魂の安らぎ
「解体屋としてではない。アッシュウォーカー探偵事務所のジェミニとして、この十年の悪夢を完結させる」
ジェミニは愛用のレンチを逆手に持ち替えると、超高温の蒸気が噴き出すエフィメラの懐へと真っ向から飛び込んだ。熱気が彼の衣服を焦がし、剥き出しの皮膚を焼くが、その手元は驚くほど静止し、研ぎ澄まされていた。ジェミニのレンチが、エフィメラの神経の結び目を正確に捉え、物理的な打撃を超えた、共振による結合解除の一撃を放った。
ガァァァァァァァァン。
その瞬間、エフィメラの意識とエンジンの制御系の間に、致命的な情報の隙間が生じた。ロイスはその刹那を逃さなかった。彼女はベルが自らの身体を焼いて作り出した、冷却の細い道筋を駆け抜け、エフィメラの胸部へと左腕を深く突き入れる。
その時。ロイスの左腕を通じて、エフィメラの記憶の泥沼ではなく、その奥底に眠り続けていたアイリスの真実の想いが流れ込んできた。
(「お父さん、もう、自分を責めないで。もう、休んで。笑って。」)
それは、十年前のあの朝、身体が灰に変わる直前の少女の、最期で唯一の願いだった。彼女は自分を救えなかった父親を恨んでなどいなかった。彼女が最期まで望んでいたのは、神のごとき秩序でも不滅の命でもない。ただ、父親に自分を縛るのをやめてほしかったのだ。
あまりにも悲しく、しかしどこまでも温かい真実に触れた瞬間、ロイスの瞳から熱い涙がこぼれ落ちた。
「そうね。アイリスちゃんは、こんな冷たい世界なんて望んでない。終わりにしましょう、ドクター。これが、あなたの愛した娘さんの、本当の願いよ」
ロイスの左腕が、これまでにないほど澄み切った夜空のような深い黒の輝きを放った。それは破壊の力ではない。すべてを許し、包み込み、眠りにつかせるための魂の安らぎの衝撃だった。
ロイスの拳が、エフィメラとアイリスを引き裂き、プロメテウスという怪物へと繋ぎ止めようとするすべての呪縛を完全に打ち砕いた。
ドォォォォォォォォォォン。
凄まじい爆発的な蒸気の噴出と共に、エフィメラの巨躯がエンジンの心臓部から物理的に引き剥がされ、虚空へと弾き飛ばされた。
「ぐ、ああああああ。アイリス。私の、完璧な、私の娘の世界がぁぁぁ」
エフィメラの絶叫が、崩落する天井の轟音に飲み込まれていく。科学者の狂気に満ちた夢は潰え、ただの悲しい父親の叫びだけが残った。同時に、ベルを繋いでいたメインバルブが激しく振動し、限界を超えて真っ赤に熱した彼女の身体を、後方の暗闇へと吹き飛ばす。
「「ベル! 」」
ジェミニとロイスが、熱風の中に消えていく小さな背中へ、必死に手を伸ばした。爆発の光がすべてを呑み込み、戦場にはただ、静まり返ったエンジンの低い唸りだけが残されようとしていた。




