解体宣告の中に美学は皆無
アッシュウォーカー探偵事務所の実験机の上で、その青い触媒は異彩を放っていた。小瓶の中で揺れる液体は、まるで微細な銀河を閉じ込めたかのような燐光を湛えている。
「――つまり、こういうことね。この小さな小瓶一つが、ネオ・ロンドニウムを100年も覆ってきた負の遺産を、ただの優しい雨に変えて洗い流してしまう。これって、探偵の依頼料としては天文学的に高価すぎるんじゃないかしら?」
ロイスは、ベルが淹れた白桃の紅茶を手に、右目の機械式単眼をカチカチと鳴らした。
「価値があるのは触媒そのものじゃない。エドワードが辿り着いた理論そのものだ」
ジェミニは作業灯の下で、亡き友が遺した手記のページをめくる。そこには、蒸気は命を吸うものであってはならないという、切実な願いが記されていた。
「ロイス、お前も気づいているだろう。昨日俺たちを襲ったのは騎士団じゃない。そのバックにいるのは、空さえも私有地にしようとしている新興貴族の連合体だ」
不意に、窓枠にいた黒猫のススが警告の声を上げた。直後、真鍮の呼び鈴が乱暴に鳴らされ、武装した男たちが事務所へ踏み込んでくる。
「失礼。バートン家直属の執行官、ランドルフだ。エドワードが遺した遺失物を我々に譲渡しなさい。あれは公衆衛生上の深刻な危険物だ」
白髪の初老の男、ランドルフが傲慢に言い放つ。ロイスは最後の一滴まで紅茶を楽しみ、カップをソーサーに戻した。
「管理、ね。その定義の中に、貧民街へ流れる蒸気の価格を勝手に吊り上げる権利も含まれているのかしら? ランドルフ執行官、あなたのそのモノクル、少し曇っているんじゃない?」
「……言葉を慎め、下層のネズミ風情が。拒むなら、この事務所ごと塵一つ残さず解体せざるを得ない」
ランドルフの合図で私兵が銃を構える。だが、その指が引き金に触れるより早く、ベルの細剣がランドルフの喉元を正確に捉えていた。
「許可なく主の領域へ踏み込む行為は、当事務所のルールに抵触します。即刻、退去を推奨します」
ベルが静かに剣を引くと、ジェミニが最後通牒を突きつけた。
「この触媒を奪いたいなら、俺のレンチとロイスの美学を真っ向から解体してみせろ。それまでは、ネジ一本たりとも渡すつもりはない」
「……後悔するぞ、解体屋。我々が守ろうとしているのは、この都市の、揺るぎない階級という名の秩序なのだからな!」
ランドルフたちが去った後、ロイスは鋭い意志を瞳に宿して立ち上がった。
「ジェミニ、あいつら本気よ。エドワードの手記に、この触媒の量産についての記述はあった?」
「……いや。この瓶が、最後の一つだ。製造の中核となる触媒核がどこにもない。だからこそ、奴らも死に物狂いで奪いに来る」
ススが激しく床を叩き、包囲網の接近を知らせる。重火器が据えられる不気味な予兆が事務所を震わせた。
「ベル、防壁を最大出力で稼働させて! ジェミニ、アッシュ・キャリアーの準備を急いで! 泥に塗れた正義が、黄金の傲慢をどれほど鮮やかに解体するか、あの連中に身を以て教えてあげましょう!」




