時計塔からの招待状
カサリ、という微かな紙の音に、誰よりも早くススが反応した。ぴんと耳を立て、ベルの膝から音もなく跳び降りると、ススは手紙へと一目散に駆け寄る。黒猫は、届けられたばかりの封筒を前足で一度、二度と慎重につつき、安全であることを確認したように、顔を上げてロイスを見た。
「ナァ」という短い鳴き声は、来客の合図だ。ロイスがその手紙を拾い上げる。指先に触れた瞬間、彼女の表情が強張った。
それは、下層の住人が使うような安価な再生紙ではなかった。ネオ・ロンドニウムの最上層に住まう貴族や、軍の最高幹部たちが愛用するような、重厚で滑らかな手触りの最高級羊皮紙。封蝋には家紋こそ刻印されていないが、そこからは鼻を突く煤の臭いを遮断するような、高貴で厳しい香水の香りが漂っている。
「ジェミニ、見て。これ、ただ事じゃないわよ」
ロイスが震える手で手紙を開封し、その文面を読み上げるにつれ、事務所内の平和な空気は一瞬にして凍りついた。
手紙には、都市の時間を統べる大時計クロノスが、昨日から正確に一秒だけ遅れ始めたことが記されていた。さらに解決の報酬として、ジェミニが十年もの間探し続けてきた、騎士団第零部隊の真の記録の譲渡が提示されている。
「騎士団第零部隊の記録。……なぜ、その名を」
ジェミニは手に持っていたマグカップをゆっくりと置いた。彼の瞳には、かつて戦場を震撼させた沈黙の騎士としての、剃刀のように鋭い光が宿る。
「一秒の誤差、ですか。機械仕掛けのこの都市において、それは文字通り都市の死を意味します」
ベルがゆっくりと立ち上がった。その動作にはまだ僅かな遅延があったが、黄金の瞳は既に、新たなる事件の核心を冷静に演算し始めている。
「下層のゴミ掃除が終わって、ようやくのんびり出来ると思ってたけど。どうやら、運命ってやつは私たちを休ませてくれないみたいね」
ロイスが、自分を奮い立たせるように不敵な笑みを浮かべ、左腕の革手袋をきつく締め直した。
アッシュウォーカー探偵事務所。彼らの新たなる解体の舞台は、歯車で動く世界の、最も神聖で、最も非情な天上へと移ろうとしていた。




