灰の終わる空
ジェミニの指先が、最後の回路を接続した、その時だった。
背後で静まり返っていたプロメテウス・エンジンが、これまでとは決定的に違う、深く、穏やかで、力強い呼吸を開始した。
炉心に淀んでいたエフィメラの悪意が、ロイスの放った浄化の衝撃によって霧散し、エンジンは本来の、都市を支える純粋な駆動力へとその性質を変換させたのだ。巨大な黄金のピストンがゆったりと規則正しく上下し、都市の全域へと、清浄な風とエネルギーを送り込み始めた。
円形広場の遥か頭上、灰色の雲に覆われていた天井の巨大な排気孔が、一斉に解錠された。十年間、特区零番を重苦しく閉じ込めていた絶望の灰が、エンジンの生み出した力強い新緑の旋風によって、空の彼方へと一気に吹き飛ばされていく。
崩落した天井の隙間から、一条の光が真っ直ぐに差し込んだ。それは、ガス灯の不自然な光でも、エンジンの燐光でもない。本物の、十年間この特区が忘れかけていた、人工物ではない太陽の輝きであった。その温かな光が、瓦礫の中で互いを支え合う三人を、祝福するように照らし出した瞬間。
「……ゴ、ホッ……シュ、ゥ、ゥ……」
ベルの、空っぽだった胸の奥底から、小さく、頼りない蒸気の排気音が漏れた。
「ベル……!?」
黄金の瞳が、一度、二度と、壊れた電球のように頼りなく明滅する。やがて、ノイズまみれの視覚センサーが、目の前で必死に自分の名を呼ぶ二人と、その背景に広がる見たこともないほど美しい青空の色彩を捉えた。
「……ゴ、主人……ルイ……ズ……。……アツ……イ……デ、ス……」
合成音声のスピーカーはひどく音割れし、掠れていた。だが、それはプログラムされた定型文ではなく、彼女自身の魂から絞り出された、唯一無二の呼びかけであった。
「あなた言葉を……すごいわベル……でも良かった……本当に、よかった……!!」
ロイスが、耐えていた涙を堰き止めることができず、ベルの焼けた胸に顔を埋めて子供のように泣きじゃくった。ジェミニは、持っていたレンチを静かに床に置くと、大きく一つ、魂を吐き出すような溜息をついて空を仰いだ。そこには、灰の向こう側にずっと存在していた、透き通るような朝焼けの空が広がっていた。
「帰るわよ。ジェミニ、ベル.私たちの場所に」
ロイスが袖で涙を拭い、泥だらけになりながらも立ち上がった。
「ああ。ススが、腹を空かせて、とびきりの不機嫌な顔で待っているはずだ」
ジェミニは、満身創痍で一部の機能も戻らぬままのベルを、慈しむように背負った。彼らは一歩一歩、自分たちの唯一の居場所、アッシュウォーカー探偵事務所への道を歩み始めた。特区に積もり続けていた灰は、今、新しい風に舞い、本当の夜明けの光の中に溶けて消えていく。
ネオ・ロンドニウムの長い夜が、今、終わろうとしていた。




