溶解する記憶の断片
「ふん。失礼」
伯爵は不快そうに鼻を鳴らしたが、ジェミニの揺るぎない眼差しにたじろいだ。
「見ていただきたい。私の傑作、SNから盗まれた記憶だ」
案内されたのは、邸宅の一室を改造した研究室だった。そこにはいくつもの作業台が並び、その中央には、人間の脊髄を模したような、複雑な真鍮のケーブルと水銀の循環パイプで構成された装置が置かれていた。これこそが、ブリストル伯爵の最新のSN計算義肢の中枢部だ。
「このSNには、私が長年研究してきた『高精度蒸気周波数制御』の機密情報が刻み込まれていた。しかし、見てくれ!」
伯爵が指さす先、SNの記録媒体である水銀が循環するパイプの一部が、まるで強力な酸で溶かされたかのように変色し、そこだけが黒い残滓に酷似した痕跡で汚染されていた。それは、誰かが指で強く掴んだかのような、生々しい痕跡を残していた。
「特定の情報セクションだけが跡形もなく消えている。まるで記憶の特定の箇所だけを喰われたようだ。犯人は、水銀記録に直接干渉したのだ!」
ジェミニは即座に自分の『アッシュ・スキャナー』を取り出し、汚染された箇所に精密な蒸気レーザーを照射し、残滓の組成を分析した。
「こんなことは通常ならあり得ない。蒸気圧による物理記録の破壊と、特定の情報のみの抽出を両立させるには、極めて高い精度が要求される。そして汚染の形状から見て、犯人はこの装置に直接触れている。手袋や工具を使わず、素手で、それも数秒の間に犯行を終えている」
ジェミニは汚染の形状から、犯人が装置を掴んだ痕跡を指摘する。その変異した残滓の指紋は、まるで焼けた歯車の跡のようだった。
その時、沈黙していたロイスが、膝のススをそっと下ろし、立ち上がった。ススが床に降りた瞬間、彼女の自己抑制装置は解除され、あの陽気な声が響き渡る。
「……あら、伯爵さん?私の直感が、素敵なゴシップを囁いているわ」




