奈落への階段
背後で鳴り響く「飛行船パイロットの錯乱」による破壊音。逃げ惑う人々の悲鳴を断ち切るように、ロイスは地下蒸気迷宮の闇へと続く階段を駆け下りた。
上空で展開される惨劇は、ネオ・ロンドニウム全体の崩壊を予感させたが、その元凶たる病巣は、今まさに自分の目の前にある奈落の底に潜んでいる。
ドクター・エフィメラによる「黒い皮膚の実験」の核心を突くこと。それだけが、この都市を救う唯一の手段だと彼女は確信していた。
「ジェミニ、無線は最大出力のまま切らないで。今は上空のパニックより、この嘆きの井戸よ。あのパイロットが見た幻覚の解析データは、後でたっぷり頂戴するわ。今は、この不気味な迷宮の掃除が先決なの」
ロイスが纏う真鍮の鎧が、ガス灯の光を反射して鋭くきらめく。湿った石壁。蛇のようにのたうち回る、錆びた蒸気パイプの群。
辺りには腐った卵のような硫黄の臭気と、内臓を掻き回すような黒い残滓の粘り気のある臭いが充満していた。視界を遮るほど濃厚な煤煙の中、彼女は歩みを止めない。
地下蒸気迷宮。そこは、光り輝く上層都市の繁栄を支えるために切り捨てられた、ネオ・ロンドニウムの負の遺産である。
犯罪組織の隠れ家や、重度の残滓汚染によって人としての形を失いかけた者たちが潜むその場所は、都市の心臓部から送り出される汚れた蒸気が逆流し、機能不全を起こした巨大な血管そのものだった。
ロイスは、左目の機械式単眼を細かく駆動させた。周囲の蒸気圧の変動と微かな熱信号をリアルタイムで解析しながら、一歩ずつ慎重に、しかし力強く進んでいく。
「ロイス、こちらの分析結果が出た。注意しろ」
無線機を通じて、ジェミニの声が響く。その響きには、珍しく隠しきれない焦燥が混じっていた。
「嘆きの井戸の直下には、都市下層の排熱を司る高熱の巨大蒸気ポンプ群が集中している。エフィメラは、その莫大な熱エネルギーを利用して、残滓の錬金術的変異を人為的に促進させているはずだ。周辺の熱源反応が不安定になっている。気をつけろ。彼の実験によって自我を失い、機械の怪物と化した被験者たちが、その暗闇のどこかに潜んでいる可能性がある」
「わかっているわよ、ジェミニ。でも、私は彼らの素材集めのロジックに、たまらなく興味があるの。なぜ価値のないはずのホームレスを狙い、なぜSNから記憶を盗み出したのか。きっと、彼らの無惨に焼き切られた皮膚に残る残滓の痕跡には、私の左腕にあるこの忌まわしきタトゥーと同じ、秘められた設計図が隠されているはずよ」
彼女の言葉に、無線機は一瞬の沈黙を返した。ロイスは唇を噛み、さらに深く、都市の深淵へと足を踏み入れた。




