


 ヴィクトルがブリッジから奪ったマスターキーを回した。

 突如、ルーレット盤の回転が、これまでの比ではない速度へと跳ね上がった。盤面から放たれる蒸気の熱気が、ロイスたちの顔を焼き、視界を歪ませる。


 「ジェミニ、これは!」


 「ロイス、危ない! 奴は盤面そのものを超伝導状態にし、玉を音速に近い速度まで加速させている。このままだと、玉がポケットに落ちる衝撃だけで、船底の爆薬が誘爆する!」


 ジェミニがロイスの前に立ちはだかり、自身の補助装具を最大出力で展開して熱気を遮断した。

 盤上を走る玉は、もはや黄金の光の輪となって、誰の目にも捉えられない速さで回転し続けている。その目標は、中心に刻まれた三十六番・ゼロ。


 (ロイス、あいつを見ろ。ヴィクトルだ。あいつはもう、撮影なんてしてやしない。自分のレンズを壊された恨みで、この瞬間の破滅を肉眼で焼き付けようとしてやがる)


 ススの言葉通り、バルコニーのヴィクトルはカメラを投げ捨て、狂ったような笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。


 ロイスは、装具を纏った右腕に、これまでにないほどの熱を感じていた。それは機械の過熱ではなく、彼女の魂が、真鍮の歯車と完全に同調した瞬間に生まれる解体の予感であった。


 「ベル、ジェミニ。私を信じて。スス、あなたの合図で跳ぶわ!」


 「了解いたしました。全出力を、ロイス様の姿勢制御へと転換します」


 「分かった、ロイス。お前の道は、私がこの身を賭して支えてみせる!」


 ジェミニがロイスの腰を支え、自らの装具のブースターを足場にして、彼女を盤面の中央へと押し上げた。

 ベルが周囲の蒸気を一瞬で凍結させ、ロイスを阻む熱の壁を切り裂く。


 (今だ、ロイスッ! あの黄金の光の、中心を貫け!)


 ススの咆哮が、カジノの喧騒を完全に打ち消した。

 ロイスは空中で装具のクランクを限界まで回し、加速し続ける玉のリズムを、自らの鼓動で上書きした。

 彼女の単眼が、音速を超えた黄金の玉の、唯一の停止点……静止した瞬間を捉える。


 「見えた! この不吉な歯車、ここで永久に止めてあげるわ!」


 ロイスの右拳が、回転するルーレットの軸心へと叩き込まれた。

 バキンッ! という、船全体を揺るがすような金属の破砕音が響き渡り、黄金の玉が火花を散らしながら盤面から弾け飛んだ。


 暴走していた蒸気エネルギーが逆流し、ルーレット盤は粉々に粉砕され、ヴィクトルの野望を象徴する真鍮の破片が、カジノの床へと降り注ぐ。


 「ば、馬鹿な…。私の…私の完璧なフィナーレが…没だというのか…!」


 バルコニーで崩れ落ちるヴィクトル。

 ロイスは着地し、肩で息をしながら、壊れたルーレットの残骸を見つめた。


 その隣には、満身創痍ながらも誇らしげな笑みを浮かべるジェミニ、汚れ一つない所作でロイスに歩み寄るベル、そして、満足げに尾を振るススがいた。

 三人と一匹。彼らの掲げる美学が、死の記録者の絶望を完全に解体した瞬間であった。


 カジノには、一瞬の静寂の後、何が起きたかを知らない乗客たちからの、割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 だが、ロイスの視線は、再び闇へと逃れようとするヴィクトルの背中に向けられていた。


 この航海の終着駅、そして真実の没を彼に告げるために、探偵たちの戦いはまだ終わらない。


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