伯爵の誤算
ネオ・ロンドニウムの喧騒から切り離された外れに位置する『ロイス・アッシュウォーカー探偵事務所』。その地下にある薄暗い作業場では、水銀ランプの青白い光がジェミニの鋭い横顔を照らしていた。
机の上には、先日騎士団の手から奪還した『偽造された真鍮の心臓』が置かれている。ジェミニは精密なピンセットとドライバーを操り、まるで生き物の中身を曝け出すかのように、その深淵を解剖していた。
「……解析終了だ。ロイス、我々は最初から、この心臓の『デバッグ作業』を代行させられていたに過ぎない」
ジェミニが空中へ投影したホログラムには、複雑に絡み合う蒸気回路のログが滝のように流れ落ちていた。そこには、盗まれたはずのブリストル伯爵自身の「水銀記録」が、高圧のパルスとなって周囲の神経系へ伝播しようとする、おぞましいプログラムが刻まれていたのだ。
「伯爵は被害者などではない。彼はこの心臓を媒介にして、自分自身の意識や設計思想を、他者の肉体へ無理やり植え付けようとしていた。記憶を盗んだとされる犯人は、伯爵が自ら放った、あるいは彼と共謀した『送信機』に過ぎなかったんだ」
「なんてこと……。つまり、あのお爺様は自分の不老不死という身勝手な夢のために、この街の人々を自分のコピーに変えようとしているってこと?」
ロイスは愛猫ススを膝にのせて撫でながら、氷のように冷たい声を漏らした。ススもまた、主人の内なる怒りを察したのか、喉を低く鳴らして毛を逆立てている。
「行きましょう、ジェミニ。仮面は……そうね。己の欲のために他者の魂を汚す裏切り者に相応しい、『沈黙の審判』を選ぶわ」
二人は再び、夜の霧が深く立ち込めるブリストル伯爵邸へと向かった。かつては華やかな舞踏会や社交の場であったその邸宅は、今や巨大な蒸気機関の内部そのものへと変貌を遂げていた。
壁の隙間からは異常な熱を帯びた蒸気が吹き出し、屋敷全体がドクン、ドクンと、不気味な金属音の鼓動を刻んでいる。それはまるで、屋敷そのものが一つの巨大な臓器として、獲物が飛び込むのを待ち構えているかのようだった。




