深淵への行進曲
「さあ、お披露目といきましょうか。マダムが貸してくれた、私たちの新しい相棒をね」
ロイスがケースの側面のダイヤルを回し、ロックを解除した。プシュッという蒸気圧の解放音と共に、ケース自体が複雑に展開、変形し始める。中からゆっくりと姿を現したのは、ロイスとほぼ同じ背丈、同じ体格をした、顔のない一体の少女型オートマタだった。
それは、先ほどロイスが黄金の嘲笑の仮面を譲り渡した、あの個体そのものだった。マダムが、迫りくる決戦を前に使い捨ての戦闘用として特別に調整し、秘密裏に貸し出してくれたのだ。
「名前がないのは寂しいわね。よし、あなたの名前はベルにするわ。マダムの店で一番愛想が良くて、涼やかな鐘の音のような声を出していたから。いい、ベル。あなたは使い捨てなんかじゃないわ。私が、絶対にそんなことはさせない」
ベルと呼ばれたオートマタは、無機質な真鍮の首を僅かに傾け、ロイスの言葉を理解したかのように、シュウゥ、と微かな、しかし力強い排気音を立てた。
「ジェミニ、この子の性能を教えて。マダムのことだから、ただの着せ替え人形で終わらせていないはずよ」
「……ああ。マダムの趣味とは思えないほど、驚くほど実戦的だ。ベルの体内、各関節部分には高張力の特製鉄鎖が収納されている。四肢の継ぎ目から自在に出し入れし、敵を絡め取り、あるいは高回転させて切断する戦闘特化型の設計だ。だが、その分、内部機構への負荷が大きすぎる。一度激しい戦闘を行えば、自壊する可能性も否定できない」
「なら、あなたが何度でも直せばいいじゃない。ねえ、ベル。一緒に行きましょう。都市の最深部、あの狂ったドクターが待つ深淵へ」
ジェミニは、伯爵から回収したデータの最終解析結果を大型モニターに投影した。
「エフィメラの信号は、特区零番……蒸気核心部から発信されている。そこは、プロメテウス・エンジンに直接アクセスし、都市の全機能を掌握できる唯一の聖域だ」
「都市全体のハッキング。全市民の蒸気神経を、あの真鍮の心臓へ強制接続し、自分の所有物にする。そんな不気味なオーケストラ、絶対に演奏させないわ」
ロイスは、左腕を強く握りしめた。
「準備はいい、ジェミニ。ベル」
ジェミニは、棚から使い古された大型レンチを取り出した。
「ああ。行こう。すべてのエラーを、この手で、今度こそ終わらせるために」
「かっこよく決めたところ悪いんだけど、上で紅茶を飲んでからにしましょう。それくらいの猶予は、まだあるでしょう」
事務所の地下で、三つの影が静かに動き出す。彼らが向かうのは、ネオ・ロンドニウムの心臓。すべての真実と絶望が待ち受ける、プロメテウスの燃える深淵だった。




