亡霊の拒絶
「ベル。もういい、離れろ。お前の核が、これ以上は焼き切れる」
ジェミニの声が、蒸気の咆哮を突き抜けて響いた。熱気で歪む視界の向こう、彼の顔もまた、相棒を失うことへの恐怖と悲痛な叫びで歪んでいる。
だが、ベルは首を横に振った。今、自分がこの接続を解除すれば、数秒後にはエンジンが臨界点を超えて大爆発を起こす。そうなれば、ネオ・ロンドニウムの特区零番は地図から消え、すべてが灰に帰る。その未来を回避できるのは、今この瞬間の自分だけなのだと、彼女は言葉を介さずに伝えていた。
「この狂った男の独りよがりに、ベルを巻き込ませてたまるものですか! ジェミニ、やるわよ。ベルの命が尽きる前に、あの化け物を心臓部から引き剥がす! 」
ロイスが叫び、左腕に宿る残滓を限界を超えて全開にする。その漆黒の輝きが、熱気に歪む黄金の空間を真っ二つに切り裂いた。
一方、ドクター・エフィメラは、もはや人間の尊厳を捨て去った異形と化していた。彼は自身の肉体がエンジンから無理やり引き剥がされようとしていることに焦燥し、崩れゆく黄金の装甲を自らの手で強引に溶接し直していた。さらに深く、エンジンの基幹部へと自分の神経接続ケーブルを突き刺していく。
「させん。させんぞ。アイリス。私の可愛いアイリス。二度と、あんな無残な灰になどさせはしない。その不浄な女の腕の中に閉じ込めておいてやるものか。お前を、この完璧なプロメテウスという永遠の器へ移し替え、今度こそ私の手の中に、私だけのものにするのだ。共に、永遠の静寂へ行こうではないか」
エフィメラのその言葉に、ロイスの顔が激しい嫌悪と怒りに染まった。
「アイリス、っていうのね、あなたの娘さんの名前。最低よ、ドクター。あなたが見ているのはアイリスちゃんじゃない。自分の手元に、自分の思い通りに抱きしめておきたいっていう、醜い所有欲だけじゃない」
エフィメラの姿は、もはや知性ある科学者のそれではない。十年前、病で失った娘という名の部品を、無理やり再構成しようとして泥を啜る、あまりにも醜く、悲しい執着という名の亡霊に成り果てていた。
彼は娘の死という現実から逃げるために、都市全体を巻き込んだ壮大な墓標を作ろうとしているに過ぎない。
「ドクター。貴様が守ろうとしているのは娘の魂じゃない。貴様が向き合うのを拒んでいる喪失感という名の病だ」
ジェミニが、重量級のレンチを握り直して一歩前へ出た。かつての、騎士団の命令に従うだけの彼なら、確実性を取って周囲のパイプごとすべてを破壊していただろう。だが、今の彼は違う。探偵として、そして一人の人間として、現場の機微を読み取っていた。
大切な相棒であるベルを救い、街の未来を繋ぎ、そしてこの悲劇の連鎖を断ち切る。そのための、最小限かつ最精密な切除を選択。ジェミニは、エフィメラがエンジンに突き刺している複雑な神経接続ケーブルの、わずかな隙間と結合定数を見極めていた。




