不可解なノイズ
ジェミニの目の前には、あの日以来、右脚の膝関節と左肩の駆動系が少しだけぎこちなくなってしまったオートマタのベルが座っている。ジェミニは、ベルの真鍮の肌のあちこちに残った、痛々しい熱の変色跡を、特製の研磨剤を用いて一箇所ずつ丁寧に磨き上げていた。
「ご主人。ススは、そこの紙面に、ロイスの体温由来の暖力が残留蓄積されていることを、本能的、もしくは計算上理解して居座っているものと、推測されます」
ベルの合成音声は、臨界突破の負荷で一度は焼き切れたものの、ジェミニの執念の蘇生術によって復活を遂げていた。その響きは、初めて発声した無機質なものよりも少しだけ柔らかく、どこか人間味を帯びた慈しみのようなニュアンスを含んでいる。
彼女がそう分析を終えると、ススは待っていましたと言わんばかりに新聞から立ち上がり、今度はベルの膝の上へと軽やかに飛び移った。ススは、ベルの膝にある冷たくも温かい真鍮の関節に、自分の頬を何度も熱心に擦り付け、ゴロゴロと雷鳴のような深い音を立てて喉を鳴らし始める。ベルは、ススの重みを感じると、不器用な指先でそっとその背中を撫でた。
「まったく、現金な猫ね。ベルもベルよ、甘やかしすぎだってば。……それよりベル、調子はどう? さっきから少し左のギアが軋んでいるみたいだけど」
ロイスが呆れ顔で笑いながら、コーヒーを二つの使い込まれたマグカップに注ぎ、一つをジェミニに手渡した。ロイスの左腕は、あの日以来、あの不気味で禍々しい黒い光を放つことはなくなった。だが、彼女は今もなお、肘から先を覆う頑丈な革製の手袋を外してはいない。
「計算上は、九十二パーセントの復旧率です。ただ、時折、記録メモリにないノイズが、電子の火花のような光景が、脳裏を走ります。それは、不思議と不快ではありません。まるで、誰かが隣で笑っているような、そんな感覚です」
「ノイズ、か。また夜にでも詳しくスキャンさせてくれ。お前の回路は、あの一件以来、もう俺の知っている旧帝国の規格を遥かに超えちまっているからな」
ジェミニが苦笑しながら熱いコーヒーを啜った、その時だった。事務所の分厚い樫のドアの下から、一通の手紙が、音もなく静かに滑り込んできた。




