鏡の中の腐敗
ジェミニは回収された心臓を、手袋をはめた手で受け取り、携帯解析盤の上に載せた。スキャナーの青白い光が、金属の表面に刻まれた微細な文様を読み取っていく。彼の冷静なはずの顔に、かつてないほどの驚愕の色が走った。
「……信じられない。この偽造品の鋳造パターン、そして内部の蒸気周波数回路の構成。ロイス、これは、あのブリストル伯爵の……我々の依頼人自身の設計思想そのものだ」
「な……なんですって?」
ロイスの機械式単眼が、衝撃のあまりカチカチと激しく空転した。目の前の景色が歪むような錯覚に陥る。
記憶を盗まれた被害者として、自分たちを頼ってきたはずのブリストル伯爵。だが、その裏で彼は、自らの失ったはずの技術を悪用し、あのような偽物の心臓を量産して、下層の貧民たちを実験台にしながら闇市場に流していたというのか。
「被害者の顔をして、自分自身が病巣を撒き散らしていたっていうの? じゃあ、エフィメラの手記にあった設計図も、もしかして……」
「可能性は高いな。伯爵は、エフィメラの研究を監視していたのか、あるいは協力関係にあった……。この『真鍮の心臓』の暴走は、彼の計算の内だったのか、それとも制御不能に陥った結果なのか、それすら今はまだ明確にできない……」
ジェミニの声は、どこか遠くから聞こえるようだった。
この「偽造された真鍮の心臓」を巡る騒動は、単なる一つの窃盗事件ではなかった。それは、都市の最上層から最下層までを蝕む、巨大な腐敗の連鎖の、ほんの表皮に過ぎなかったのだ。信じていた依頼人が、実は自ら事件を演出し、最悪の結果を招いていた。
「最悪。これは笑えないジョークだわ、ジェミニ。私たちは、正義の味方のつもりで、悪党の片棒を担がされていたのかしら?」
ロイスは、手の中で冷たくなった真鍮の塊を見つめながら、かつてない冷や汗が背筋を流れるのを感じていた。彼女の左腕が、まるでこれからの過酷な運命を予見するように、鈍い熱を放ち続けている。
「……これからどうする、ロイス」
「決まっているわ。伯爵に、この汚い真鍮を突き返してやるのよ。それと、盗まれた記憶の本当の価値を教えてあげなきゃね」
ロイスは男から引き抜いた不気味な心臓を、布で乱暴に包んだ。
ネオ・ロンドニウムの夜はまだ明けない。上空の飛行船は依然として不気味に揺れ、下層区の蒸気はより一層深く、重く立ち込めていた。
「ジェミニ、全速力で伯爵邸へ向かうわよ。エンジンのリミッターを解除して。この腐ったシステムを、一度内部から解体してやるんだから!」
蒸気自動車のエンジンが咆哮を上げ、タイヤが汚れた泥水を高く撥ね飛ばした。
二人は、自らを引き込んだ陰謀の渦の中心へと、迷うことなく車を走らせる。ロイスの瞳には、真鍮の輝きとは異なる、激しい憤怒の炎が宿っていた。
狂気の天才と、腐敗した権力者。その狭間で、彼女の機械仕掛けの運命は、さらなる加速を始めていた。




