ドクター・エフィメラの影
「ふむ、アッシュウォーカーの兄君。貴方って本当に面白くないのね。でも、そのギアは悪くないわ。……ええ、歯車と人骨の絵ね。確かに最近、アッシュフィールドの下層区画で、気味の悪い噂が煙のように立ち込めているわ」
彼女は周囲の賓客に聞こえないよう、わずかに声を潜め、シャンパングラスで口元を隠した。
「彼らは、ただのホームレスじゃないのよ。残滓に汚染され、見捨てられた哀れな者たちの一部が、奇妙な耐性を持つようになった。彼らは夜な夜な街を徘徊し、ある目的のために不気味な素材を集めている……という話よ。そして騎士団が必死に情報を消しているのは、その失踪者たちが、ある狂った男の被験者ではないかと疑っているからだわ」
「狂気の科学者……!」
ロイスの機械式単眼が、カチリと微細な音を立ててフォーカスを絞った。
「その名は?」
「ドクター・エフィメラよ」
マダム・ヴェイルは、氷のような笑みを浮かべた。
「錬金術と機械医学の禁忌を越え、異端として追放された狂人。彼は黒い残滓を単なる廃棄物ではなく、人類を再構築するための進化の触媒だと信じている。人間に残滓を融合させる黒い皮膚の実験……。騎士団が恐れているのは、ドクター・エフィメラが既に完成形を生み出しているかもしれない、ということよ」
ロイスは、自分の真鍮の鎧に隠された左腕を、無意識のうちに強く撫でていた。ドクター・エフィメラ。残滓を進化の触媒と呼ぶその狂った思想は、十年前の『灰色の朝』に彼女の身に起きた惨劇、あの漆黒の痛みの記憶と、あまりにも不気味に共鳴していた。
ジェミニは妹のわずかな動揺を察知し、即座にマダム・ヴェイルから引き出した情報を解析、統合した。
「記憶盗難の犯人は、エフィメラの実験を受けた被験者である可能性が極めて高い。盗まれた記憶は、この狂気の実験を次の段階へ進めるために利用されるのか……」
ロイスは深呼吸をし、再びあの超ポジティブな表情を作り直して立ち上がった。
「歯車はいたって正常! これで全ての歯車が噛み合ったわ、ジェミニ! 私たちの事件は、小さな記憶盗難なんかじゃない。ドクター・エフィメラと黒い皮膚の実験。この都市の深淵に潜む、巨大なエラー・コードに突入したのよ!」
二人はマダム・ヴェイルの騒がしく退廃的な拠点から、再び永遠の薄暮が支配する冷たい外気の中へと消えていった。




