港のネズミたちの密談
「錆びたピストン亭」の扉を抜けると、そこは重油と安酒、そして嘘の匂いが渦巻く情報のるつぼだった。ロイスは「ロイ」として、整備士特有の無遠慮な足取りでカウンターへ向かう。ジェミニは店内の空気を一睨みして威圧し、ベルは隅で静かに機能を停止している労働機械を装った。
ロイスはカウンターの男、港でも一二を争う情報通として知られる荷役頭の男に、わざとらしく汚れた指先を突き出した。
「おじさん、いい酒だね。でも、もっと喉を通る『面白い噂』はないか? 例えば、最近この港、やけに特定の真鍮貨が流れていると思わない?」
男はグラスを置き、ロイスを値踏みするように見た。少年整備士の装いをしているが、その瞳に宿る知性は、単なる働き手のものではない。男は声を潜めた。
「坊主、厄介なことに首を突っ込むな。……最近、第五ドックの裏に『黒い運搬船』が来るんだ。霧の夜にしか動かない、不気味な船さ。怪しすぎるだろ? わかったら関わるんじゃねーぞ」
ロイスは心の中で「ビンゴ」と叫んだ。だが、表情にはあどけなさを貼り付けたまま、男のグラスに自分の注文した安ビールを注ぎ足す。
「黒い船? 誰が仕切ってるのさ。この港のドック代を払える奴なんて、限られてるだろう?」
男は周囲を警戒し、顔をさらに近づけた。
「ったく、それが、金の話じゃないんだ。積み荷は……『灰』さ。それも、この街で一番禁忌とされている場所へのな」
男が懐から出したのは、不自然に黒く変色した真鍮のチップだった。
「これを見てみろ。あいつら、このチップを触るたびに『灰の街へ』と口走っていた。あの死の隔離区へ、定期的に物資を運んでるなんて、狂気の沙汰だ」
「灰の街……!」
ロイスとジェミニの視線が、一瞬だけ交差する。アントニオのリストに続き、今度は組織の補給線そのものを突き止めた。掃除屋たちは、クイーン・スチーム・エリザベス号を沈めた後も、狂信者どもが崇めるような死の街へ、何かを運び込んでいる。
「坊主、あんた何者だ? どうしてそんなに詳しく……」
男の疑念が深まるのを感じ、ロイスは笑って懐から小銭を投げた。
「オレはただの整備士さ。機械の悪いクセを治すのが仕事でね。どうも、この港の歯車は、あんたが持ってるそのチップが噛み合わなくて、無理な回転をしてるみたいだよ」
その時、酒場の奥の席で、鋭い視線を向けていた数人の男たちが立ち上がった。彼らの腰には、明らかに掃除屋特有の、現像液の臭いを放つ装備が隠されている。
「お喋りが過ぎたようだな」
男たちがゆっくりと近づいてくる。ロイスは立ち上がると、工具袋から愛用のレンチを滑らかに抜き出した。
「親方、掃除の時間が来たみたいですぜ。ベル、店の灯りを落として!」
「了解いたしました」
ベルが床を蹴り、壁の主電源レバーを粉砕する。店内が暗闇に包まれた瞬間、ロイスは暗闇に慣れたススの合図に従い、先頭の男の懐へ飛び込んだ。
「あいにくだけど、オレは機械の整備には自信があるんだ。人の口を封じる機械の修理も、お手の物だよ!」
暗闇の中で火花が散り、男たちの叫び声と金属がぶつかる音が響く。ジェミニが強固な守りでロイスの死角をカバーし、ベルが的確に敵の動力源を断ち切っていく。
店内の混乱に乗じ、ロイスは先ほどの男のチップを奪い取ると、ジェミニたちと共に店の裏口へと駆け抜けた。霧の夜の港へ飛び出したロイスは、奪ったチップを月の光にかざす。
「灰の街への物資……。掃除屋の元締め、あんた、何を食べさせようとしてるのさ」
チップには、複雑な幾何学模様と、見たことのない紋章が刻まれていた。それは、天上に住まうはずの権力者たちが用いる、極めて精巧な暗号鍵だ。
「ロイ、追手が来る。急ぐぞ」
ジェミニの声に、ロイスは強く頷く。セント・ジュードの港で手に入れたこのチップこそ、灰色の歴史を剥がすための最初の鍵だ。
「ああ、親方。灰の街へ行く理由ができたよ。このチップを差し込めば、あいつらの隠した真実が、すべて暴き出されるはずさ!」
三人の影は、霧の中へと消えていく。ロイスたちは「死者」という幽霊の身分を最大限に利用し、敵の懐へと続く一本の糸を手繰り寄せたのだ。灰色の世界が、音を立てて動き始める。




