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真鍮の探偵ロイス・アッシュウォーカー/宿命の解体屋と鋼の守護者  作者: 弌黑流人
灰色の美学

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80/110

歪んだ記録

 (ちっ、また逃げやがったか。だがロイス、あいつはまだこの船を諦めていない。あの去り際の匂い、あれは敗北者のそれじゃない。獲物を罠に追い込むまで、何度でも仕掛けてくる、しつこいクモの匂いだ)


 ススが鼻を鳴らす。乱れた髪をかき上げ、私は荒い呼吸を整えた。ドレスの一部が熱で焦げているが、闘志は一分たりとも衰えてはいない。


「しつこい男は嫌いじゃないわ。でもね、私の解体は、一度捕まえれば関節の細部に至るまでバラバラにしないと終わらないのよ」


 その夜、船内は平穏を取り戻したかのように見えた。老騎士バルトロメウスの暗殺未遂は事故として処理されたが、彼は恐怖に怯え自室に籠ったままだ。しかし、三日目の朝、惨劇は再び幕を開けた。水平線が赤く染まる中、豪華な特別室で新婚旅行中だったエリックとメイの遺体が発見されたのだ。


「今度は二人同時、毒殺ね」


 鼻をつく奇妙な薬品の匂いに顔をしかめる。そばでスキャンを終えたベルが静かに告げた。


「ロイス様、死因は神経性ガスの吸引による心不全です。成分は、帝国の旧軍部で開発されていた暗殺用毒ガス、レッド・デュー。空調システムに微量のガスが混入された形跡があります。極めて限定的な範囲にのみ、死を運ぶ技術です」


「新婚旅行の幸せな朝を、地獄の露で塗り潰すか。趣味が悪いね。ヴィクトルとかいう男の美学は、どうやら落差を楽しむことにあるらしい。最も輝いている瞬間に、最も深い闇へ落とす」


 ベッド脇のグラスには、セーム革の繊維片が残されていた。確信した。彼はただの殺し屋ではない。人生における幸せの絶頂を解体し、その絶望を記録することに執着する狂人だ。


 私はメイの開いた瞳を静かに閉じた。犠牲者は皆、人生の完成や栄光の中にあった人々だ。


「ジェミニ、船内の空調ダクトをすべて物理的に封鎖してちょうだい。ベル、あなたは生存している乗客の中で、次に最も幸せそうな人物のリストアップを急いで。私たちが囮になる暇もなさそうよ。犯人は、私たちの目と鼻の先で、次なる獲物を選定しているわ」


 船内には、アーサー船長の平静を装ったアナウンスが流れている。だが、その裏で私は確かに聞いた。どこかの廊下でシャッターが切られる、あの忌々しい音を。


 (ロイス、後ろだ。あそこの彫像の影! )


 ススの警告に振り向くと、真鍮のレンズが朝日を反射して光り、闇へ消えた。


「待ちなさい、ヴィクトル!」


 私は血の匂いが残る部屋を飛び出した。赤い廊下を駆け抜けながら、私は叫ぶ。


「いい度胸してるじゃない! 今度こそあなたのその歪んだ記録、私が根底から解体してあげるわ。二度と、そのレンズを覗くことができないほどにね!」


 私の声は海鳴りにかき消されたが、確実に暗殺者へ届いたはずだ。遠く三階のテラスで、ヴィクトルは新しいフィルムを装填しながら、静かに微笑んでいた。


「いい叫びだ、ロイス。次の現像が、今から楽しみだよ」


 海は残酷なほど美しい。鋼の巨船は、今日も死の香りを乗せて、波間を突き進んでいく。


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