灰色の空に入る亀裂
ネオ・ロンドニウム郊外の廃工場。アッシュ・キャリアーは、錆びついたクレーンの影にその身を潜めていた。
「ジェミニ、その腕。かなり酷い火傷じゃない」
「気にするな。それよりエンジンのピストンだ。こいつを磨き上げなきゃ、次の『解体』には間に合わない」
ジェミニは痛みを無視し、亡き友への祈りのように機械を整備する。その頭上では、黒猫のススが冷めた目で彼らを見下ろしていた。
(やれやれ。死の淵を綱渡りするたびに、あのロイスとかいう女の瞳は輝きを増していく。脳のネジが三本は外れている証拠だね)
ロイスはエドワードの手記を単眼でスキャンし、不敵に笑う。
「ジェミニ、エドワードはこう遺しているわ。『バートン家は窒息を売るのだ』って。……ねえ、最高に美学に反する作戦を思いついたわ。黄金の塔へ、私たちが乗り込むのよ」
数時間後。廃工場には、煌びやかなドレスに身を包んだ「成金貴族の令嬢」が現れた。背後には、優雅なメイド服風の装甲を纏ったベルが控えている。
「この窮屈なドレスも、真実を暴くための偽装装甲だと思えば悪くないわ。ベル、表情筋を『無機質な献身』モードに固定して。この街で一番鼻持ちならない支配者の卵として、黄金の光を塗り潰してやりましょう! 」
黄金の塔の最上階。まばゆいシャンデリアの下、ロイスは扇子の陰から会場を鋭く観察していた。
「反吐が出るわ。最高級の香水で誤魔化しても、床下から漂う犠牲になった下層民の煤の臭いは隠せていない」
一方、通気ダクトを這うススは、秘密実験室の巨大な怪物を見下ろしていた。
(浄化だと? 笑わせるな。煤煙を細かく砕いて、無臭の毒に変えているだけじゃないか。これじゃ街全体が、バートン家の管理する巨大な家畜小屋だ)
ススの予感は、ロイスがハッキングで掴んだデータと一致した。その時、冷徹な気配が彼女の背後を襲う。
「美学の欠片もないわね、ランドルフ執行官。この装置、本当は窒息の首輪なんでしょう?」
「……気づくのが遅すぎたな、ドブネズミ。警備機兵、全機起動! 不法占拠者を分子レベルで解体せよ!」
ランドルフの合図で銃口が向けられる。だが、ロイスは記録結晶をメインプロジェクターへ叩きつけた。
「それはどうかしら! あなたたちの醜悪なビジネスプラン、全世界にお披露目してあげるわ。歯車を正常に回す、詐欺の解体、完了よ!」
巨大スクリーンに不正の証拠が映し出され、会場は悲鳴のような動揺に包まれた。
「ベル、時間よ! 最高に派手な脱出劇に移行しましょう!」
「了解いたしました。……リミッター解除。最大出力を解放します。私の腰にしっかりとお掴まりください」
メイド服をパージし、戦闘形態となったベルがロイスを抱え、強化ガラスへと突進した。
(おい、正気か。数百メートルの高さから空を飛ぶつもりかよ)
ススが呆れながら緊急排気弁を破壊し、混乱を煽る。直後、轟音と共にガラスが砕け、二人は夜の闇へと身を投げ出した。
「ランドルフ、聴こえてる!? あなたたちの偽物の空なんて、ネジ一本残らず解体してあげる! せいぜい、本当の青空に窒息しなさい!」
落下する二人の眼下、アッシュ・キャリアーが猛スピードで滑り込んでくる。
「ロイス、ベル! 飛び込めッ! 俺の計算を信じろ!」
ジェミニの叫びと共に展開されたネットが、二人を羽毛のように受け止めた。
(ふん、相変わらず危なっかしいね。だが、本当の空というやつ、一度くらい拝んでやるのも悪くない)
助手席に陣取ったススが誇らしげに尾を振る。キャリアーは夜の闇へと消え、灰色の空には初めて、真実という名の亀裂が入った。




